「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
2010 那須・塩原(初日後半)

アッとゆう間に今夜の宿に着きました。

那須湯本の温泉街のかなり下の方にある「湯守りの宿 会津屋」という旅館です。最近まで「野鳥荘」と名乗ってたのがリニューアルした模様。
部屋に案内されて外見るとすぐ下に露天風呂が見えます。
こっちは内湯。
・・・・・・ってなワケでさっそく露天風呂の方に向かいます。

右が貸切内湯、中央と左がそれぞれ貸切露天風呂への入り口。多分昔は家族風呂、男女別露天だったと思われます。
効能書きはこの手の旅館にしては素っ気ないかも。
トンネルみたいな通路の奥に露天風呂がチョロッと見えてます。

2枚目の写真で水色の屋根の部分ですね。
さっそく脱ぎ方開始・・・・・・ってここがそのまま脱衣場!?

単なる通路ですやん。
まぁ、これはこれでおもろいんちゃうか、ってコトで準備完了。
狭い敷地をうまく工夫して露天風呂がしつらえてありました。
しっかし、これがホントに那須湯本の湯か!?っちゅうほど清澄な湯です。

どうやら鹿ノ湯系の白濁した硫黄泉とは違う掘削泉を使ってるものと思われます。
これはこれでぬるめでかなり良かったりする。
・・・・・・!?
すぐ近くから「ホーホケキョ」が聞こえます。
あんまり明瞭に聞こえるので、演出のためのスピーカーでもあるんかと思いました(笑)。

隙間から覗いてみると、すぐ隣の木で鳴いてます。
下に向かって結構眺めもいいですし、良くまぁこの狭いスペースでこれだけ確保したなぁ、と感心してしまいました。
入口付近を望む。

ちなみに隣の露天風呂はまったく見えたりはしません。
そろそろ上がることにします。

ぶっちゃけ意外と楽しめました。
ちなみに隣からは若い女性が3〜4人ではしゃいでる声がずっと聞こえてました。
このまま貸切内湯にも行ってみることにします。
・・・・・・せ、狭っっ!!(笑)
注意して洗わないと湯船に泡が入るくらいに狭い洗い場。
しかし、天井だけはむやみやたらと高かったりするので穴蔵みたい。
鉱泉宿並みに狭い湯舟の広さが良く分かりますね。
おそらくこの宿、見た目よりはかなり古いものと思われます。
でも、湯口なんかも鉄平石置いたりして小さいなりに見栄えを工夫してあります。
湯舟の縁に立って外を見てみました。

隣の家が見えるだけです(笑)。
ダウンタウン松本の「しんぼる」を想い出してしまいました。

ま、あれはパジャマ姿でしたけど(笑)。
閉所恐怖症の人を入れてみると楽しいかも知れません。
こっちの脱衣場は狭いなりにまだちゃんと脱衣場です。
もう一つの露天風呂。

形も大きさもほぼ一緒でした。
「好きな方に入ってください」と言われましたが、看板では男女別露天風呂になってます。

今は個人向け旅館で男女別は流行らないような気がします。
ちなみにこの旅館、玄関は2階で表から見ると小さいのですが、斜面に沿って結構大きな建物となっていました。
夕食までまだだいぶ時間があるんで、温泉街を散歩することにしました。
クルマに乗って通り過ぎると分かりにくいですが、急な坂の両側には古くくすんだ景色が広がっています。
古いタクシー車庫。今はもう使われておらず、がらんどうになっていました。

下回りは大谷石で組まれていることが分かります。
表通りから一本北側の民宿街に入ります。

ちょっと怪しい龍神を祀った祠。
その横には「でき穴」なるものの説明と下に降りて行く暗い階段。
おお〜!こぉゆうバッドテイスト系宗教入りまくり空間だったとは!!
岩室に安置された異様なお稲荷さんの狐。

