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2007 長崎(七日目 前半)

豪雨の一夜が明けました。車は現地で借りたレンタカーです

マジ、雷に当たって死ぬかと思いました。
こんな感じで、駐車場のすぐ横。
道路の反対側には「鴛鴦ノ池」を望みます
早く起きたので雲仙地獄を回ってみることにしました。
それぞれにもっともらしい名前がつけられるのって、鐘乳洞と似てる気がします。
周囲は大きな旅館・ホテルが立ち並ぶ、九州でも有数の大温泉街です。
しかし、ここで昔キリシタン弾圧の拷問が行われたのですから、ホンマに地獄と言えるでしょう。
お!路傍の露天風呂!?・・・・・・と思ったら熱湯。
下らん看板を立てるなボケ!景色のジャマぢゃ!と言いたい。
ちなみにここに来るのは20年ぶりくらいです。
そのまま山を下って、普賢岳の噴火に伴う大火砕流に直撃されて廃墟となった、旧大野木場小学校あとに立ち寄ります。
こうして見るとあまり何も感じませんが・・・・・・
近づくとこの通り。

熱風で窓枠の鉄が歪み、床材まできれいに燃えてしまってることが分かります。
そして昨日の南島原の次の「島原外港」から行程を再開。
部分廃線後はこの駅が終点となります。
比較的大きな駅ですが、全体的に荒れた感じがしました。

今はもう、港まで船で来てここから乗り換える人も少ないのでしょう。
すぐ裏手にはこれも絶滅危惧種のユースホステル。
あれ~!?地図ではここに「秩父ヶ浦」の駅があるはずなのですが・・・・・・廃駅になっちゃったのか?

上を通るのは災害復興で高架になった線路。
引き返して北に少し行ったところで発見。

どうやら高架化に伴い移転したようです。
まだ比較的ストラクチャの新しいことが分かります。
何と高架駅の「安徳」。
駅名表は相変わらず巨大。
しっかし、この立派な高架を廃線にするんですからもったいない話ですよね。

向こうに見えるのは、頻発する火砕流や土石流の通り道となってその名が全国に知られた水無川にかかる鉄橋。
その近くにディーゼル機関車が展示されてありました。

復興工事の資材運搬に使われたのだそうです。
鉄橋も架け替えたものらしくずいぶん新しい。

しつこいようですがこれも廃線になります。
さらに行くと道の駅の一角が土石流に埋没した民家を展示した噴火記念公園になっていました。
何でしかしワザワザ屋根までつけてるんでしょう!?

ホント、何かにつけて日本の土建屋儲けすぎや、っちゅうねん。
そうこうするうちに・・・・・・
「瀬野深江」到着。
ホーム一面だけの殺風景な駅です。
「深江」。

噴火当時、「ヒゲの町長」で有名だった町って、たしかここです。
駅は対向設備もある比較的大きなもの。
この鉄道の特徴として、ほぼ必ず駅の近くには農業倉庫が現存していて、なおかつ今なお使用されていることが挙げられます。
軽自動車がやっとすれ違えるくらいの通りを入って・・・・・・
斜面の石垣の狭い隙間のようなところに・・・・・・
「布津新田」。
「布津」

それにしてもどの駅舎もプレハブで味がない。
構内はかなり広々としています。
・・・・・・と、国鉄急行色の旧型ディーゼルが単行でやって来ました。いいカンジですね。
アクセントの3本線がお茶目。

「鉄」な補足をしますと、これはかつて国鉄線内に乗り入れた際に国鉄車両と区別するためのものだったそうです。
これまた味も素っ気もない「堂崎」。

この辺まで来ると植生が何となく南国な雰囲気になってきます。
線路も北線に較べると何となく貧弱な感じ。
廃墟と化した駅前食堂もしくは旅館とおぼしき建物。
田んぼの真ん中の「浦河」。
こんな駅でも丹念に立ち寄るところが、何ちゅうか我ながら律儀とゆうか、偏執狂とゆうか・・・・・・(笑)。
南線の中では随一の大きさの「有家」。

こんなに立派なのに、ここももちろん廃線になります。
駅構内もたいへん広くて立派。
待合室も広々としています。
まぁ、隣接してバスのターミナルがあるので転用が利くのでしょう。
「西有家」あたりが島原素麺の盛んなトコなんですね。

道理で島原の町で見かけないと思った。
駅は小さいのですが、ホームの差し掛け屋根が長いとこからすると、それなりに乗降客はいるのでしょう。
バス停の屋根と駅の屋根が背中合わせになった「龍石」。
目の前はすぐ海。

元からこんな形だっとは考えづらく、おそらく道路拡幅でこんな姿になってしまったのではないでしょうか?
いい加減同じ形の駅舎の画像を並べるのにもうんざりしてきましたが・・・・・・「北有馬」。
構内はかなり広い。
側線も残っていて、保線用のいろんな資材が置かれてあります。
「常光寺前」。

何の特徴もない駅です。
家と家の間に挟まれたような「浦田観音」。
何てーか、もぁ地方の鉄道って高校生のためだけに存在するようなモンなんでしょうね・・・・・・。
島原の乱で叛乱軍が立てこもったことで有名な「原城」。

その攻防は凄惨を極めたと伝えられます。
最近バラストが補充されたようで、荒れた感じはありません。
この城跡からはいまだに骨が出てくるとか出てこなぁいとか・・・・・・あ~コワ。
「有馬吉川」。
信じられないほど狭い駅前通り。

集落内の駅はどこもこうしてクルマが入れないほど道の狭いところが多く、これも地元の鉄道離れの一因になっているような気がします。
鉄道開通記念の石碑。

できたときは提灯行列とか出たんでしょう。
対向設備ではなく、両開きの貨物側線跡のようです。
これまたクソ狭い通りの奥に・・・・・・
「東大屋」。
お気づきかとも思いますが、南線の駅の多くは斜面ギリギリのところに設置されています。
古くからの港町である「口之津」。
道路を挟んで向かい側はフェリーの乗船場。
有家同様、隣は大きなバスターミナル。

鉄道の駅はハッキリ言って、オマケです。
全線めぐりもだんだん終わりが近づいてきました。
・・・・・・と、おなかも空いたのでここでお昼に。
田舎の喫茶店で注文に困ったときはコレですよ、コレ。

横の柱の下にコンセントがあったので、ここでついでに画像もPCにセーヴ。
夏だけの駅と思われる「白浜海水浴場前」。

廃線が近いというのにしかし、保線状況は良好です。
いよいよ次は終点。
なんてことない交差点が終点「加津佐」の駅入り口でした。
呆気なく全線走破は完了。

すぐ裏は海水浴場やキャンプ場になっています。
駅前には何にもありません。

町の中心はここから少し離れたところにあります。
終点らしく、ホームは一面のみ。待合室では客待ちのタクシーの運転手がヒマそうにしてました。

向こうにはコテージの屋根が見えています。
線路の突端あたりより見たところ。
変わった形の車輪止め。

不自然な空き地が先にまだ続いているところからすると、昔はもうちょっと先まで線路があったのかもしれません。
何かこういった良くわからん設備があるのも終着駅らしくていい感じ。
それにしてもここまで鉄道が通ってる必要性って、今となってはどれだけあるのでしょうか。
半島の先、っちゅうだけですし。
もし鉄道が半島を一周していたら、あるいは観光路線として別の進化ができていたのかもしれません・・・・・・まぁ、「もし」なんてものはないんですが。

ともあれ島原鉄道巡りはここで完了、そのまま小浜温泉に向かうことにします。

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