「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2012 南美唄~八ノ沢

 
5月とは思えない、小雨が陰気にそぼ降る午後、思い立って再び美唄を訪ねました。

高速のトンネル上に最初に目指すポイントがあります。
ダートを上がって行くと、錆びて蔦の絡みついた鉄塔なんかがあったりします。
まだ、雪が解けたばかりで雑草はそれほど伸びていません。

何となく人工的な平地の向こうに見えてきました。
到着しました。三菱美唄炭鉱南坑の廃墟です。
選炭ポケットだと思われます。

その造形には思わず息を呑むような迫力があります。
真っ赤に錆びながらもシューターが残っています。
ここの特徴は、後から耐震補強でもしたのか?と訝しんでしまうほどに柱が多いこと。
実際、これでは下に貨車やトラックも着けることができません。

ひょっとしたら高速道路建設時、転がり落ちないよう本当に補強の柱を入れたのかも知れません。
斜面上部にも細かい柱が林立しています。
辺りではシダが成長中。

ゼンマイですね。これくらいなら美味しく食べれそう。
斜め前から見上げた全景。
正面から。

こういったアングルは超広角の本領発揮ですね。
恐らくあと1ヶ月もすれば、近寄るのも嫌になるくらいにブッシュで覆われるでしょう。
ちょっとこれは長けてるなぁ~・・・・・・って食うことしか考えてないのか!?(笑)。
やはりその形状や細さ、劣化の少なさからして、多角形の柱の方は後から挿入されたと見た方が自然に思えます。
この独特の空間はしかし、廃墟に興味のない人でも一見の価値があります。
シューター越しに空を見上げてみました。
上部の方の建物に向かうことにします。
お!フキノトウだ。
石炭の間から芽を出した、何だか良く分かりませんが、とにかく花。
上部の方もだいぶ土砂で埋まってはいますが選炭ポケットでしょう。

先にカーブして伸びてるのが何かは不明です。引上線かな?
密生した苔が美しい。
下とは若干形状が違いますね。
元々はその手前に覆いかぶさるように別の建物があったように見えます。
最初に見た方を背後から。
それにしても、まるで神殿跡のようだ、と言われるのも頷けます。
ちょっと足を乗せるのも躊躇われるような木の階段。
こちらが用途不明の建物の下。

吹き抜けで上部は平らになってるので、何か大きな建物の基礎だったのかも知れません。
裏に回ってみたところ。

ちなみに南美唄は今でも現役の炭鉱で、ここから少し上がったところで露天掘りで採炭を行ってるそうです。意外なことに、原油高騰と反原発の流れの中で、今や石炭は発電所用燃料として引っ張りダコだそう。
旧美唄鉄道沿いに奥地に向かいます。

一部でひじょうに有名な、コーヒードリッパーのような選炭ポケット。
そしてやって来たのは、以前地元のジジィに「行かん方がエエよ、ヒッヒッヒ」と言われ、ビビッてパスした沼東小学校跡。

昭和30年代初頭、各地で建てられた円型校舎の廃墟です。
見事に骨組みだけになった体育館も見えます。

川を越えるためにいったん上流の方まで上がります。
正門の跡。

元は橋が架かっていたのでしょう。
びっしりと灌木が伸びた体育館はシュールなオブジェのよう。
そしてあまりにも有名な円型校舎に到着。

完全に水没しちゃってますね。
周囲を回ってみます。

元々は2棟あって回廊で繋がった、上から見ると眼鏡のような形だったらしい。
今では俄かに信じられないことですが、最盛期には実に生徒数1,800人近くを擁するマンモス校だったそうです。
今や人っ子一人おらず、道内最強の心霊スポット、なーんてありがたくない呼ばれ方をしてますが・・・・・・。
しかし、実際訪問してみて感じたのは恐怖よりもむしろ、どこか痛みに似た感情と、そしてどこか敬虔な気持ちでした。
あるいは、耳を澄ませば、国策の名の下のエネルギー政策に翻弄された数えきれないくらい沢山の人々の怨嗟の声が、地の底から聞こえたかも知れませんけど。
沈鬱な光景にも疲れたので、下って、桜の名所として有名な東明公園に来ました。
満開にはちと早過ぎた。