実際はもっと暗かったので、森閑というよりはかなり不気味な空間でした。
LEDランプの電飾がこれまたシュール。
立ち並ぶのはほとんど全て湯治宿。

素泊まりはどこでも3,500円のようです。
内湯も持つところはほとんどなく、逗留者は「鹿ノ湯」もしくは「滝ノ湯」の外湯に行くことになります。

これはきわめて古い湯治場のスタイルです。
しかし、土曜日というのに道行く人の姿はほとんどありません。

空き家となった家も目立ちます。
リニューアルして今風の旅館になった所にはそれなりにお客さんは入っていましたが、時代の流れに付いて行けなかった所は衰退するしかないのかも知れません。
古い温泉街にはつきものの曰くありげでなさそな石仏。

民家の駐車場の壁に収まってるこれは聖徳太子像、とのことです。
山津波の慰霊碑。

たしかに狭隘な谷間に沿って細長く開けてるので水害にはひとたまりもなさそうな立地です。
鹿ノ湯まで来ました。

振り返ると櫛比する湯治宿が望まれます。
対岸には小さいながらも湯の花採取場があります。
そぉいえば10年前もほぼ同じアングルで写真撮ったっけ。
さらに上がって行きます。

低い屋根で覆われた湯井。
上流より見た鹿ノ湯全景。近年建て替えられましたが風情は失っていません。

川は硫黄分で真っ白です。
さらに上がって殺生石に向かいます。
松尾芭蕉が奥の細道の途中で立ち寄った頃はもっと噴気活動は激しかったんですけどねぇ〜、みたいなことが書いてありました。
教傳地獄に並ぶ千体地蔵。

赤いよだれかけと頭巾はなんだか彼岸花みたい。
これも昔ほぼ同じアングルで写真撮ったような。

実際、噴気活動は衰えていて、これまで訪ねた八幡平や川原毛、鬼首、雲仙なんかと比べるとここはかなりショボい感じです。
遙か下まで温泉街が連なっているのが望まれます
湯の花採取場、って単に棒が立ってるだけやがな・・・・・・(笑)。
盲蛇石・・・・・・っちゅうそうですが、これまた単なる岩だったりする。
不景気の波は容赦なく押し寄せているようで、観光旅館でも廃墟となった所がチラホラ見えます。
これも元は旅館があったのかも知れません。
一部で超有名な「雲海閣」の前に来ました。

表通りに面したこちらはもう使われていません。
斜面に沿って回廊が上に伸びているのが見えます。
・・・・・・ってなワケで見に行ってみることにします。

坂の途中のこの宿はかなり賑わっていました。
雲海閣の坂の上側の入り口。こっちの方が立派。

今は素泊まりしかないはずなのにけっこう沢山のクルマが停まっていました。
再び元の民宿街に戻って来ました。

この辺まで下ると、単に坂道の住宅街のようにも見えますね。
道は最後、表通りと合流して終わり。

どうかこの寂れまくった風景を通して、日本の古い温泉地が直面している厳しい現状に少し思いを馳せていただければと思います。
古風な温泉饅頭屋さん。
旅館でお茶うけに出された温泉饅頭がここので、とても美味しかったのです。
1個85円也。

30個買いました。
部屋に戻るとすぐに夕食の呼び出しがありました。

部屋出しではなく食堂、それも珍しく椅子席です。前にはステージと楽器が見えます。
お!モノホンのリッケン#4001とラディックの3点セットやんか。
手前のフェンダーはともかく、奥はこれまたモノホンのギブのJ−45"ワークホース"。

おまけにアンプはみんなVOX。間違いなくここのオーナーはビートルズ好きなんでしょう。
料金が比較的安かったんであまり期待してなかったのですが、かなりいい感じの夕食が並んでます。
下から時計回りでローストビーフ、おから、サラダ、じゃがいも田楽、真ん中は蕎麦。
右下から時計回りで、山菜の和え物、野菜素揚げ、刺身、筑前煮、フルーツ。
・・・・・・で、メインは名産那須牛を
アッサリした鍋仕立てにします。
何ちゅうかけっこうフツーなのを、盛り付けを工夫して演出を凝らしてるんですね。
食事を終えるとすっかり暗くなっていました。
こういうちょっとした演出もナカナカ気が利いてますね。
これは浴衣のほうが良かったかも・・・・・・(笑)。
那須の地酒「鳳鸞」をチビチビやりながら夜も更けていきました・・・・・・ま、ヤルことはヤリましたが(笑)。

明日は茶臼岳に登る予定です。

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