「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2015 福島~茨城(二日目)

翌朝。

廊下の色褪せた赤絨毯がこれまた昭和の雰囲気。
え!?まさかホンモノ!?マジっすか!?
全体的に館内にはヤレた雰囲気が漂ってます。

この反対側に卓球台があってシブかったんですが、撮影し忘れました。
建物全景。
爽やかな高原で足掛かりも良い場所なんで、もう少し流行っても良いように思いました。
昨日の大人しい犬は小屋の中で寝てました。

「雪」って名前のメスのようです。
旅行会社のプレートが並べられた昔ながらのロビー。
朝食が出来ました。

左上から山クラゲ、高野豆腐、ハムサラダ、鮭、海苔、漬物・・・・・・と、極めて定番のメニューですね。
あとは、玉子焼に納豆。

個人的に夕食は凝った献立でも気になりませんが、朝食はこれくらいのフツーのがシュミ。
私もヨメも、朝からあまりややこしいの食べると気分悪くなったりするんですよね~。

フツーがいいっす、フツーが。
さて、一気に山越えして十数年ぶりに「塔のへつり」にやって来ました。

ヨメがマニアックでマイナーなトコばっかしぢゃなく普通の観光地にも行きたい、っちゅうんで急遽コースに組み込み。
ちなみにへつりは「岪」と書くそうです。

道路や鉄道が繋がってこの辺への首都圏からのアプローチは随分便利になりました。
要は、川っぺりの崖が浸食と隆起を繰り返してできた回廊状のモノですね。
朝早いのでまだ誰もいません。
対岸の洞窟に入ってみることにします。

昔来たときはそぉいや一人旅でした。
虚空蔵の御堂が崖にはめ込まれてます。
内部はこんな感じ。
う~ん、イマイチ空模様が宜しくないですね。
意外に良く揺れる吊橋で実はかなりビビってます(笑)。
ああ、そぉいやこの店で茸が生えた木を模った置物を昔買いました。
そのままさらに山に上がって大内宿。

恐ろしく広い駐車場。
昔来た時からこんなんだったけかな?
あ!ツバメだ。

かなり大きくなってますね。
まだ開店前の店を恐る恐る覗くの図(笑)。

実はスゴく気が小さいんですよ。
今は残る街並みはすべて何らかの観光施設になっちゃってます。
まぁ、さしたる産業もない地方の貴重な現金収入なのかな?と。
宮本常一が「発見」してなかったら、とっくの昔に消滅してたと思います。
大分観光客の姿が増えてまいりました。
基本的に人がいないうちに行動するのが私たちのパターンです。
ウジャウジャいると鬱陶しいんですよね。

そぉいった意味で最近はホントどこに行っても中国人が溢れてるのが悩みの種です。騒がしいし、ガサツだし。
ここにはそれほどいませんでしたが。
村の奥の鎮守。

見事なまでにほとんどの建物が軒の深い藁葺きです。
大内宿、っちゅうくらいで元は宿場町でした。
家々の前を流れる小川ではジュースが冷やされてます。
ホンマに冷たい!
通りから奥に細長く伸びて建てられてるのが特徴的。
昔から有名だったっけ???

実は食いにくくって仕方ないんですけどね。
これも演出か!?と言いたくなるほど見事に街並みにハマったネコ。
今でこそこうして会津の一大観光スポットとなってますが、宮本常一が最初、この街並みを保存すべきと主張しても、地元民は大反対だったと言われます。
田舎の価値を一番分かってないのは田舎の連中である、ってこってすね。
さて、一気に鬼怒川方面に南下してやって来たのは、誰もいない山中の小駅。

崖下に架線が見えます。
関東から最も近い秘境駅として有名な男鹿高原駅です。
1日の乗客数がたったの一人!(笑)。

ちょっと離れた国道沿いの土産物屋の息子さんが学校に通ってるとか。
実際、階段の踊り場付近には現役っぽいママチャリが一台置いてありました。
しかし、こんな山の中ではありますが、ここから浅草に直通できるのはかなりの強みかも。
何だかんだで待ってりゃ電車は来るわけですから。
・・・・・・何と律儀な表現!(笑)。
ホームは一面一線、崖下ギリギリにあります。

