2001 南会津 |
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2001年夏、単独行で夜の一般道をひた走り、那須の高尾温泉跡に一泊して南会津に入りました。
まずは甲子(かし)温泉に入ります。 |
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旅館の対岸に巨大な浴室があります。 |
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木造のどっしりした混浴の浴室には、巨大な湯船が一つ。 |
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奥には長い効能書が書かれています。 |
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外には露天風呂もありました。 |
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そこから林道を通って、羽鳥湖スキー場の横を抜けてやってきたのは二岐温泉、山あいに数件の小さな旅館が固まるだけの寂しいところです。
その中でも一番貧しそうな宿はどこですか、とやってきたのは・・・・・・ |
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この玄関、分かる人には分かりますね。 |
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そう、ここはつげ義春の傑作「二岐渓谷」の舞台となった宿なのです。
漫画では5ページ目の3コマ目にこの玄関がそのまま描かれています。 |
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さらに館内のあちこちに館主自らの描いた絵が・・・・・・
これがかなり怪しい!!何で会津の山奥で「イヨマンテ」なのか!?(笑) |
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稚拙だが異様なパワーと迫力には、埼玉のカルトB級観光スポット「老若男女憩いの場神秘珍々ニコニコ園」に通じるモノを感じます。
実はこれらの絵をモチーフに後年、「枯野の宿」というまったく別の作品も描かれています。 |
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混浴の内湯。素朴な造りに好感が持てます。 |
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これが「二岐渓谷」の中では重要なポイントとなっていた露天風呂。
実に小さなものでしたがいい佇まいです。 |
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旅館の奥の方は新築されてごくふつうの建物となっていました。
この後空地で味噌汁とオニギリの昼食を済ませました。 |
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下って湯本温泉に到着。
ここではほぼこのアングルで、つげはペン画を描いています。 |
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藁葺きの重厚な「湯口屋旅館」に入湯します。 |
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浴室は平凡なものでした。 |
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館内の情景も重厚です。 |
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何とバスは一日二本!! |
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緑の美しい渓谷沿いに大内宿に登っていきます。 |
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宮本常一が「発見」したというここもスッカリ観光スポットになっていました。 |
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地味な軽井沢、といった風情ですね(笑)。
オッサンの一人旅は単なる不審者です。 |
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前夜が大雨の中の車中泊だったので、シュラフを干しました。 |
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湯之上温泉。川沿いの無料露天風呂。
当然混浴。アブたくさん(笑)。 |
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上を会津鉄道(旧国鉄会津線)の鉄橋が通ります。 |
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温泉街らしい温泉街もない、小さな温泉場です。 |
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塔のへつり(山ガンムリに弗)に来ました。 |
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かなり有名な観光スポットで人がたくさんいます。
何だかうれしくなって置物を購入。何故かあちこちのみやげ物店では生きたマムシが売られててキモチ悪かったです。 |
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怪しげな祠がありました。 |
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会津田島で夕食を買い込んで、夕闇迫る中一気に、檜枝岐の手前の木賊温泉まで来ました。 |
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これが川沿いの共同浴場。 |
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混浴の素朴な造りです。 |
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たまたま浴客が途切れたときに撮影しましたが、実はたくさんの人が入っていました。
この夜はそのまま近くの公民館横にクルマを止めて野宿。 |
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翌朝は快晴。 |
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湯の花温泉に来ました。
この橋のたもとの共同浴場は、翌年家族で再訪します。
ここから帝釈山を越える林道を行こうとしたら、頂上付近で通行止め、仕方なしに別の林道を越えて・・・・・・ |
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・・・・・・やってきたのは平家落人の里、湯西川温泉。ここも翌年再訪します。 |
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橋の下の露天風呂には透明で熱い湯が湛えられています。 |
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各旅館もそれぞれに数寄を凝らした露天風呂を持っています。 |
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対岸の共同浴場。
リニューアルされていますが、素朴な外観に好感が持てます。 |
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その内部。混浴の湯船が一つだけのいい雰囲気です。
この後林道が越えられずに、普通に鬼怒川温泉に下って立ち寄り湯でカラダ洗って帰りました。
この旅でソロ用の道具の必要性を感じたのが、その後のEUREKAのテント購入につながります。また、「盆で妻子が帰省中にひたすら下道使って貧乏野宿旅行をする」というスタイルの先駆けともなった、思い出深い旅行です。
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