「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
Perspective On The Web


文豪・夏目漱石が何の関係があるのかは読めば分かります。

 メールやブログのコメント、掲示板、SNS等を介してのネット越しのお付き合いというのは、お互い相手の顔も見えなきゃ声も聞けないワケで、色んなコミュニケーションの中でも本当に難しいことの一つだと思う。実に悩ましい。おれの考え方がジジ臭いのかも知れないが、相対してその表情、目線、仕草、服装、話し方、使う語彙やイントネーション等々も含めての色んな情報交換がやっぱコミュニケーションなんだろうな〜、って思う。

 古くはペンパルとかペンフレンドなんてーのがあったっけ。平たくゆうと文通、っちゅうやっちゃね。シブいね〜。ダサいね〜。古いね〜。どぉだろ?70年代くらいまでは女の子を中心にそれなりに流行ってたような気がする。これも相手の顔も見えなきゃ声も聞けないワケで、なりすましだとか罵詈雑言だとか何とかめんどくさいトラブルが起きることがあったと言われてる。
 貧乏な家のコが虚勢を張って大金持ちの御嬢さんだとウソ吐いた結果、それが段々のっぴきならないことになってく・・・・・・ってなストーリーの短編マンガを昔読んだ気がするが、あれは楳図かずおだったっけ?まぁ、実際、似たようなことはあったのかも知れないが、それでもネット越しの付き合いほどではなかったかと思う。大体、1対1でしかやり取りできんから、掲示板みたいなことにはならんかったわな。

 ネット越しのお付き合いは顔や声だけではなく、名前や年齢、性別、職業、住所といったものも一切分からない。あるのはハンドルネームと呼ばれる一種の愛称と、アクセスログに残るIPアドレスくらいだ。しかし、ハンドルネームなんていくらでも変えれるワケだし、IPアドレスだって都度々々取得し直して接続するようなネットワークだとどうにもならない。

 群集心理なんかも同じ根を持ってるんぢゃないかと思えるんだけど、どうやら人は無各性の鎧を着込むことで逆に暴力的で無秩序な本性が剥き出しになる存在のようで、今やネットの世界は憎悪や嫉妬、傲慢、怨恨、軽蔑、自棄といった様々な負の感情、あるいは低劣で放埓な欲求の発散の場となってるのは今さら言うまでもなかろう・・・・・・なかろう、だなんておれもあんましエラそうに言えた義理ではないわな。細々とではあるけどこんな風にサイト構えて、法律その他の制約からの逸脱の回避や、何よりも上に述べた人間のイヤ〜な面を出さないことには腐心しつつ、それでもまぁそこそこ好き放題やってんだから(笑)。

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 ともあれ、そんなんだからおれはこうしてネット上にサイトを構えて草々のことを雑多に発信しつつ、受信にはワリと冷淡とまでは行かないけど、んん〜・・・・・・ここに相応しいのは恬淡だな・・・・・・そう、恬淡とやって来たのだ。
 ご自身でサイトを構えておられる方については、多かれ少なかれその辺の苦しさや難しさ、めんどくささを理解されてる方が多いんでまだそれほどでもないんだけど、いきなり見ず知らずの人で「単なる一読者で〜す」みたいに来られてしまうとどうにも疑心暗鬼で身構えてしまう。ましてや無遠慮なリクエストが来たりするとかなり癇に障ったりもする。それなら自分でブログでも何でも立ち上げろ、とさえ思ってしまう。身銭を切って、自分の時間を費やしてやりたいコトをやれ!っちゅうこっちゃね。

 言うまでもなく、多くの人は常識や社会性による抑止力が働いててマトモだし善良だ。ネットの裾野が爆発的に広がった今は、むしろ昔よりも一般社会の分布比率くらいにマトモな人は増えてると思う。それは分かる。しかし、裾野が広がればやはり絶対数としてヘンな人は増えるワケだし、実社会では物理的な距離があってあまり遭遇しなくて済むような人がいくらでもスーッと近寄って来れたりもする。正直、怖い。

 おれがいろんな書き込みやらメールに対してどこか慇懃無礼かつ愛想がないのは、一方では病的にモノグサだったり、とにかく忙しくて自身のコンテンツの拡充だけでも時間が取りにくいって仕方ない事情があるとは申せ、実はそんな恐怖心によるものが多くを占めてたりする。

