「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2012 赤平〜神居古潭

赤平の手前、特段申し上げることもない平凡な田舎道の外れ・・・・・・
モデラー心をくすぐる古びた集会所の前にクルマを停め・・・・・・
細いダートを上がって行きます。
タンポポの綿毛がいっぱい。
・・・・・・ここも出るんですねぇ。

それにしても「擬似電気柵」って何だ!?
単なる林道にしか見えない道のすぐ傍らに、
福住炭鉱のホッパーは静かに緑に埋もれていました。
藪をかき分けて近寄ってみます。
漏斗状のモノが三連並んでいます。
緑は情け容赦なく内部まで侵入してきています。
調べたところによるとこの炭鉱は、大規模炭鉱揃いの赤平〜芦別の中ではかなり小規模で、操業期間も昭和30年からの10年ほどしかなかったそうです。
一般的な形式と異なるのは、積み出しが貨車ではなくトラックで行われていたからでしょう。
恐るべき木の生命力。

シューターの穴から幹を伸ばしています。
産業遺構にはたしかに、アブストラクトな造形美があります。
これくらいの規模なら鉄道模型のレイアウトでも再現できるかもしれません。
古い玩具が打ち棄てられていました。
何もかもがひっそりと森に埋もれたまま朽ち果てて行ってます。
シューターから見上げるポッカリ空いた明るい空間は、ある意味バタイユの世界っぽいかも知れない。

・・・・・・すみません、ワケ分かんないこと言って。
少し上がったところにもう一つの廃墟。

これだけグチャグチャになっては良く分かりませんが、選炭工場の跡ではないでしょうか。
崩れ落ちたトタン屋根。
ちなみにこの日は超広角が不調で、仕方なく多くを18-55mmで撮ってます。
右上に残る看板。僅かに「所」の右半分の「斤」の字が残っています。
 
元はこんなんだったみたいです。
ここも緑が一面に覆っています。
閉山からおよそ50年、残骸となりながらも良くこれだけいろんなものが残ってるものだと思いました。
運悪くエネルギー政策の転換期に誕生し、規模は小さいくせに爆発事故だけは大きなのを起こしてアッと言う間に消えて行った福住炭鉱、いつかまた、改めて訪問したいと思いました。
続いてきたのはココ。
ひじょうに有名物件なのでご存知の方も多いでしょう。
赤間炭鉱選炭工場跡です。
あたりは一面の広大な空き地。
かつては何条もの線路が並び、無数の石炭列車が行き交い、施設が建ち並んでたとは到底信じられません。
赤平駅が遠くに見えています。
多分コンベアか何かの脚だと思います。
ホントは上にさらに建物が乗っかってて、選り分けた石炭を下に貯めて貨車に落としてたのかな?と。
後ろに回ってみました。

大きさはかなりあります。高さ7〜8mといったところでしょうか。
朝の曇り空が嘘のように、雲一つない快晴になりました。
そんな明るい景色に背を向けて、内部突入(笑)。

地面は堆積物で埋まってブヨブヨになっています。
規則正しくシューターが並ぶのはここも同じ。
いつでもこんな景色を見るたびに、あと10年早く生まれてたらなぁ、と思います。
そしたら、こんな建物の内部には入れなかったんでしょうけど。
通り抜けました。
しかし、標準の18-55mm、ナカナカ良く写るやん。
もうすぐ夏草に埋め尽くされてしまうのでしょう。
まるで何かのモニュメントのようです。
ちなみに後ろの山はすべてズリ山。

777段の階段を上がれば展望台があるそうですが、パス。
赤平最大の産業遺構である住友赤平炭砿立坑。
わりと最近まで操業してたので造りはかなりモダンです。
鉱山の木造羽目板張りのイメージからすると、近代の廃工場の雰囲気ですね。
ここは今でも年に何度か一般公開しています。

そのためかチャンと草も刈られてます。
電線やケーブル等を巻きつけてたものでしょう。
立坑のシンボルとも言える櫓。
伸びる夏草をバックにアップで撮ってみました。

巨大な滑車が付いています。井戸の枢と同じですね。
奥に向かって伸びる鉛丹葺きの細長い平屋はずいぶん古いもののよう。
こちらも上には何らかの動力小屋らしきものがあります。
このやれた感じはいかにも廃墟っぽい。
閉山からまだ20年も経っていないのにこの崩れよう。

