「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2010 鶴見

秋晴れのある朝、ここは川崎の一つ隣の「尻手(しって)」。久しぶりの鉄道路線一気歩きの始まりです。

・・・・・・って、「尻に手」っすか〜、電車の中でやったら捕まるやんか(笑)。
今回の踏破行のコースに選んだのは、JR鶴見線と南武支線。

開業80周年を迎えるとかで、パンフレットが駅に置かれてあるのを見つけて、出掛けてみる気になったのでした。
まずは尻手〜浜川崎を結ぶ南武支線から。

なるだけ線路から離れないようにして歩く、ってルールで歩き始めるといきなり場末感溢れる路地裏。

琉球料理を名乗る店が目立ちました。
ラーメンの屋台も最近あまり見なくなったなぁ。
朝の光が眩しい。

この辺はいろんな貨物線が錯綜してて、どれが自分の歩くべき方向か分からなくなります。
菜っ葉服着た工員がいかにも似合いそうなシブい佇まいの食堂。
最初の駅、「八丁畷」に到着。

どう見ても京浜急行の駅にしか見えませんが、言い訳のように片隅に小さな改札がありました。
この看板、昔はやたらめったら見掛けたもんです。

「しんぼり」って読むもんだとズーッと思ってたら、「にいほり」だったのね。
なんぼも歩かないうちに次の駅、「川崎新町」に到着。

まともなサイズの駅舎で、駅員もチャンといます。
線路に沿って、かつての軌道敷を転用したと思われる緑道が続いています。
うわ〜!踏切内が交差点になってるやんけ!

遮断機のすぐ傍にバス停の標識もありました。それだけダイヤが閑散としてるのでしょう。
・・・・・・と思ってたらカンカン鳴り出して、単行のDE10が重々しい音を立てて通り過ぎていきました。
しっかし「おっぱい」って・・・・・・他に書くことないんかぁっ!?(笑)。
広い国道に出ると「浜川崎駅入口」の看板発見。
呆気なく終点に到着。

貨物線の下の隙間に詰め込まれたようになって小さな駅舎があります。
2線の短いホームに線路がドーンと突っ込んでるだけ。

ここは鶴見線との接続駅なのですが・・・・・・
鶴見線は一旦改札を出て道路を渡って行かねばなりません。

同じ一つの駅なのにバラバラ、繋ぐ気もまったく無さそう。そもそも無人駅ですし。
鶴見線側は柱が一列のひじょうに狭いホーム。

どちらのホームも古風で繊細な木の柱が年代を感じさせます。
旅客駅としてはひどくヤル気のない造りですが、貨物駅としてはかなり巨大。

まぁ、旅客運輸は貨物のオマケみたいなもんなんですね。ただし、貨車の姿はまばら。
ひじょうに古風な注意書きが正門前に掲示されてありました。
呆れるほど澄み切った秋空の下、産業構造物はまるでシュールなオブジェのよう。
運河を渡って鶴見線をさらに南下して行きます。
昔はもっと血管のように専用線が分岐してたのでしょうが、今はほとんど残っていません。

ここはそれでもまだたまに使われるのか、信号灯は生きてました。
「昭和」に到着。

古びてレトロでガランとした駅舎。
・・・・・・あるワケないやん!(笑)。
駅名は元号の昭和ではなく、昭和電工の工場の隣にあることから付けられてるんですけどね。
SFチックともいえる無機質な風景が続きます。
終点「扇町」は丹精込めて手入れされた花々の咲く、小さな駅。

何となくホッとしました
まったく人の気配のない構内を改札口より望む。
貨物線はさらに海の方に向かって延びています。

しかし最近は使ってないのか、沢山の貨車が押し込んでありました。
ここも貨物駅としてはかなり大きな方。
朝夕はかなり密なダイヤになってます・・・・・・昼間は2時間に1本ですが。
そうこうするうちに列車到着。

浜川崎までは電車で戻ることにしました。
再び浜川崎に戻り、歩き方開始。

跨線橋の上にはJFE専用出口、というのがあります。
京浜工業地帯のど真ん中を線路は概ね真っ直ぐに伸びています。
珍しい可動橋。

貨物線部分が微妙に高架になってて踏切が作れないために拵えたものと思われます。向こう側の本線部分は踏み切りになっていました。
「武蔵白石」に到着。

ここから画面左方向、突堤に向かうように大川支線が出てるので、まずそちらに向かいます。
釣り人がヒマそうに佇む運河を渡ると・・・・・・
アッと言う間に「大川」到着。

ボロボロの書き割りのように平べったい駅舎。
線路は雑草でほとんど見えません。

右側にはかつては貨物ヤードが広がってたのでしょう。投光器の残骸も見えます。
土日は実に1日3本!

