「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2012 羽幌〜夕張(初日前半)

木漏れ日の差し込む森の中・・・・・・
稚拙な小熊の像・・・・・・
こここそが日本最大の獣害事件である「三毛別羆事件」の現場です。
昔、吉村明の「羆嵐」を読んで以来、機会があれば訪ねてみたいと思ってたところです。

今回の旅はこんな、まことにシブいスポットから始まります。
事の委細顛末は目を凝らして読んでみてください。
こんな風に当時の状況が再現されてます。

それにしてもクマ、デカ過ぎやしません?これぢゃ怪獣だ。。
それよりなにより驚いたのは、再現された当時の家の粗末さ。こんなんただの掘っ立て小屋ですがな。

冬は恐ろしく寒かったと思われます。
今は、取り立てて何もない苫前町の貴重な観光スポットになってます・・・・・・が、誰も来ません。
ただもう、夏の日差しが眩しいだけの静かな場所です。
風でスカートが提灯ブルマみたいになってますね(笑)。
ちなみに今はもう羆が出没しないか?っちゅうと、これがもうフツーに出て来るような山奥です。

あちこちに注意喚起の看板が立っていました。
そのまま海岸線に出て北上し、羽幌に到着。
昨夜が寝不足でちょっとクルマに酔いました。
フェリー乗り場の駐車場にはクルマがぎっしりですが、人が誰もいません。
それもそのはず、みんなここにクルマ置いて島に観光に渡ってるのです。

利尻・礼文と異なり小さいので、徒歩でも十分回れるらしい。
ペンギンではなく絶滅寸前のオロロン鳥。

札幌から稚内までの海岸線は通称、「オロロンライン」と呼ばれてます。
閑散としたフェリー待合室。
その傍らにあるのが隠れた名店として有名な「みなと食堂」。

「幸福の黄色いハンカチ」の幟はリメイク版のことですね、多分。
お値段どれも大衆的で実によろしい。

しかし、頼むのはもちろん・・・・・・
これ!これでっせ!

夏の北海道といやぁ当然これっしょ!?
ご飯が見えないほどウニがてんこ盛りになって、お値段僅か2千円也!お盆の安っぽさはご愛嬌。
ちなみにこれはムラサキウニで、身の赤みが強いバフンウニが昨今は珍重される傾向にあります。

でも、こっちの方がクセ無くて甘みが強くて私は好きですね。
ワクワク♪

ウニはヨメの大好物。
ヘギの舟に並べられてスーパーに置いてあるのとは、やっぱ味も食感も粒の大きさも全部違いました。
カモメのエサは魚の骨。

買って遊ぼうかとも思いましたが、あまり時間の余裕もないので急ぐことにします。
お腹も一杯になったところで、内陸部に向かっていきます。

道路沿いに見える廃線跡は羽幌炭鉱鉄道。当時の車両は、今は茨城交通にあります。興味のある方は過去のギャラリーを見てください。
荒れ地の中に忽然と現れる築別坑の巨大なホッパー。

これまで見た中では美唄に次ぐ大きさです。
今は人っ子一人いない原野が広がっていますが、かつてはここに1万人規模の町がありました。
どうしてホッパーの下って必ずぬかるんでるんでしょう?
廃鉱特有の、コンクリートの灰色と雑草や苔の緑だけの森閑とした世界が広がってます。
あまりこぉゆうものに興味を示さないヨメ・・・・・・ま、興味示す方が少ないでしょうが(笑)。
見上げたシューターから僅かに見える空。
ここに何両も繋がった黒い貨車の列が連なっていたとは今となっては信じられません。
羽幌の炭鉱群は日本の炭鉱としては開発が新しく、産出される石炭もひじょうに良質だったと言われていますが、1970年に呆気なく倒産、ほどなく閉山しています。
それにしても藪蚊が凄い。

撮影には必須の虫除けスプレー忘れたのは失敗でした。
色褪せた看板が草に埋もれています
奥にある炭鉱住宅跡にやって来ました。

周囲は一面の更地となっていますが、この辺が町の中心部だったようです。
振り返ったところ。
当時としては超近代的な鉄筋コンクリート4階建ての公団住宅タイプです。
完成は昭和44年と言いますから、閉山の僅か1年前。
東京・大阪近郊のニュータウンにも負けない立派な作りです。
私も昔はこんな形の団地に住んでました。
中に入ろうと思いましたが、ヨメが怖がるので断念。

