1991 九州(三日目 寺尾野〜阿蘇・栃木) |
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朝、湧蓋山を部屋から見ます。昨日の大噴煙も見えます。
実はこの部屋、少し前に九州瀬戸内を襲った台風19号で屋根が飛ばされて修理が済んだばっかりだったのです。 |
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国道から少し入ったところにある山川温泉。
共同浴場には朝から浴客がたくさんいました。 |
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これはそのさらに奥、道の突き当たりの集落にある寺尾野温泉共同浴場。
地蔵堂のような外観です。なかなか見つからず、苦労しました。 |
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最近リニューアルされたみたいでピカピカです。 |
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内部はやはり低い仕切りで、浴槽部分は筒抜けになっています。いっそ混浴にすればいいのにと思いますが(笑)。
きれいに掃除されてあって、地元の人が大切にしていることが伺われます。 |
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山を下り杖立温泉に来ました。川沿いの露天風呂も台風でやられてただの水溜りでした。 |
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なかなか立派な温泉街です。 |
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まだ川は笹濁りです。 |
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秋だというのに観光用の簗が残っていました。 |
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大観望 |
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地獄温泉裏の噴気地帯のノ湯です。
一面のガレた沢のあちこちから湯が湧いています。 |
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適温・適温♪ |
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野湯でこんなにちゃんと入れるのも珍しいかもしれません。 |
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ススキの穂が開いてきています。 |
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酸の滲み出す祠。
強烈な酸です。 |
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地獄温泉「清風荘」
「すずめの湯」という名前で有名です。 |
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コッテコテの民芸調ですね。 |
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玄関の提灯も民芸調。 |
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少し下ったところにある垂玉温泉です。 |
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谷川に面した落ち着いた混浴の露天風呂で、宿からは離れたところにポツンとありました。 |
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湯が緑がかって見えますが、無色透明の湯でした。 |
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阿蘇・中岳にやってきました。
避難小屋があちこちに見えます。 |
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巨大な火口です。 |
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周囲にいた観光客はみんな東南アジアからの観光客で、日本人は自分たちくらいでした。 |
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艸千里?ドロドロですね。 |
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ここからは今はダムに沈んで移転した、栃木温泉「小山旅館」の情景です。
まずは旅館入口から玄関まで荷物を運んでくれるリフトです。カバンが揺られて行きます。下には露天風呂の屋根がわずかに見えています。
左奥は「鮎返しの滝」という名前だったと思います。 |
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本館入口。右側は自炊棟です。 |
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自炊棟全景。
古風なポストも自然に収まっています。 |
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川を望む露天風呂。確か混浴だったような気が・・・・・・。
かなり旅館からは離れています。 |
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これが反対側。
「鮎返しの滝」が望まれます。 |
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古風な木のブランコと土俵。
今時、土俵なんかで遊ぶ子供の客なんているのでしょうか? |
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自炊棟を見上げたところ。
出窓の洋館風の繊細な作りからすると、普通の客室だったのかもしれません。 |
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泊まったのは本館の一番奥の角部屋でした。そこまでの通路が上がったり下がったりの迷路状だったのは言うまでもありません。
端正な表情を見せる和室です。鏡台がまたシブい。 |
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これはとなりの湯殿を見たところ。
写真では分かりにくいですが、一部桧皮葺の非常に古いものでした。 |
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部屋の入口。「五号」が「五號」と書かれてありました。 |
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木のおひつが泣かせます。
すでに移転することが決まっていたので、色々なものが古色蒼然としたまま残されている、といった感じでした。
ちなみに宿泊料は一泊二食で8,000円だった記憶があります。 |
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これまた古風な漢詩の額のような、隷書で書かれた効能書。
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先ほど屋根を望んだ浴室「たでゆ」への非常に狭い通路。
手前には「家族湯」の看板も見えます。 |
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これがその内部。
湯舟が大半を占めて洗い場がほとんどない作りは、いかにも湯治場らしい古い佇まいです。
こんなにも素晴らしい姿をとどめる宿でしたが、前述の通り、今は上方に移転して全く面影は残っていないそうです。案外これは貴重な画像なのかも知れません。 |
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