・・・・・・ってーか平日も1日8本しか走ってない。
何かもう思い切って廃線にしちゃっていいような気がします。
駅横にはかつての引込線の跡。

左端に見えるのがホームの差掛屋根。
産業の、鉄道の世紀は間違いなく終わってしまっています。

茶色い旧型電車が吊掛モーターの唸りを上げて走ってた頃が、最もこの路線が活気に満ち溢れていた時代だったと言えます。
「武蔵白石」まで戻って来ました。差掛が無くなって若干ノッペリしちゃったものの、半切妻の洋館風な造りが瀟洒。

余談ですが、左端に写るのは世にも奇妙な「独り言を話し続ける女装鉄道マニア」でした(笑)。いやはや、キッツいモノ見てしまった・・・・・・。
改札口にも昔の国電の雰囲気が残ります。
元はこの駅から大川支線の列車は発着してたのですが、あまりにホームのカーブが急すぎて普通の電車が入れないので今は隣の安善からになっています。
たしかにムチャクチャ急カーブ。

配電盤の立ってるあたりにかつてはホームがあったらしい。
こんな風に本線を平気で横切って工場の通用口があったりするのがいかにも貨物線らしい。
淀んだ運河を渡ると・・・・・・
すぐに「安善」到着。

コンクリート瓦の二方車寄せの駅舎は古いローカル私鉄でよく見かけるタイプ。
ホーム側から望む。

ちなみに鶴見線内の駅は旅客用としては全て無人駅です。「扇町」も植木の手入れをしてるのは貨物駅の駅員さん。
ここはまだまだ貨物の取り扱いが多いのか、くたびれた感じはありません。活気があります。

ここからもまた、突堤の先に向かって貨物専用線が分岐しているのが見えました。
駅前もこんな風に商店や・・・・・・
食堂があったりします。

しっかし日本共産党のポスター貼っててベンツに乗るのはなしっしょ!?(笑)
再び運河を渡り・・・・・・
船宿なんかもあったりして・・・・・・
「浅野」に到着。

この駅からは「海芝浦支線」が分岐しています。
そっちに向かうホームには意外にも沢山の人・・・・・・もとい「テツ」。

幸運にもすぐに列車が到着しました。
これまた数分で「海芝浦」到着。

実に呆気ない。
まったく何にもない駅で、ホームの反対側はそのまま海。
ありゃベイブリッジかな?

・・・・・・違いました。「鶴見つばさ橋」と呼ぶようです。
五能線にだってここまで海っぺりの駅はない(笑)。
東芝の社員のためだけに作られた、降りても東芝の工場の中にしか行けない、っちゅう、公共交通機関としてははなはだ疑念を抱かざるを得ない駅と申せましょう。
そのヘンさがウケて今や珍駅としての人気は上々。

驚くほど沢山の人が何をするワケでもなく降りました。笙野頼子もそんな風にして来たんだろうな〜。
左に長く延びるのが東芝の工場。いかにも昭和的なモダニズム感覚溢れる建物です。

紺碧の空の下、何だか古賀春江の絵みたい。
線路沿いを歩こうにも、線路そのものが部外者立入禁止の東芝の工場内を走ってるので歩けず、一駅だけ電車で戻って「新芝浦」より再びテクテク。
木造にしてはいささか大雑把な印象のホーム。
ここで切符買う人ってどれだけいるのでしょうか?
この駅も実際は東芝の工場の敷地内。

すぐ近くには仁王みたいに警備員が突っ立って闖入者に目を光らせており、カメラを会社方向に向けると大声で制止します。自由闊達の才人、からくり儀右衛門が興した会社とは思えんなぁ〜(笑)。

