「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2017 信州(初日・前半)

爽やかな8月の朝・・・・・・
ここは上信越道、東部湯の丸SA。

今回の旅は、先日スイッチバックについて駄文に纏めたことがキッカケで、篠ノ井線沿線をリサーチしてるうちにいろんなスポットが見付かって、プランが段々膨らんで決まりました。
まぁたしかに上田はすぐ近くですが、まずはここから山越えして松本に向かいます。
真西に山越えしてやって来たのは今は松本市の北東辺りになる旧・四賀村。

この辺って観光の空白地帯だと思います。
太古の昔海底だったところが隆起してできた砂岩質の山が続き、一面のマツタケ山になってます。

実は長野県ってマツタケ生産量では圧倒的な日本一だったりします。

本当に入山して良いものか四賀化石館ってトコに電話して確認したところ、「シーズンオフだから大丈夫だと思いますよ」とのコト。
複雑に枝分かれする山道を10分ほど登ったところに、崖にめり込むようにしてありました!
知られざる懸崖造りの岩殿山観音堂です。

信州の投入堂と呼んでもおかしくない威容。ホンマにビックリしました。
横から見るとこんな感じ。

広角レンズの効果を差っ引いてもムチャクチャに迫力あります。
今でも地元の信仰に守られてる感じがありますが、マツタケシーズンはどうなんでしょうね?
ちなみにこの近辺には岩殿山という地名が複数あったりします。
バームクーヘン状の地層といい、御堂のめり込み方といい、房総の投入堂である寂光不動をもっとダイナミックにした印象。
手水場が岩に掘られてます。
ちなみに屋根はなく、このように天井部分はドンガラで岩が剥き出し。
日本にはまだまだ知られてないスポットがあるんだな、って思います。
いや~、ホンマにここはスゴい。感動しました。

しかし、このギャラリー観て安易に訪問するのはお勧めしません。とにかく道が分かりにくく、余程事前にシッカリ地形図等を読み込んでおかないと迷う危険性があります。
エラそうに言っといてなんですが、帰り道にキッチリ迷いましたもん(笑)。
続いて藤池百体観音ってのに行こうとしましたが、どうしてもクルマを停めるトコが無くてパス。

意外に一発目で時間を食い過ぎたのもあってお昼にすることにしました。
ところがメシ食うトコが無いんですわ~、これがもぉ!

ようやく見付けた道端の「手打ち蕎麦」の看板を頼りにウネウネと細い道を上がって辿り着いたのがココ、「ほそばら」。
座敷に上がると有無を言わせず出て来る小鉢類。

筍やら人参、蒟蒻の煮物。
胡瓜の浅漬け。
何故かキムチ・・・・・・蕎麦の繊細な味を全く無視してますね(笑)。
しかしどれも美味いんですわ、これが。
何年か前に「嵐」の櫻井翔主演の映画のロケ地になったそうで、その時の色んな資料の入ったファイルを待つ間に見せてもらいました。

映画のロケハン部隊のリサーチ能力には感心してしまいます。
ツユと薬味到着。
蕎麦到着!

想像以上のボリューム。
ピカピカのツヤツヤですなぁ~。

これは期待できます。
ヨメも最近はスッカリ蕎麦好き。
アッちゅう間に完食。

いや、マジでかなり美味い。
予備知識なしに美味い店に当たるって本当に嬉しいです。

右奥に見えるのが御主人。ジャージによれよれのシャツでパッと見はちょっとアブない系の人かと思いましたが、蕎麦打ちの腕は確か(笑)。
それにしても、最後まで注文を訊かれる、ってのが無かったような・・・・・・でもまぁこれだけクオリティの高い蕎麦をハラ一杯食えて、あれこれ小鉢まで付いて一人千円は安過ぎるかも。
店から数分、一つ尾根を越えたところの岩井観音堂に到着。
こういう幟って、何故か東北っぽい雰囲気があると思います。
うわぉ!ここも見事な地層の崖が魁偉な姿を見せています。

