「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2015 常磐(二日目・後半)

さらに南下してやって来たのは中郷坑跡。

道路沿いに巨大なホッパーが残っています。
ここは歴史的にも新しく、近代建築のような明快さが感じられる造りです。
常磐炭田の中では最末期まで残っていた優良炭鉱でしたが、昭和46年、大規模出水により坑道が水没し、突如閉山となってしまった悲運の歴史があります。
出水が始まり、閉山決定まで僅か2週間だったと言われます。
そして呆気なくこれらの施設はそのまま放棄されてしまいました。
元々近代化が進んでいたのを世界最深鋭の装置に更新し、さらに出炭量を増強しようとしていた矢先のことでした。
これが悲運の炭鉱と言われる所以です。
今は墓標のように悄然とホッパーが聳えるだけですが。
さらに上の方には選炭場が藪に埋もれてそのまま残っているのが見えます。
それにしても巨大なホッパーであることが良く分かりますね。
上の方は今は何かの会社の資材置き場になってるようです。
上にも巨大な遺構群がそのまま残っていました。
内郷より規模が大きいかも知れません。
この建物内はかなりまとまった設備が残ってそうですが、如何せん藪が凄い。
見下ろしたところ。

恐らくは貯炭場か選炭場と思われます。

高さは目測でここから見えてるとこだけでも4階建てビルくらいは優にあります。
内部に入ってみたいと思いましたが、ひじょうに急斜面にあるのと深い藪に阻まれ断念。

迂闊に踏み込むと実は足許が空洞になってて転落する危険もありますし。
今度は高萩炭鉱資料館。

高萩炭鉱は常磐炭田の中では最後まで残った一つで、露天掘りは昭和50年代半ばまで行われていました。
ひじょうに綺麗に整備されて展示されてるのが印象的。
こぉゆう説明って、もっとマニアックで専門的に書いて良いんぢゃないかと思います。

せめてグランピー鉱車とか。
館内は撮影禁止でしたが、この炭鉱を興した菊池寛実という久原房之助〜鮎川義介の流れを汲む実業家を顕彰する内容が多かったです。
かつてはここが炭住の中心地でスーパーやら映画館があったということですが今は全くその面影は残っていません。

閉山後、この地は「大心苑」というリゾート施設への転換を図りましたが、今はそれも無くなり、僅かにゴルフ場にその名を留めるだけです。
さらに南下してやって来たのは・・・・・・
JXや日産、日立グループ発祥の地である日立鉱山跡、現在の日鉱記念館です。
最初に言いますと、ここは世間の凡百の鉱山記念館を圧倒する完璧なまでの整備ぶりが印象的。

その分、廃墟感はゼロです。
日立グループのいわば「聖地」であって、今なお新入社員研修等に使われてるみたいです。
巨大な2基の立坑をバックに。
中の展示はまぁワリとベタですけど・・・・・・(笑)
フツーこぉゆう展示って埃まみれになってたりするんですが、とにかくピカピカ。
絶えず環境整備に力を入れてることが良く分かります。
大きな屋根に守られたジェフリーのL型電気機関車のコピー品。今の日本人の体格なら入れないくらいに運転席が狭い。

産業用機械らしからぬアーチ型の優雅なデザインの出入り口に工夫が感じられますね。
全体的に鋳物っぽい造りが特徴。

何はともあれ天下の日立製作所も最初はこんな軽便電車を作ってた、と。
園内の整備ぶりも大したものです。
立坑の下にはバッテリーロコ。
超広角でドーンと撮ってみました。
近代鉱山のマストアイテムであるホイルローダーもすぐに運転できそうなくらいピカピカ。
立坑に隣接する巻揚機室。
住友赤平坑で見たプーリーよりデカいかも。

ここもすぐに操業再開できそうなくらいに保存状態は素晴らしい。
さらにその隣の鉱山資料館。

展示物も面白いんですが、まず建物が凄い。金属が不足する終戦末期、木造で作られた巨大な空間が広がります。
素晴らしい梁の造形美。
もちろん手入れはしてるんでしょうが、70年経ってもビクともしてないのはよほど頑丈に作ってあるんでしょう。
繊細さとダイナミズムが同居した、これもまた産業の世紀のカテドラルと言えるでしょう。
スポットライトみたいに光が射し込んでいます。
巨大なコンプレッサー。
これもコンプレッサー。

