「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2016 茨城(初日・前半)

暗い竹林の奥・・・・・・
・・・・・・その伝説の洋館は朽ち果てながらも残っていました。

ここは霞ヶ浦を望む丘陵地帯の斜面に悄然と立つ通称・「赤別荘」です。ちなみに実際は別荘ではなく、ここに地元名士の一族が暮らしていました。
懐かしい4本足のTVが納屋の外に放り出されてあります。
洋館といっても一部だけで、和洋折衷ですね。

ああ、出だしで書き忘れました。本日はここをフリダシに廃墟巡りばっかです。興味の無い方は見ても苦痛なくらいに廃墟まみれなコースになる予定。
居間に当たるところでしょうか。フランス人形がひじょうに怖い。

誰だ!?顔赤く塗ったバカは?茨城だけに地元のDQNか?
もっと怖い数珠と古い写真。
生活感の溢れるものがある日突然、主が消え失せて放り出されたように残っています。
狭くて急な階段を上がるとバルコニーに出ました。

こちらも確実に崩壊が進みつつあります。
恐らく書斎でしょう。

多数の書籍が残されたままです。
金融や貸金業に関する本が目立ちました。

それもその筈、かつてこの家は近隣住民へのけっこう阿漕な貸金業で財を成した一家だったと言われます・・・・・・とは申せ、借金ってする方が悪いモンなんですけどね(笑)。
子女の教育にも熱心だったのか、ドリルのようなものも散見されます。

さらに奥にも部屋はあるのですが、床が抜けそうなので入るのは断念しました。
・・・・・・だって隣の棟は既にこんな状態ですし。

ヘタしたらこんなん死にまっせ!命懸けですわ。
塗り薬の壜か何かでしょうか。

古いガラス壜、ってどぉ撮っても雰囲気の出るものの一つです。
裏手に回ってみました。

入るのを躊躇った2階の洋室を外から眺める格好になっています。
こちらが建物正面。表玄関は激しく破壊されてました。

右上がさっき上がったバルコニーですね。
再び裏玄関へ。
こちらは納屋だと思われます。
内部では竹が大繁殖。

良寛さんもこれほどまでになったら我慢できひんやろ?っちゅうくらい(笑)。
もう一つの納屋。

敷地の構成が分かりにくいので捕捉しますと、大きくL字型になった母屋があって、その横に1棟、奥にもう1棟の納屋っちゅうか、離れがくっ付いたような並びです。
ひじょうに古い掃除機。

この家が主を失い空き家となったのは昭和40年代初頭だそうです。既に50年近い月日が流れてるわけですね。
このテのお金持ち系廃墟としては、箱根の「華麗なる一族」なんかも有名ですが、あっちがほぼ崩壊し尽くした今、結構貴重な物件かも知れません。
この「赤別荘」、かつては書籍にも紹介されたほどの名建築でしたが、一族の没落と共に今ではもう見る影もありません。

アナザーショットはまたそのうちに。
そのまま北上してやって来たのは・・・・・・
常磐線・内原駅近くのセメントプラント廃墟。
結構周囲から見える中、柵越えて入ったんですが、大きなタンク以外は見事に全部無くなっちゃってます。
引込線の跡。

昔はこうしたセメント工場は線路沿いに良くあったもんですが、いつの間にかすっかり無くなってしまいました。
ちっちゃな貨車移動機が何倍もの大きさの貨車を押したり引いたりしてる姿を見掛けたもんなんですけどねぇ・・・・・・。
エスプレンドー・ジオメトリコのジャケットみたい(笑)。
あと、ここが残念なのはありとあらゆる入口が異様なまでに厳重に塞がれてること。鉄の扉なんてガチガチに溶接ですよ、溶接。

まぁ、茨城のヤンキー・DQN濃度の高さからすれば当然の措置かも知れませんが(笑)。
太平洋セメントも過去のものになり、今は浅野セメントに吸収されました。
当然ながらすぐ近くには常磐線。遠くに内原の駅が見えてますね。

かなりの頻度で電車が過ぎて行きます。
も一つここが残念なのは、四方八方見晴らしがとても良いコト。
オマケに田舎道にも拘らずクルマや人も結構通りかかるし、塀は低いし・・・・・・。
サイドBな撮影はこれぢゃムリですわ。
平野の中の廃墟って、色んな意味でむつかしいと思います。
まぁ、このSFチックなまでにインダストリアルな機械類を見れたことだけでも良しとせねばなりません。
無機質な風景の中にこんなモノが転がっていました。

