2012 羽幌〜夕張(三日目) |
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いささか二日酔い気味で迎えた朝。
簡素な食事で助かります。手前より鯖の塩焼き、トマト、ほうれん草お浸し。 |
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しかし一品一品はどれも美味い!
これは根竹の玉子とじ。 |
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あとは味噌汁とご飯だったかな?
左にあるのはルームキーです。 |
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雨模様で一気に道央道を旭川から南下して、やって来たのは三笠の市立博物館。
曇天の下、FRPの恐竜が首をもたげています。 |
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どうしてこぉいったしょうむない顕彰碑みたいなものを立てたがるんでしょうね。
どいつもこいつも田舎町の議員って、アタマ抱えたくなるセンスの悪さ。 |
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でもまぁここはどぉでもいいんです。
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川向こうのサイクリングロードの奥に見に行きたい場所があります。 |
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この辺もかつては炭鉱だらけでした。 |
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・・・・・・で、でけぇ!! |
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ちょっと山道を上がったとこが目的地。
旧幾春別坑です。ここは現存する炭鉱施設の中では最も古い形式が残っていると言われます。 |
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動力室の跡だと思われます。
いい感じの廃墟物件ですが、床はエゾシカの糞だらけなのが難点。 |
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広角で撮ったので広く見えますが、実際はもう少し小さいです。
実はこれらはみんなテストショット。 |
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巻揚機のプーリーも古風な印象ですね。 |
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その外観。
余談ですが、北海道の建造物群の建材となった赤煉瓦の工場が江別駅近くにあって、これも撮影欲を刺激するものです。 |
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隣は変電所跡かな? |
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それにしても天気がパッとしませんね〜。 |
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こちらも廃墟らしい廃墟と申せましょう。 |
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ただ、雨上りってこともあってか猛烈な藪蚊の襲来! |
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もう少し草が枯れた頃に再訪したいと思います。 |
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続いて幌内の奥、森の中に忽然と現れる有名な変電所跡にやって来ました。 |
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ここもまた、とても絵になるロケーションです。 |
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決して廃墟マニアではないのですが、産業遺物の持つ独特のオーラのようなものは大分分かるようになってきました。 |
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ちなみにこの辺も全部テストショットです。
服が替わってるのはまぁあまり深く考えないように(笑)。 |
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碍子の破片が一杯。 |
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建物はたまに何かの会場として使われることがあるようで、内部に入ることはできませんでした。 |
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隣には神社に上がる階段。 |
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そしてここにも無数のデンデンムシ。 |
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本州にいるのと種類が違うのか縞模様がありません。 |
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そしてとにかくデカい!!
フランス人なら喜んでしまいそう。 |
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しっかしこんなにノロい生き物でも接写でシャープに撮るのはむつかしいですね。 |
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そうして次にやって来たのは空知地方最大の負の遺産である「夕張石炭歴史村」。
これは野外ステージ。 |
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閉館済です。
とにかくだだっ広く、誰もいません。 |
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こんなんでも一応営業してる、というのがスゴい。
奥に見えるのが中央立坑。 |
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鎮魂の碑、だそうです。
世の中、屋外でも銅像だとハダカOK、って昔から最大の謎。プラカラーでリアルに塗ってもOKなのかな?(笑)
作者を見ると佐藤忠良ぢゃあーりまおんせん。 |
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閉鎖したところだらけの情けない料金表。
あっ!自分が写り込んでしまった! |
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何はともあれ入ってみることにします。
まずは巨大なコンプレッサー。 |
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バカデカい原炭。
それぞれに発熱量が記されてあるのがマニアック・・・・・・それだけ夕張が有料炭を産出したことをアピールしたいんでしょうが。 |
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友子制度を解説するマネキン。まぁ、ヤクザの世界で「盃をもらう」っちゅうのと考え方は同じです。
他にもいろんな展示物がありましたが、我々以外のお客さんは見事にゼロ。 |
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立坑ケージ、っちゅう安っぽい仕掛けのエレベーターに乗って |
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いよいよ地底探検の始まり始まり始まりぃ〜。
あ〜、ボク、ワクワクするな〜、タノシミだなぁ〜(棒読み)。 |
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よくあるパターンで、年代別にマネキンが並んでる「だけ」です。
無人のトンネル内に自動音声のナレーションだけが虚しく響きます。 |
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ちょっと近代化されました。 |
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だいぶ近代化されました。第二次世界大戦前後くらいでしょうか?
