「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
リア充な日々(笑)


インスタグラムのロゴ。最近変更になった。

http://moshbox.jp/より

 ソーシャルネットワーキングサービス・・・・・・SNSが空前の大流行だ。

 実際どうだろ?ユーザー数でミクシィはかなりベコ、FBも一時の熱狂が過ぎてやや落ち目、ツイッターは高値安定、新興勢力の画像中心なインスタグラムはガンガン伸び続け、似たようなタンブラーやピンタレストあたりがややマニアックな立ち位置でコアな連中に支えられてるってのが今の世間の動向ではあるまいか・・・・・・何となくの感覚で根拠はないんだけど。
 ちなみにおれも実は周囲から勧められてアカウントだけは取得した。しかし、全く使ってない。だってFBはオープン過ぎて自分のスタンスには向いてないし、既存のブログでツイッター的な用途はまったく事足りるし、インスタではテキストが足りないし、どだいプラットフォームを乗り換えるの面倒だし・・・・・・結局それかい!?(笑)。

 自分のことはさておき、そいでもってリア充な生活を謳歌してることをアピールするために、これらSNSに画像付きで日々の色んな楽しかった出来事を載せるのに今は猫も杓子も血道を上げてるんだそうである。実際見てみるとそこにはもうホントに華やかで色鮮やかで煌びやかなスイーツや献立、沢山の友達と弾けるような笑顔で戯れる姿なんかが溢れ返っている。

 ネットの世界に自分だって巣食ってるクセに(・・・・・・嗚呼、それも気付けば随分長くなったもんだ!)、アウトオブデイトでおっさんなおれとしては、そぉゆうのを見ても「へぇ〜!」とか「ふぅ〜ん!」とか、極めて間抜けな感嘆詞しか出て来なかったりする。おちょくってるのではなく、マジでホント何とも思わないのだ。だって名もない他人の生活なんだもん。それも恐らくはあれやこれや盛りまくってんだもん。せいぜい思うのは「ネットも発信ツールや回路が随分と増えたなぁ〜、いや〜良い時代になったモンだなぁ〜!」くらいだな。
 逆にこんなにネットの世界に色んなプライヴェート情報垂れ流しで大丈夫なのかなぁ〜?若気の至りなのかなぁ〜?って他人事ながらちょと心配になったりすることはある。ケッコーみなさんプロフィールとか実名が多いし内蔵助なんだもん。
 かくも醒めてるもんだから若い、特に女性が多いんだけれど、必死でリア充アピールしてるの見ると、むしろ痛々しくてウザいなぁ〜、って思ってしまうくらいだ。

 大体、そんなみんながみんな毎日四六時中面白可笑しく、かつ濃密に過ごせるワケないではないか。天気と一緒だ。晴れる日もあれば雨の日も風の日も雪の日もある。毎日晴れてたらアッと言う間にデスバレーになってしまうわ。

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 這えば立て、立てば歩めのなんとやらで最近はさらにリア充アピールも念入りになって来てるみたいで、「インスタ映え」などと称して、ものすごいアングルに凝ったりフォトショ並みの加工を施したりってなコトも横行してる。街のメシ屋・飲み屋の料理にしたって肝心の味は二の次三の次になっちゃって、「如何にインスタ映えするか!?」みたいなんが最重要視されてるケースさえあるという。各地の風景にしたって有名になるかどうかは結局インスタ映えするかどうかで決まってる。最近では房総にある濃溝の滝に人が押し寄せた、なんてぇ事件があったっけ。実態は何てことない川回しなのにね。そぉいや今年の夏は降って湧いたように「ナイトプール」なんてーのが流行ったっけ。芋の子洗い状態で屋上とかのプールにカクテル片手にプカプカ浮かんでひたすら自撮りの何がそんなに楽しいのか、どうしてもおれには分からなかった。
 情報はたちまち拡散する。でも、本当にその店の料理を食べたい、その景色を見たいと思ってみんな行ってるのか、おれはかなり疑わしいと思ってる。ただもうそういったSNS上の流行に遅れまいとオブセッションに捕らわれて、みんな必死になって喰らい付こうとしてるだけなのではあるまいか。ほいでもって私「も」食べました、私「も」行きました、ってキャプションを付け加えたいだけなんぢゃねぇのか?そうして流行に敏感アピールをしたいだけなんぢゃねぇのか?と。だってアタシ、リア充でなくちゃなんないんだもん。
 実際、おれの疑念を裏付けるようなビジネスさえ今では生まれてるらしい。何と呆れたことに、本人に代わってそういったインスタ映えする写真を撮ってアップしてくれる代行業者まで存在するんだそうな。語るに落ちるっちゅうか本末転倒っちゅうか、茫然としちゃうよね。

 何かメチャクチャ浅いし、さもしくないか?それって。

 大体、リア充っちゅう言葉が氾濫してるのは間違いないが、そもそも「充実」ってどんな状態のことを言うんだろう?「充たされて実ってる」、ってさ。まずはそっから省察するコトが大事だとおれは思うのだけど、実はリア充をアピールしてる人に限って実は、充実ってコトについて思いを馳せたことさえないのではないか?って気がしてるのだ。
 何故ならリア充アピールする人の充実ぶりは、見てて何とも貧乏臭くて凡庸、かつ類型的で紋切り型で、ちっとも中身が詰まってないのである。よほど普段ツマンねぇ生活送ってるんだろうなぁ〜、って思えてしまう。