まぁ確かに、このような廃屋には独特の「どこかからの強烈な視線」が感じられますよね。
思うに、こういった豪華な福利厚生関係の設備が経営を圧迫し、突然の倒産に至ったものと思われます。
羽幌炭鉱は実業団活動にも熱心だったと言われ、いろんなスポーツ選手を輩出しています。ある意味、放漫経営だったのかも。
誰や!?こんな悪趣味なコトしたんは!?
消防署の跡。

昔は上に建物が乗っかってたようですが、崩壊しちゃってます。
今は農機具小屋として使われているようです。
しかし、どこも埃まみれで倉庫として放棄されちゃってるのかも知れません。
廃鉱には付き物の巨大な発電所の煙突。
診療所跡。
2階から上は妻面を残して殆ど崩れ落ちています。
その内部。

迂闊に入ると腐った床を踏み抜きそうなのでやめました。奥が明るいのは建物が崩壊して2階がなくなっているためです。
比較的地元の馬鹿ヤンキーにも荒らされていません。

廃墟の天敵は1に気候、2に雑草、3・4がなくて5に馬鹿ヤンキーと申せましょう。
羽目板の抜け方が西部講堂みたい(笑)。
そういえば、昔の窓口ってみんなこんな御影石でできていました。
車寄せ部分が非常に深くなっているのは豪雪地帯だからでしょう。
滅びには確かに美しさがあるような気がします。
続いてやって来たのは太陽小学校跡。

今は材木屋の資材置き場として使われています。
ここもまたとても近代的な作りが特徴。

完成後、僅か4年で廃校になったと言われています。それほどまでに炭鉱の閉山は青天の霹靂だったのでしょう。
有名な円形体育館。
このスピログラフのような大鉄傘の造形美には思わず息を呑みました。素晴らしい!

一体全体収容人数どれだけなのか、とにかく巨大です。
周囲は空地だらけで人なんていないんだし、フジロックの会場ここにして爆音出しゃいいのに(笑)。
一度は青少年山の家みたいにして再利用されたこともあったようですが、それさえも今は廃止されています。
多くの子供たちが遊んでいたであろう校庭も今は、ただの草ぼうぼうの原野になってしまいました。
羽幌坑に向かう途中にある北辰中学校跡。
L字型に配置された細長い2棟の校舎が特徴的です。
ここもまた内部は農機具置き場となっていました。
先ほどの太陽小学校もそうですが、この中学もできて僅か10年で廃校になっています。
実に勿体ない話ですが、早めに閉山を告知すると、閉山反対闘争とかが起きて却って面倒なので、ギリギリまで引っ張って黙ってたんぢゃないか?という風にも思えますね。
そうこうするうちに羽幌坑に到着。

ここには背後の巨大なホッパーだけでなく選炭工場や中央立坑も現存しています。
なお、今回からカメラがD7000に変わってるんですが、これがなかなか思ったように写ってくれません。
築別同様の構造のシューターが規則正しく並んでいます。

こういった漏斗型のシューターの方が年代的に新しいのかも知れません。
歴史のある空知方面は、V字型になった壁面に穴の開いてるタイプが多いですから。
本当に、何かの神殿跡のような雰囲気があります。
薄暗い中でISOを落としてシャープに撮るのは実にむつかしい。
壁一つ挟んだ隣にも同じような空間が。

壁が大きく内側に歪んで来ており、そのうち崩壊しそうです。
なお今回の旅行に関しては、温泉は殆どありません。

北海道でも心の底から行きたいな、と思える温泉で未訪のところがもう殆ど無いんです。
そんなんで最近の自分の中では、こういった廃鉱巡りの方にむしろ興味を惹かれています。
・・・・・・まぁ実は、こんな旅の途中でも、ご紹介できない写真を多数撮ってたりはするんですが(笑)。
ホッパーの全景。

いかにも広角らしく撮れました。
現役時代の威容はどれほどのものだったかと思わされます。
少し離れたところにある坑口入口はは草叢に埋もれていました。
立坑はちょっと近づけないほどの藪に覆われてしまっていました。

余談ですが、この下には今なお、判明しているだけで数千万トンの原炭が手つかずのままになっているそうです。

午後は海岸線を南下していきます。
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