六分咲き、ってトコでしょうか。
桜は快晴の下でトバし気味に撮れ、なんて言われますけど・・・・・・
曇天の光の中の淡い感じも悪くないと思いました。
ちなみにこの辺はすべて単焦点35mmで撮ってます。
満開になるときっと花のトンネル状態なんでしょう。
桜の種類は知りませんが、本州よりも赤みの強い花で桃みたいです。
しっかし遠景はやっぱ曇りだと冴えねぇなぁ・・・・・・。
単焦点の面白いところは、ボケを自在にコントロールできることと、空気まで濾し取るようなクリアーさだと思います。
基本的には広角のパンフォーカスが好きなんですけどね。
4段くらい絞ってもこんなに背後はボケます。

値段からするとホントいいレンズです、35-18。
岩見沢まで戻って、以前からマークしてたラーメン屋さんに立ち寄ることにしました。

「味の幸福を売る店」のキャッチが泣かせてくれますね。
壁には雑然と、かつ饒舌に
いろんなものが貼り出されていますが
オッチャンもオバチャンも実に寡黙な感じの人。
ちなみに、ここは味だけでなくそのボリュームでも有名。
そこまで突っ込まんでもエエやろ!?っちゅうくらいの箸立て。
こりゃ花瓶ちゃうんか!?っちゅう箸立て。

箸をツンツンの髪の毛に見立てたアヴァンギャルドな箸立てかも知れませんが。
味噌味にはやっぱ胡椒よりコレ、ですよね?
到着。麩がかわいい。

見た目からは分かりにくいですが、標準でも通常の大盛りを遥かに凌ぐ量があります。最高、麺の量は3倍まで出来るらしい。
二郎系にも通じる大量野菜とシッカリしたチャーシューには感動しました・・・・・・というか北海道に来て初めて美味しいと思える味噌ラーメンに出会った気がします。
隣の焼肉屋も気になります。

勘というか本能が、この店には何かありそうだと訴えてくる感じ(笑)。
だって、この値段ですから。

今度改めて訪問してみることにしましょう。
まだ日が暮れるには時間の余裕があるので、そのまま西進してやって来たのは・・・・・・
・・・・・・石狩市郊外の石狩油田跡。

山中にポツンと墓地のように石碑が立っています。
かつてここには相当の産油量を誇る油田がありました。
下にゴチョゴチョ書いてあるのを要約すると、最盛期には年間1万㎘、250人の従業員がいたけど、昭和35年に廃坑になった、とあります。
その隣には門の跡。

ここもまた小学校だったところです。
昔の人は子沢山でしょうから、こんな人里離れたところでもそれなりに生徒数はあったと思います。
さらに道路沿いに行くと、石油の匂いがして来ました。
草地の奥では今でも原油が滲み出しています。
・・・・・・こんな湧出量では自分ちの分にも足りない(笑)。
油膜が不思議なまだら模様を描く水面は、昨年訪れた望来の厚田油田跡と同じような光景です。
画面中央、天然ガスと石油が水と共にポコポコ噴き出してるのがお分かりでしょうか?
さらに行くと神社跡。
伊夜日子、では何のことかわかりませんけど、弥彦と言えば分りますね。

つまりここは何らかの形で往年の油田王国、新潟の流れを汲んだ油田であったことが分かります。
今でも参る人は絶えてないようです。
道路を挟んだ反対側の沢からも微かに石油の匂いがしてました。

多分、この辺一帯では未だにあちこちで石油が湧いてるのでしょう。
そんなこんなで、地味なことこの上ない産業遺物巡りの小旅行は終わり。

日の暮れかけた中、一路札幌に戻りました。
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