こんなんばっかし作ってたら、そりゃ日立が重電得意になるのは分かります。
ズラッと並んだ削岩機。
これは深度計だそうです。
天窓から射し込む光に浮かび上がるクロスメンバー。
鉱山なのでもちろん人車も展示されてます。
ここのもやはりムチャクチャに狭い。
異様にメカメカしいけど何に使うものかサッパリ分かりません。
これが資料館全景。
最後に全景を一枚。

日曜日だというのに殆ど見学者は居ませんでした。
山を下ると精錬の中心地であった大雄山停留所。

トロッコ時代の待合室と言われます。そして見上げれば・・・・・・
・・・・・・日立の町のシンボルと言われた大煙突が見えます。

平成5年に台風で倒壊し、今は下約1/3、50mほどしか残ってませんが、未だに現役。
アップで撮ってみました。こぉゆう時クロップモード+300mmはベンリ。

下に見えるのは通称「阿呆煙突」。

政府の命令で言われた通りの構造で作ったら、役立たずどころか却って煙害がひどくなって早々に放棄されたというマヌケな逸話が残ります。
さらに町に降りて遅い昼食にすることにします。
巨大餃子で有名な「大吉」。

餃子5人前または3人前+大盛りチャーハンを45分以内に完食すれば5,000円貰えます。
他のメニューもどれも良心的な価格。

結構昼も過ぎてるのにお客さんが絶えずやって来ます。
大盛りチャーハンに餃子3個のセットにしてみました。

3人前ならあと12個、これなら何とか食えるかも知れません。
ヨユーで完食!
「大食いに挑戦してミナ!」とかなり挑発的(笑)。
無闇な爆盛り系っちゅうよりは、地元に愛される食堂という雰囲気でした。
今度は海沿いに南下して・・・・・・
何となもレトロな店の立ち並ぶ旧道沿い、
大甕倭文神社に到着です。

読み方は「おおみかしず」と超難読。
この裏山全体が「宿魂石」と呼ばれる磐座になっています。
取り敢えず登ってみましょう。
アッちゅう間にてっぺん(笑)。
上では地元の老人が一生懸命掃き清めていました。
小さいながらもミニ鎖場があったりと手結構楽しめますが、実はすぐ裏手はバイパス道の法面になっちゃってるのがちょと味気ない。
地名や駅名になるほど隆盛を極めた神社だったようですが、今はヒッソリとした雰囲気です。
さて帰路の途上、中途半端に時間が早かったので、ちょっと寄り道して以前から行きたかったトコに寄ってみることにしました。
通称「ブラックマンション」と呼ばれる、建設途中で放棄されたマンションです。

その筋ではかなり有名だったりします。
周囲は伸びた灌木に覆われてますが、意外にフツーに道路沿いに建っており、すぐに見付かりました。
一部は真鶴のブロックアートみたいなグラフィティが描かれてます。
しかし、このように本来の無機質で冷ややかなままで残ってる部屋が多いのは嬉しいですね。
独特の廃墟美を見せる階段。
屋上に上がってみました。

すぐ裏手には一戸建てが建ち並んでたりします(笑)。
中途半端な落書きは鬱陶しいですね〜。

チョー低能そうな感じで。
しかし、ここまで完成してるのに何で放棄されちゃったんでしょう?
比較的低層で階段の多い造りから80年代後半から90年代初頭の物件だろうとは想像がつくので、やはりバブル崩壊系でしょうか?
この物件の隣にも素敵な廃墟が・・・・・・。
あんなトコに穴空いててもハトしか入れんがな(笑)。
内部はあらかた機械類が撤去されちゃってますが、それでも廃工場らしい雰囲気が溢れてます。
光の具合もいい感じでちょっと撮ってみたかったな〜・・・・・・。
そんなこんなで常磐方面の廃鉱中心に回る今回の旅、最後はなぜか笠間の廃墟物件でお仕舞い。

後は淡々と東京に戻りました。
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