いずれにせよ全部ハリボテ。 |
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改行位置が根本的に間違っておる!!(笑) |
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超近代化されました。 |
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・・・・・・が、その時にはすでに業界そのものが終わってましたとさ。メデタシメデタシ、ワッハッハ!ってか!?
ここから私たちは一体何を学ぶべきなのでしょう? |
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しっかし悪趣味なマネキンやな〜。
手に斧でも持たせた方が似合うかも(笑)。 |
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奥にヘルメットを貸し出すところがあって、そこからはかつての坑道をそのまま使用。 |
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あまりに真っ暗でもうAFが迷いまくり。
たまにこうしてどえらいシャープに撮れたりする。 |
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実際には斜坑を流用して拵えたもののようです。 |
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ポン焚きに浮かび上がる妙にリアルなマネキンたち。 |
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いい加減飽きて退屈になって来た頃、地上に戻りました。
こんなどこにでもありがちな中途半端なのより、安全責任への誓約書でも書かせて、ケージで地下千メートルまで降ろして石炭掘らせた方がアトラクションとしては優れてると思うのですが。 |
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夕張の発端となった石炭の大露頭。
国内の炭鉱では最大級の厚さです。 |
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隣に建つ「炭鉱生活館」がオマケで無料になるので入ってみることにします。どうせマネキンが並んでる「だけ」でしょうけど。
クソゲーをバンドル販売するのと一緒ですね。ま、ここの場合、本命ネタもクソゲーなんですが(笑) |
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ほらやっぱし!
エイリアンみたいな顔したガキですな。 |
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何をここで訴えたいんでしょう?伝えたいんでしょう? |
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昔の炭鉱の生活はこうでしたよ〜、ってただ並べられても「あ〜、そうだったんですか」としか答えようがない。 |
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あ、炭鉱をダメにした連中だ。
いかにも仕事せずに金だけせびる怠け者の顔に作ってあるのは、皮肉が効いてていいですね。 |
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昭和への郷愁とかつての炭鉱の栄華への郷愁をすり替えて、人に阿るような感じがあります。 |
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文字通り壁紙(笑)。
こうしてみると貧しかったように見えますが、戦後、炭鉱の生活水準はかなり高かったのです。 |
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何だかドッと疲れました。
欲に駆られてヘタに手を入れたおかげで、歴史的建造物としての、あるいは景観保存地区としての価値を全部失くしてグダグダになった救いがたい例と申せましょう。 |
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唯一、閉山後マトモに足が地に着いた商売として定着したのはこれだけ。 |
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ヨメは2個買って帰りました。
後日訊くと、ムッチャクチャに甘くて美味かったそうです。 |
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それにしても、これだけの数がさばけるほどお客さんは来るのでしょうか? |
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そろそろお昼にしようと夕張鹿鳴館に行ったら、「時間過ぎてるんで」と断られてしまいました。
過ぎてるたって3分なんですけど・・・・・・財政破綻してる町の自覚ゼロ。 |
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仕方なく夕張駅まで戻ってきました。
かつてはもっと奥に駅があったのですが、閉山と共に駅は手前に移転し、味も素っ気もないものになってしまいました。 |
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ホテルレースイも同様の理由で断られ、駅舎の中の喫茶店「Luce Solare」に入ることにします。
はためくのは黄色いハンカチ。 |
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「夕張ナポリタン」っちゅう普通のナポリタン。強いて違いを挙げるならオリーブオイルが半端なく大量に使われてることくらいかな? |
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「夕張ペペロンチーノ」っちゅう普通のペペロンチーノ。やはり油の使い方が大胆、王将の炒め物もビックリ(笑)。
パスタの茹で加減がひじょうに良く、空腹だったこともあって美味しくいただけました。 |
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そんなこんなで帰りの飛行機の時間もあり、今回の旅はここでお仕舞いです。
炭鉱や廃墟がメインで、興味のない方には退屈だったかも知れません。お粗末さまでした。 |
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