大川と同じく粗末な印象の駅舎。
左端に見える赤いのは、重量物を横付けにした船から貨物列車に積み込むための巨大ホイスト。

ちなみに東芝構内には未だに縦横に貨物線が敷設され、たまに使ってるように見えました。
そうこうするうちに浅野駅に戻って来ました。

かつてはこの真上を巨大な溶鉱炉のコンベアが跨いでいたことを、後から古い写真で知りました。
支線の分岐と本線に挟まれた独特のホーム。
鶴見方向を望む。

左側にも専用線が延びていたようです。
さらに歩いて、また工場構内みたいなところを入っていくと・・・・・・
ポツンと場違いな感じで食堂があって・・・・・・
その向かい側に「弁天橋」。

昭和の始め頃の電車駅のスタイルを残す駅舎。
深く、傾斜の強い屋根と白壁のコントラストがレトロモダン。
1本柱では広すぎ、2本柱では狭すぎるホーム幅ゆえか、妙に細かい柱が印象的。
それにしても、休日のせいかほとんど人を見かけません。
いい加減、単調な風景にも飽きてきました。
駅の外れには車庫があり、沢山の電車が停められてています。
この辺りから急に工場群が途切れ住宅街になります。
「小野弁財天神社」とあります。
小野重行って誰ぢゃい!?
駅名も「鶴見小野」だし・・・・・・。
帰ってから調べたら、やはり立志伝中の一人でした。

信じられないことに、この鶴見線の駅名の多くは明治のこの辺に産業を興した人たちから採られています。ネーミングライツもヘチマもないっすね。
香りがすると思ったら、歩道一面に金木犀がこぼれています。
そんなこんなでようやく鶴見川に出ました。
しかし、歩きなもんでグルーッと遠回り。
狭い路地裏みたいなところを抜けると「国道」のトンネルのような入口が見えました。
昭和初期の高架駅の古い形を今に残す稀有な存在として有名です。
実際はもっと薄暗く、ちょっと不気味。
国道の横に駅があるから「国道」っちゅう名前。

実に安直(笑)。
かつてはテナントが並んでたようですが、今はほとんどが廃墟物件。
自動販売機がなければいつの時代か分かりませんな。
しかし、貴重な産業建築物なら、もちょっとそれらしく整備すりゃぁエエのに・・・・・・。
ホームに上がってみることにします。

それにしても、モダンとはこんなにも薄暗いもんだったんでしょうか?
ホームは今でも都内の駅で見るようなスタイル。

カマボコ型に緩やかな弧を描く支柱が独特の均衡を感じさせます。
事前情報で仕入れてた近所の温泉銭湯に来ました。
しかし時間がまだ早すぎるのか、廃業しちゃってるのか、まったく人の気配がない。
諦めて歩いてるうちに京浜急行の駅に出ました。

ひどく狭い隙間のようなところにある「花月園前」。
公設市場なんて見るの久しぶりかも。

中はほとんど閉まってましたが。
ホント、こんな景色ばかり撮ってますね。
左、蛇屋、右、飯屋・・・・・・ちょっとイヤだな〜。
アホみたいに長い踏切を渡ると・・・・・・
後は総持寺の前を通ってひたすら鶴見に向かって歩くだけ。

鶴見線も大きくカーブして東海道線と平行になります。
そして終点、っちゅうか起点、っちゅうか鶴見駅前に到着。これまでの風景がウソのような至極ありふれた都会の駅です。

とにかくハラ減ったので駅近辺をうろ付くことにします。
こぉゆうポツンと一軒だけあるソープって、働くにも入るにも勇気が要りそう(笑)。
ガーン!目当ての中華料理屋は本日休業!

もう一軒、あらかじめ候補に挙げてたのも見つからず仕舞い。
仕方なく駅前に戻って適当に不味いラーメン食べて、暑くて暑くて汗だくなので、たまたま開いてた風呂屋に入ることにしました。
鶴見線の終点、っちゅうか始点を見上げる。

やはり独特のレトロモダンな造りはこんなカットからも伺われます。
・・・・・・ってな感じで帰宅の途につくことにしました。
鶴見線はその前身が私鉄だったせいか、改札口も別になっており、直接乗換えができません。

通常の在来線からも切り離されたような、何とも不思議な扱いを受けています。
すっかり日の翳った東海道線ホームより鶴見線ホームを望む。

鶴見線開業80年・・・・・・それは日本の工業の勃興と繁栄、爛熟と衰退の80年だったと言えるのでしょう。

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