これって昔は汲み取り式の便所のマストアイテムでしたね。
いつまでこの状態のまま放置しておくのでしょう。

それともいつかまた、鉄道輸送が復活する日まで取り敢えず休ませてるだけなのでしょうか?
さらに県内を北上して寂しい山中へ。

実はここは再訪です。以前紹介した栃原金山の坑口や比重選鉱場を訪ね損ねてたのでしつこくやって参りました。
出来たのが昭和60年代初頭なので、近代的な作りになってますね。
比重選鉱場特有の斜面に雛壇状になった構造が良く分かります。

左に見える巨大な畳みたいなものが、水を流しながら揺するパンニング皿みたいなもの。何台もありました。
上の方に上がってみることにします。
要は建物の上の方の臼で微粒子に砕いた鉱石を水で流しながら選鉱して行くワケっすね。

原理的には砂金掘りと変わりません。
建物最上部のコンベア。

前回訪問した場所である程度砕かれた粗鉱がここまで運ばれてきてたようです。
鉱石がそのまま残っています。
多分、左上のがボールミルだと思います。

ちなみにここの機材の多くは、国内有数のタングステン鉱山として有名だった高取鉱山から移設されたものだそうです。
ネコ流しなんて零細な方法まで駆使して、余すところなく金を濾し取ろうとしてたようです。
こっちも何か比重選鉱に使ってたと思われる水槽状のモノ。
廃墟の配電盤のフタって必ず開いてます。
しかし、こんなゴツいシャッター、どんな風にして破壊したんでしょうね?
横にある建物は観光鉱山として再起を図る際に建てられたものと思われます。

中には「金山水」なるミネラルウォーターが山積みで残っていました。
売店跡。

周囲はバーベキューその他もやろうとした痕跡が伺えます。
全ての目論見はアテが外れ、今はただ無人の山中で全てはゆっくりと藪に埋もれて行こうとしているだけです。
モノクロームな風景の中で、花だけが鮮やか。
そうそう。前回ご紹介させていただいたのは原石をある程度選別して砕くとこまでの選鉱場でした。間違いをお詫びいたします。

あの時はこっちに比重選鉱場があることを知りませんでした。
昭和18年の金山整理令によって閉山に追い込まれた時の「無念の碑」だそうです。

平成5年の閉山の時には建てなかったんですね(笑)。
こっちはこの前も来た、坑口から出てたトロッコの終点にあるホッパー。

ホッパーってアナログなメカメカしさがあって大好きかも。まぁ、幼児が「はたらくじどうしゃ」に目を輝かせるのと一緒なんですけど(笑)。
草もそれほど繁ってないので坑口を目指してみることにします。
左上に見えるのがトロッコの線路跡。

何故か線路だけは全部撤去されていました。
F4通しでも結構いい雰囲気の写真は撮れますね〜。
アッと言う間に坑口到着。
保安に関する注意書き。

ほとんど消えかけています。
廃墟において、椅子っちゅうのは必ず外に放り出されてるものと言えます(笑)。
小屋の内部はヘルメットやカンテラがそのまま放置されてありました。

モノがそっくり残ってるって、何だか事件の現場みたいな雰囲気です。
閉山して既に20年以上が経過し、完全に倒壊するのも間近と思われます。
こうして設備を丹念に見て行くと、本州最後の金山だっただけでなく、ここまで零細な規模で操業を続けた奇跡的な存在だったってコトが分かります。
この辺もかつてはトロッコの線路が引き回されていたみたいです。
坑道をバックに。

ちなみに奥久慈の金山はどれも、深部熱水鉱床・所謂「老脈」と呼ばれるもので、金の粒は大きいものの含有量は比較的低く、また鉱脈が短いという欠点がありました。
再びホッパー前に。

これに対し、菱刈等に代表される浅部熱水鉱床系の「幼脈」は金の粒が小さくて肉眼では見えないものの、含有量・埋蔵量共にひじょうに高いという特長があります。
こっちはこの前も訪ねた、原石をある程度小さくする選鉱場。
要は、岩をガンガン砕いて砂みたいにするまでがここの役割。

それをさらに細かく擂り潰して金を選り分けるのがさっきの比重選鉱場、ってワケですね。
この前は入らなかった現場事務所。恐らく食堂とか休憩所だったのではないかと思われます。

中は何も残ってません。
荷台から木が生えちゃってますね。
最後はかなりアイタタな末路を辿りましたがこの栃原金山、これほどまでに近代的な設備で鉱山施設がほぼ完全に残ってるところはそんなに多くありません。貴重な存在と言えましょう。

午後はフツーに観光することにします。
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