 たしかにおれの知ってる人たちの中にも第三者的に見てホンマにリア充だなぁ〜、って思える人は極く少数ながら居る。絵に描いたように公私共にクリエイティヴでパワフルで色んなことに好奇心が溢れて行動力があって確実に色んな結果や成果出しててお金もそれなりにあって、オマケに色んなこと知ってるしアタマは良いし気の利いたトークは出来るし、朗らかで楽しそうで家族や恋人、友人に恵まれて、多くの人に影響を与えたりなんかもして、人生を謳歌してるっちゅうんですか・・・・・・いやいや、必ずしもこれら全部の要素を満たしてるワケではないけど、まぁそんな感じだ。
 ところが、そんな第三者的に見てリア充に思える人ほど、話してみると実は自分では現状に満足してなかったりするし、ちっとも充実してると思ってなかったりするし、どだいそんなどこぞのカフェで昼メシ食った程度のコトをイチイチ書き連ねる気がハナッからなかったりする。良く言えば向上心だろうが、ある意味、膨らみ続ける風船のようにどこまで行っても飽くことを知らない貪欲ぶりなのである。だからこれはこれでちょっとマズいようにも思ってしまうが・・・・・・。
 不肖、おれにもホンの僅かながらそういった傾向があることは認めるものの、彼等彼女等本物のリア充の足許にも及ばない。まぁ小物ですわ、おれも。

 言いたいコトは賢明な読者諸兄にはもうお分かりだろう。「う〜ん!充実してるなぁ〜」なんて自分で悦に入る程度の充実なんてまだまだスカスカだし、ましてや這いずり回るようにして地味生活驀進中なのにリア充を自らアピールしようなんて卑しくも甘い考えでSNSに向かった時点で既に、そんな了見の人は充実からは程遠いトコにいるのだ・・・・・・ちょっと逆説的ですかい!?

 ・・・・・・ああ、一つここで言い訳をしておく必要もあるだろう。「ぢゃぁテメエのやってることはどぉなんだよっ!?」って問いに対してだ。なるほどおれのこのサイトだって、SNSと昔ながらのHTMLベースってプラットフォームが異なるだけで、コンテンツの大半はあそこに行ったここに行った、たまにナニ食った、ってなネタばっかしだ。たしかにその点では変わるところがない。
 では何が違うかっちゅうと、おれはリア充アピールする気なんざこれっぽっちもない、ってコト、ただその一点である。おれのやってるのは身辺雑記の延長に過ぎない。それを継時的・量的に積み上げてくことが表現行為として成立するのか?みたいな一種の試みだ。もちろん、辛気臭いことや愚痴をグジグジ並べたってちっとも面白くなかろうから、その辺はかなり端折って憂鬱愛好症的な側面はあんまし出さないように努めてるし、周囲に迷惑掛かってもいけないんで多少の脚色を加える時もある。しかし、ありもしないことをあったように捏造して書いたり、ブスのフォトショ美人みたいな盛り方は一切してない。むしろ振り返ってみると引き算してる方が多い。

 一言で言えば、芸風として「淡々と延々と」を心掛けるようにしてるんですよ。そんなんがリア充アピールになるワケないですやん。

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 こうして考えてるうちに一つ思い当ったことがある。現代のSNSって畢竟、新しい時代の新しい仕組みであるにも拘らず、貧乏で夢見がちな庶民の少年少女の妄想の場であって、そしてこういったメディアツールの使われ方は昔から結構フツーにあったコトではないか?ってコトだ。
 まぁ、少年少女と呼ぶにはいささか薹の立ったニーチャンネーチャンが、支持する層の中心になってるのは日本の精神年齢の低下を物語るようでいささかナサケないけれど。

 古くはそれは妄想炸裂の偽日記だったり、ペンフレンドへの見栄と虚飾だらけの手紙だったりしたワケですよ。「20世紀少年」で夏休みの絵日記に行ってもない万博に何度も出掛けたってな嘘八百を書き連ねるようなシーンなかったっけ?あぁゆうのも同じ構造ですな。ただもう紙と鉛筆がスマホに替わっただけ。唯一SNSが日記や手紙と異なるのはその共有性や拡散性のケタが日記や手紙とはゼロ10個くらい違うってコトくらいだろう。

 大昔の少女漫画にあった、ビンボな家の女の子が盛りまくりの内容の手紙を遠くのペンフレンドに送ってたら、何のはずみかその相手が家にまでやって来ることになって大慌てとか、妄想日記つけてるうちに現実世界とのギャップがどぉこぉでとか、ルサンチマンが募ってとか・・・・・・そんな作品が当時は掃いて捨てるほどあったのだ。
 文字だけちゃうやろ!?SNSには現実の世界が写ってるのに妄想とは何ちゅう言い草だ!?とお叱りを受けるかも知れないけど、都合良くポコッと切り取られた現実世界なんて十分妄想のツールになり得るとおれは思う。そして現にそうなってるやん。

 ツラツラ考えてくと、今のネットに溢れ返るリア充アピールの大半が、所詮は派手な料理や友人たちとの遊び程度、夢のお城ったってせいぜい浦安にある巨大な書き割りくらいなんだから実はとても稚気溢れる可愛いモンで、まだ良しとするべきなのかも知れない。

2017.09.09

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