う~む、それにしても天気がパッとしませんな。
お~!電車チャンと走ってるやんか!・・・・・・って、意外にダイヤは密でした。

ちなみにココ、数ヶ月前に駅前近くで行き倒れ死体が発見されたり、少し奥の鉱山跡では硫化水素自殺者が発見されたりと、冷静に考えるとかなり怖いスポットかも・・・・・・。
さらに南下し塩原から今度は東進、大田原~那珂川とダーッと横切って到着したのは、古典的チンマン脱力スポットである「御前岩」。

夫婦和合の象徴と言われます。
水戸光圀がこのようなモノを衆目に晒しちゃいかん、っちゅうて対岸の道沿いに竹をビッシリ植えさせたとか何とか・・・・・・。
時代劇では大人気の水戸の御老公ですが、実際は藩内をウロウロするだけだったようです。
後方が、それ。

まぁそう言われればそうだよね、って感じですな。

少し離れたところにかつては「オンマラ石」っちゅうのがあったそうです。オンマラはやはり「御摩羅」でしょう。
今はあまり観光地として流行ってる感じはありませんでした。
それでも近くにはポツンと観光センターがあったりします。
こ、これは展示物としてはあまりに怖い!

日本人形って怖いから嫌いなんですよね。姫ダルマなんかも嫌い。
さらに走って旧・上岡小学校跡。
電灯が点いてることからもお分かりのように、今は観光施設として綺麗に保存されてます。

ドラマのロケ地としても何度も使われてるようです。
太子町はフィルムコミッションが盛んで、こうした古い建物を積極的にロケ地として撮影クルーを招聘しています。

ここも腰据えて撮りたかったんですが、時間が押して来てるので次へ。
いやもう、どうしても今回はここに来たかったんですよ。

本州最後の金山だった栃原金山です。
山小屋みたいな形の鉱山事務所跡は外壁が落ちて、建材が剥き出しの異様な姿で残っています。
案内板も枠だけが寂しく残ります。
歓迎のアーチも同様。

97年の閉山後、観光坑道として再起を図ったものの、如何せん規模が小さすぎたのと資金難であえなく夜逃げとなったそうです。
ヌタヌタの林道を3kmほど上がるとありました。

手前の草に埋もれてるのが鉱石ホッパー。奥が選鉱場です。
選鉱後の粉砕された鉱石の山。

ちなみにこの金山、規模は小さいながらもトン当たり30gとかなり高品位でした。また、閉山も金相場の下落と主坑道の落盤によるもので、鉱脈自体はまだまだ枯渇してないようです。
ともあれ戸板の破れ目から選鉱場跡に入ってみることにします。
うわお!

廃鉱山で良く見かける雛壇状の巨大選鉱場からするとかなり小さいですが、吹き抜けになった通常のビル4階分ほどもある巨大施設は迫力があります。
機械類に説明板が付いてるのは、観光坑道として再起を図った時の名残でしょう。
こちらは草に埋もれたトロッコの軌道跡。

300mほど奥には坑道入口やバッテリーカーがそのまま残るようですが、雑草が凄くて諦めました。

期待通りの素晴らしいロケーションでここでも大量に撮影。
随分熱中して遅くなってしまいました。たまたま見かけた「翁」って店でお昼にします。

「犬」はまぁ分かるんですが、「馬」なんて繋ぐ人そもそもおるんかい!?(笑)
最近は昼、蕎麦にすることがめっきり増えました。
汁なし・・・・・・あ~、要は替え玉みたいなモンですね。
中途半端な時間なので他にお客さんは誰もいません。
待つことしばし、天ざる到着。
蕎麦が増えたのはそりゃまぁ歳のせいもあるんでしょうが、最近になってヨメが蕎麦好きになったっちゅうのもあります。

以前は饂飩派で、蕎麦はボソボソしててあまり好きではないとのコトだったんですが、何となく味が分かり始めたんだそうです。
・・・・・・気付くの遅いわっっ!(笑)。

いや、それにしてもここの蕎麦は美味かった。ちなみに奥久慈は実は関東有数の蕎麦の名産地だったりします。
そんなこんなで駆け足の今回の旅行はここでお仕舞い。

あとは一路常磐道で東京に戻りました。

他の撮影に時間を取られて、こちらの道中記の方がいささか物足りないボリュームになってしまいましたね。お粗末さまでした。
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