使われなくなると急速に建物は痛んで行きます
道路の反対側にある坑口浴場。
共同浴場としては巨大と言って良い大きさでした。

ここで軽自動車停めて降りてきたオジサンに声を掛けられました。
何と何と何と!!特別に内部を見学させてくれるとのこと。

元の従業員の方で今はボランティアでガイドやってて、何でも今日は大学の調査団が来るんで、その準備しようとしてやって来たんだそうです。
おそらくは元の従業員詰所。

薄緑のペンキがレトロ。昔は駅や工場ってこんな色に塗られてるのが多かった。
そして通路を抜けた先の光景に息を呑みました。
圧倒的な空間が広がっています。

奥に聳えるのが立坑の櫓。中央が鉱車を上下させるエレベーターの巨大なフレームです。
天井までの高さはおよそ30m。

薄暗い中、差し込む光に浮かび上がるその情景は荘厳とも言えます。
完成は昭和38年、総工費実に20億円を投じて作られたものだそうです。

今のレートで言えば300億円くらいでしょう。
今でも少し手直しすればまだまだ使えそうな雰囲気。
人車は斜坑で使うもので、ここでは使われなかったが展示のために持ってきたそうです。

人は背後の巨大な4階建てエレベーターに乗って、秒速12mという猛スピードで地下1,100mまで上り下りしてたとのこと。
いろんな鉱車がありますが、実際に使われてたのは黄色いヤツ。

ちなみに背後の水色の小屋ですべて遠隔操作してたので、バッテリーロコ等は存在しなかったらしい。
2階に上がると巨大な巻き取り機。

櫓の上のプーリーと同じ直径。
これはモーターでしょう。黄色いのは巨大なホイストのフック。
ここにも操作小屋があります。
右に見える配電盤には真空管が使われてありました。

上部の桁がホイストの本体。
巻揚げ機を止めるブレーキもこれまた巨大なもの。
2階より立坑を見下ろす。
そこだけ陽だまりとなった鉱車出入口。

この直下に巨大な縦穴が開いています。
エレベーターのフレームを見上げる。

オジサンの話によると、まだ埋蔵量の数パーセントしか掘り出してはいないのだそうです。
かつては石炭の副産物であるメタンガスが各戸に行き渡り、ガス代の心配することなく暮せたのだとか。
これが先ほどの古い平屋建ての建物内部に当たる部分。

空の鉱車を並べて置くところだと思われます。
ものものしい扉が鉱車の出入り口。
人の乗るエレベーターの籠。

18人乗りが4階建てになっており、定員72名。むき出しなので随分おっかなかったらしい。
一番多い時で4千名が働いていた巨大炭鉱も、今は森閑と静まり返っています。
昔はココから道路の下をくぐる通路があって、それで風呂に入って帰ってたこと、余りの従業員の多さにロッカー室作ろうにも広すぎて大変なので、天井一面に鍵のかかる籠をぶら下げてたこと等々、懐かしそうに話されてました。

本当にありがとうございました。
時間に余裕があるので、旭川の神居古潭にまでやって来ました。

旧国道沿いに1軒だけ残る商店。
オバチャンがドラム缶の釜でトウモロコシ茹でてます。

1本250円也、当然買いました。
その隣には「しそジュース」なるもの。

1杯100円也、当然飲みました(笑)。ついでに1本買いました。
かつては駅前商店だったんでしょうが、今は観光客相手の茶店で頑張ってるようです。
・・・・・・で、神居古潭とは何ぞや!?っちゅうと、かつての国鉄の難所と言われた、山が川に迫ったところです。

まぁ旧・保津峡駅とか旧・武田尾駅とか、そんな感じですね。
今はトンネルが出来て、この区間は廃線となりました。
そもそも100人もいっぺんに人が来るのか?こんな地味なところ!?
吊り橋って何かときめきます。
穏やかな流れに見えますが、すごく深い淵になってるらしい。
随分歪んですり減った石段。
旧・神居古潭駅に着きました。
今は綺麗に整備されて、休憩所となっています。
石積みのホームが歴史を感じさせます。
駅舎内部の様子からすると、オリジナルの建物ではなさそう。
精巧なレプリカ、ってトコでしょうか。
近くには蒸気機関車が3両。

北海道タイプの切り詰めたデフが特徴の29638は函館から苗穂、最後は名寄にいた機関車。
青天井の静態保存としては比較的キチンと手入れされた状態で展示されています。

C57201はラストナンバー。俗に言う4次型。長く小樽築港に在籍したのち旭川で最後を迎えた機関車。
これも北海道タイプの切り詰めデフD516は俗に言うナメクジ。

最後は北見にいた機関車。
各部のお手入れもそれなりですが・・・・・・
まぁ、もう動くことはないんでしょうね。
今はサイクリングロードとなった線路跡がトンネルに吸い込まれていきます。

この後は旭川でラーメン食べてまっすぐ帰りました。

またもや地味なことこの上ない産業遺物巡り、ご退屈様でした。
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