「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2015 三信(初日・前半)

秋も深まった飯田近くのラブホテルで迎えた朝。まだ6時前、っちゅうか5時過ぎ。

いやいや、どうしてもこの早い時間にここまで到達してなくちゃならん事情があったんで、夜の中央道をトバして来たんです。
そして取り敢えずは天竜峡へ。
名勝として名高いですが、すぐ横は駅だったりして秘境感はあんましありませんね。

街並みが広がるトコから急に深く谷が切れ込んでるのは、秩父とか中津川みたいです。
何となく構内の線路配置がチマチマしてるのは、その前身が私鉄だったからでしょう。
まだ残る紅葉をブラブラ眺めて回ります。

冷え込みが厳しく、標高が高いこともあってムチャクチャ寒い。
川下りもこんなに寒くちゃ乗る気になれまへんな。
天竜川って静岡県のイメージが強いんですけど、実はこうして長野県から流れてるんですね。
こう言っちゃ何なんですが、ぶっちゃけさほどの名勝には思えなかったりして・・・・・・(笑)。
しかし、古来数多の文人墨客に愛されただけあって、歌碑やら句碑はあちこちにあります。

一応温泉地でもあるものの、最近は昼神に押されてるらしい。
こっちが愛知方向。
おお!大分こっちは渓谷な雰囲気がありますね。
天気は若干曇り気味、大丈夫かなぁ〜・・・・・・?
う〜む・・・・・・本気で観光地として盛り上げようとしてるのかちょっと心配になってきます。
そろそろ電車の時間が迫って来たので駅に戻ります。
天竜峡ももうちょっと見て回りたいんですが、それは後回しにしましょう。
駅は昔の建物のがそのまま残っており、瀟洒な造りが好ましい。
右側の電車がこれから乗る列車、7:48発528M・豊橋行です。
何てーか川下り以外のウリがあまり無いみたいですね。
そうこうする内に、土曜日だっちゅうのにけっこうたくさんの高校生を乗せて電車は発車しました。

途中はトンネルだらけです。
鈍行のクセにいくつかの駅をスッ飛ばしながら天竜川沿いに電車は行きます。

対向設備のあるような駅でもひじょうに閑散としてますね。
温田で乗客の大半を占めてた高校生は降りて行きました。

クラブ活動にでも向かうのでしょう。
平岡には温泉旅館が併設されています。

実は前夜ここまで来て泊まることも考えたんですが、ここにクルマを置いてしまうと却って後の行程が不便になりそうなので止めました。
平岡は始発電車が設定されていたりする、比較的大きな駅です。
そうして8:48、定刻通り日本を代表する秘境駅の一つ(笑)、小和田に到着。ちょうど1時間の旅でした。

もうお分かりかと思いますが、ここに合理的に到着するために前夜かなり無理して走って来たのです。
駅が三県の県境になっているというたいへん珍しい駅でもあります。

住所としては静岡県浜松市天竜区になるらしい。区ですよ、区!(笑)。
皇太子妃は旧姓「おわだ」ですがここの読みは「こわだ」。

恋愛成就駅・・・・・・ってアータ。
開業以来の古い駅名表示板が残ります。
皇太子ご成婚の折りには、便乗商法でいろんなイベントが開かれました。

この駅で結婚式を挙げたカップルもいたっちゅうんだからスゴい。親族とか来るの大変だったでしょうね。
ムチャクチャにいい加減な案内板。
30分ほど前の8:16に豊橋からの下り列車が到着してるハズなので、誰か来てるかも知れませんね。

注意しなくては!(笑)
南側に斜面が迫ってるせいか日当たりが悪く、とても寒い。

ともあれ、11:19天竜峡行の下り列車が来るまでの3時間余り、これからここで過ごすコトになります。
取り敢えず駅を出て、下って行きます。
四阿の中には皇太子ご成婚にあやかって企画された結婚イベントの残骸である愛のベンチ。なぜか分割できるようになってるのがミソ。

これはかなり恥ずかしい演出だと思います。
下ると巨大な廃屋が2棟ほど残ります。
まずは左手に落ち葉に埋もれるようにして残る製茶工場跡に入ってみます。
片方の床が完全に抜け落ちちゃってますね。
外観はこんな感じ。

