「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
 2011 空知T
 
澄み切った夏空の下、広大な無人の荒地の中に残る2基の巻揚機。
ここは美唄炭鉱、常盤台鉱業所の跡地です。
近付いてみました。

異様な迫力があります。
かつての駅構内が示されていますが、どうにもピンときません。

あまりに何もかもが無くなってしまっています。
何をしていた施設かは良く分かりませんが開閉所だそうです。
公園として再開発する計画も頓挫したのか、ただの空き地が広がるばかりです。
巨大な選炭ポケット。
コンクリートののっぺりとした造りで、ビルの廃墟のようです。
もう到着して1時間くらいになりますが、誰一人としてやって来ません。

晴天は気持ちいいのですが、朝露で足が濡れまくり。
 ともあれ、紺碧の空に聳え立つ巻揚機は、月並みな表現ですけど「墓標」なのです。
この辺には雛壇状に炭住が櫛比していたはず。

今は無意味に道が川を越えて山に入って行ってるだけ。
しかし、今でも一部で細々と露天掘りで石炭は採掘されているようです。
ドカシーが被せられてあるのが掘られた石炭。
かつての一大産業は大資本からの切り離しを何度も重ねられて、すっかり地元ローカルな会社になったワケです。
ただひたすらに空漠な光景の中を、赤とんぼが横切って行きました。
・・・・・・とガラでもないリリカルなことをオッサンが書いても気持ち悪いので、先に進みましょう。
中学校跡はスキー場になっており、体育館がロッジに転用されていました。
おそらくはこのゲレンデ斜面にも炭住が建ち並んでいたのだと思われます。
あまり流行ってないのか、一日券値下げのポスターの貼られた玄関。

ちなみにこの奥に有名な小学校の廃墟がありますが、道を尋ねた地元のジーサンに「あそこは良い噂聞かんから行かん方がエエ」と言われて、ビビッて止めました(笑)。
少し下ると、ゴーストタウンのようなかつての市街地があります。

郵便局や市役所の出張所が一緒になったこの建物も、営業してるのかどうか・・・・・・
 さらに下って東明駅跡。
駅舎は美しく整備されて保存されています。
中に入れないのはちと残念にも思いましたが。
その裏手にあるのが4110って蒸気機関車。

現存するのはこれだけという貴重品。実はこれを観にここまで遥々やって来たようなモンでして。
動輪が5つ並んだE型ってヤツです。線路にカーブの多い日本では僅か2形式しか存在しなかった変わり種。

元々は奥羽本線の板谷峠越え専用機。
運転室内部。

超広角の本領発揮な一枚ですな。
こうして見ると汽車って、ムチャクチャに前方視界が悪いんですよね。
長いホーム跡。

道内の廃線跡の例に漏れず、軌道敷はサイクリングロードとして整備されています。
夏場はそれでもサイクリングターミナルとしてそこそこ人が集まるようです・・・・・・って、まだ8月ぢゃんかよ!
さらに北の国鉄上砂川支線跡を上がって行きます。

このロッヂ風の建物は・・・・・・
・・・・・・旧鶉駅の駅舎。今は喫茶店に転用されています。

営業してるのかしてないのか、一体何をそんなに喫茶店で大売出しせにゃならんのかも良く分かりません。
ホームの差掛け屋根は崩壊しちゃってました。
裏手の広さから想像するに、かつては相当の規模だったことが分かります。
あっと言う間に終点の上砂川駅に到着。
倉本聡の「昨日、悲別で」のロケ地だったのを利用して町興しを図ってはみたものの、富良野みたいには上手く行かなかった模様。
内部は有志の手によって守られており、保存状態は極めて良好。
窓口なんかも板張りで塞がれることなくそのまま残っています。
妙にリアリティのある昭和57年時点の街の様子を伝える手書きマップ。
ってーか、地形から見るとこの列車の置いてある向きってちょっとヘンな気がします。
子供の乗り捨てた自転車が何とも物哀しい。
結局、ロケ地だ、ってだけでは商売にならないみたいです。
ここも少し行ったところに巨大な竪坑が残っています。

あらら〜、モワレが出ちゃってますね。
地下無重力実験センターとして転用されたものの、それも今は閉鎖されてしまいました。
強烈な硫黄臭がするので建物の横に回り込むと・・・・・・
竪坑の下から大量の硫黄泉が流出しています。

白い流れは湯の花。熱けりゃ入っちゃうんですが。
そしてここも膨大な空地。
石炭で作ったピラミッドみたいな「かみすながわ炭鉱館」に来ました。
下に「敢闘」刻まれた削岩機を持った凛々しい炭鉱夫像。

石炭が富国強兵の重要産業だった時代の遺物です。
お約束の鉱車の列。

これはバッテリー機関車でしょうか。
手を伸ばせばすぐに架線で感電できそうなくらいに背の低い電気機関車。
何だか良く分からない掘削機械。
メタンガス噴出に悩まされる炭鉱だった、みたいなことが書いてあります。
それにしても誰も人がいねぇなぁ、と思ったら、記念館自体も閉山しちゃってました(笑)。

閉山まで忠実になぞらんでもエエのに(笑)。
何ともはや虚しい施設ですね。

一体いくら血税が投入されたんでしょう?
・・・・・・ま、過去営々と国からの交付金に頼ることが地元の体質になってるから、何とも思ってないのかも知れませんが。
一山越えて歌志内にまでやって来ました。

今や人口4千人、日本一小さい「市」として有名です。どんな法律があるのかは知りませんが、町とか村に戻った方がいいような・・・・・・。
ここも町はずれに巨大竪坑が残っています。
ただし、ここは産廃処理施設として稼働中。

炭鉱関係って、結構管理の厳しいところが多い気がします。
大きく北炭のマークが残るのが却って侘しい。

背後に見える崖には炭層の露頭が見えました。
山の中にもいろいろな炭鉱関連施設が残っています。
・・・・・・が、どこもかしこもナカナカ警戒厳重。
かつては賑わったであろうレトロモダンなオブジェが印象的な喫茶店らしき廃墟を撮った一枚で今回の炭鉱巡りは終わりです。

午後は石狩川右岸を下って行くことにします。
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