余談ですがこれらの地層の間には僅かながら石炭層もあって、昭和30年代くらいまでは小規模な炭鉱が点在してたようです。
3年に1回、罰金の料金改定をやってるみたいですね(笑)。

貴重な現金収入だから気持ちは分かりますが、余りに吹っかけると却ってウソ臭いかも・・・・・・。
岩山をチョコッと上がると観音堂に到着。
田舎の観音堂で千手観音はワリと珍しいかも。
境内含めとても綺麗に保たれており、地元の人に大切にされてるのが伺えます。
周囲は巨岩だらけで絶好のロケーション・・・・・・
・・・・・・ですが、すぐ隣ではハイキング中らしい老夫婦がコッフェルでお茶立ててます(笑)。
まぁ、ムリは絶対にしない主義。

スルリとサスペンダーにロクなことはないです。
夏祭りが近いのか、提灯が吊るされてます。

村にどれだけ子供がいるのかは分かりませんけど・・・・・・。
って、御堂よりもその裏手に広がる岩山がとにかく圧巻の光景。
以前訪ねた上田の鴻ノ巣と似てるようでまたちょっと違ってます。

あっちはもっとニョキニョキしてました。
この黒いのは多分石炭層ですね。

この辺は所謂「フォッサ・マグナ」で、東西日本に押されることで何万年も掛けて海底がこうなったようです。
そしてもちろん、今も隆起を続けています。

だから実は断層が何本も走る、地震多発地帯だったりもするんですが・・・・・・。
林道に毛の生えたくらいの狭い道を数キロ、さらに奥に入ったところにある「石まんぼう」に到着。
要するに岩を刳り抜いた手掘りのトンネルです。

今は寂れて山に呑み込まれようとしてますが、明治時代くらいまでここは馬車も通る善光寺街道のメインルートでした。
右側、達筆な揮毫で「遊岩」と掘られてます。左は分かりません。

ブチ抜くことが出来て嬉しかったんでしょうね~。
「まんぼう」とはもちろん魚のマンボウではなく、坑道を意味する「間歩(まぶ)」が転訛したって説が有力なようです。
反対側から見たところ。

距離は4~5mくらいでしょうか。
さらに上がった花河原峠には・・・・・・
・・・・・・かつての石畳がそのまま残っています。

しかし草履ならともかく、現代の靴だとムチャクチャに滑りやすい。

ウソかマコトか俳聖・松尾芭蕉は「更科紀行」の旅の際、ここを通ったとかナントカ。
そのまま古い宿場町である乱橋に下り、ちょっと入った道の突き当りにクルマを停め、山の中に分け入って行きます。
道標がシッカリしてるので迷う心配はありません。
ダラダラと森の中を登り、いい加減疲れて来た頃に鳥居が見えました。
やった!到着か!と思ったらまだ半分くらい。

高地とは申せ、真夏で暑い暑い。汗が噴き出してきます。
ロープ伝いに滑りやすい岩場を越えたりしてようやく到着。

お茶坊様こと隆明霊神の修行地と呼ばれる場所です。
ちなみにこれは墓らしい。今にも倒れそう。

駄文の方に詳しく書いた通りで、お茶坊様とは幕末から明治にかけてこの地に棲み付いて修行に明け暮れた御嶽系の修験の行者です。
そしてこれが彼が寝起きしてたという洞窟。

上の写真の場所から、ロープ伝いに10mほど崖を下ったところに口を開けています。
中はこんな感じ。

体育座りなら詰めて30人くらいは入れそうで、思ったよりも広い。
それにしてもこんな寂しい、冬は極寒の所で何年も良く暮らせたモンだなぁ~、って思いますね。
右に見えてるのが掴まって来たロープ。

ちなみに左側は数十mの高さの切り立った崖で、落ちても多分木に引っ懸かるとは申せ、まず間違いなく大怪我でしょう。

こんなトコをお茶坊様、一本歯の高下駄で行き来してたってんだからスゴい。
こうして立ってるすぐ背後も実は断崖絶壁です。

ともあれお茶坊様の修行場、素晴らしい場所でした。

後半もさらに色々回ります。
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