こうして見るとチャンとしてますが、かなり歪みが全体に出ていました。
有名なオート三輪の残骸。
今はクルマで到着することのできない秘境駅などと言われますが、かつてはここまでクルマが入れた物言わぬ証人です。
もう一軒の大きな廃屋にも入ってみます。

ここは階下の物置で茶籠や葉の選別機なんかが比較的良好な状態で残っていました。
狭いコンクリートの階段を登ると台所に出ました。

ガラス戸の向こうに製茶工場が見えます。
居室部分も荒れてはいますが意外にシッカリと残ってます。
手の込んだ障子の桟が時代を物語ります。
かつてこの駅は延伸する鉄道の一時的な終着駅であり、天竜川の水運で栄えた交通の要衝でもありました。
しかし戦後の佐久間ダム建設により、集落の大半は水没し、対岸を繋ぐ吊橋も切れ、そのまま山中に取り残されてしまったのでした。
最寄りの人家は15分ほど歩いた山中に1軒あるそうです。

限界集落の中を鉄道が走ってるようなもんですね。
色んな小物が残ってるトコからすると、かつては駅前のよろず屋だったのかも知れません。
屋外にあった風呂の跡。民家の風呂としては大きめなので、駅前旅館的なこともやってたのかも知れません。

遠くから機械の響く音が低く聞こえるので何だろうと見てみると、天竜川に浮かぶ浚渫船のクレーンの音でした。
浴室の手前に落ちてた陶製の湯たんぽ。

一瞬、巨大な丸虫かと思ってギョッとしました。
・・・・・・と、遠くから何人かの話し声が聞こえてきます。

やはり豊橋からの列車で降りてた人がいた模様。おそらく10:12の中部天竜行に乗るために戻って来たのでしょう。
駅まで戻って誰も降りなかったのを確認して(笑)、愛のベンチで二人して買ってあったコンビニ弁当食べ、再び製茶工場へ。

3人づれは中部天竜行の電車に乗って行きました。
何だか良く分からない機械が沢山転がっています。
特に分からなかったのはこれ。

ともあれ今は静まり返った中、ただゆっくりと朽ちて行くだけです。
大量に積まれた一斗缶は、横にあるボイラー用でしょうか?
かつてはそれほど多くないとはいえ、それなりの人口を抱え、産業もあったと思うと何とも遣る瀬無い気分になります。
立派なレジスターの残骸。

やはり、駅前ってコトで何らかの商売をしてたのでしょうね。
そろそろ電車がやって来るので、駅に戻ってきました。

ちなみに、駅ではこうして終始、保線区の人たちが架線作業をしていました。
駅舎の中にはキチンとボックスに入れられた寄せ書き帳が置かれてあります。

ええ、もちろん書き込みましたよ。
駅の裏側はこんな感じ。

大分ガタが来てるようで、つっかい棒が入ってます。
飯田線も駅舎の改築が進んで、開業当初の姿をそのまま残すのはこの駅を含めて今はもう数えるほどしかありません。
トンネルの遥か向こうが難読で有名な大嵐(おおぞれ)。

右に分岐してるのはかつての貨物側線。こんな風に敷設されるのは狭隘な地形ゆえでワリと珍しいかも。
小和田〜大嵐間こそが南北から延伸した飯田線最後の開通区間でした。ぞの全通には実に40年の月日を要しました。

その敷設は大変な難工事で、不世出の天才測量人と言われる川村カ子トを北海道から招聘して、ようやく開業にこぎつけたと言われます。
いや〜、ちょっと寒くてペースは上がりにくかったですが、小和田駅、存分に堪能させていただきました。
そうこうする内に11:19発511M・天竜峡行がが到着。思えば紺とクリームのツートンカラーの旧型国電が走ってた時代も遠い昔の話ですね。

暖房の効いた席に座るとアッと言う間に二人とも寝てしまいました。
・・・・・・で、再び川下りしかない(笑)天竜峡駅到着。

観光客とおぼしき乗客の大半は殆どがここで降ります。
それでも、時間的には観光客の繰り出す頃合いで、朝とは打って変わって駅前は僅かに賑わいを見せています。

「秘境駅もなか」ってのを買いました。
そう、珍しく観光客は日本人ばかりな印象でした。

最近、日本中どこ行っても中国人だらけですからねぇ・・・・・・。
天竜峡を散策しようかと思いましたが、後の行程を考えるとちょっと厳しいのでパスすることにしました。

クルマに戻って午後は一気に南下します。
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