 また、ネット上での交流も努めて避けてきた。同好の士ほど微妙な差異が許せなくなっていがみ合うことが多い。そんな状況を昔からイヤッちゅうほど見て来たからだ。やったことはせいぜい、自サイトの宣伝っちゅうか売込みみたいなんをチョコチョコ貼り逃げした程度で、どっかの板に居付いて、だとか、スレ主になって、なんてもぉクワバラクワバラごめんください桑原和男です、お入りくださいありがとう、ってなモンで、自分の中では他所の国のコトのように思えていたのである。

 それは何だか憶病な猫が障子の影から様子を伺いながらおっかなびっくり手を出して外界と関わろうとしてるようで、いささか気持ち悪いなぁ〜、と自分でも思う。
 不用意に他人を傷つけるのはイヤだっちゅうのは本音だけど、もちろん逆に心無い発言で傷付けられるのはもっとイヤだ・・・・・・などと人見知りで内気なといえば聞こえは良いが、要は単に自己憐憫炸裂の引き籠りのガキみたいな心理がそこにはあった。保身のカタマリだ。

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 こんなんぢゃアカンなぁ〜、と思ってたところ何たる奇遇か!これがユングの言うところのシンクロニシティか!(笑)、ちょっと前にとある掲示板を見付けたのだった。
 見たところ出来たばかりのようだ。まぁ、内容はぶっちゃけヌード写真を投稿する掲示板っちゃそれまでなんだけど、世に溢れる同じようなBBSとは明らかに一線を画した並びいる作品のクオリティの高さ(・・・・・・そう、「作品」と呼んで何の差支えもないほどにみなさん巧い!)や、単なるエクストリームやキンキー、ダーティー、エクスプリシットといった方向に走らせない主催者の方の節度感、運営ポリシーがシッカリしてるトコ、物欲しげなバナーが一つもないプレーンな画面作り等々が自分のやろうとしてることとかなり近いように思えて、僭越かつ生意気とは思いつつ随分思い切って一枚上げてみたのだった。

 掲示板である以上もちろん、十人十色どころか百人百色、様々な方が集うておられる。まぁ自作を上げてる人は実はそれほど多くなく、大半はレスを返すだけ読者なのは、まぁどこの掲示板にも共通したことだろう。何人かの方々は交わす内容からすると掲示板が出来る遥か以前からの知り合いのようだ。そんなところにいきなりヌーッと入って行くなんてムチャクチャ無遠慮に思え、これまでは怖くてとてもできなかったことなんだけど、恐る恐る上げてみたら意外にスンナリ迎え入れていただけた。何だか嬉しさよりも安堵が先に立ったような気がする。この辺の踏み込み加減や間合いがズレててイマイチ分からないおれは、やはりどこかコミュニケーション障碍者なんだろう。

 さてさて、おれが御邪魔するようになったのと大体時を同じうして、板ではある論争が持ち上がった。要は、管理人さんからの何でもかんでも勢いで上げられても困りますよ、それなりに作品として厳選・吟味したモノにしてくださいね、サーバの容量にも運営コストにも限りがあるんだし頼んますわ〜・・・・・・ってなお願いに対し、それはちょっと排他的ではないっすか〜!?とか、エエ道具持ってない人はダメなんっすかぁ〜?とか、あんまし厳しいこと言わんといてくださいよ〜!愛がありゃぁエエぢゃないっすか〜!ってな意見が出始めたのである。

 大半の人は、やんわりとその反論を諌めた。当然だろう。このテのサイトは信じられないほど運営に金が掛かる。10GB単位が数千円で借りれる一般的なサーバとは料金体系が天と地ほどに違う。転送速度だってそれなりのを確保しようとすると別料金、月間でのファイル転送量に対してはこれまた課金、な〜んてシステムが多い。だから通常は有料だったりバナーだらけだったりするのだ。
 その金を出してるのは誰か?って考えれば、結論はもう決まってるではないか・・・・・・って、大体金が掛かろうが掛かるまいが、主催者の意向には黙って従うのが当然ではないか。
 個人のお宅を使った画廊、あるいは展示品持ち込みOKの私設美術館を想像してみればいい。そこに絵を飾ってもらう以上はどしたってオーナーの意向に沿うのが当然だろう。油絵をお願いしますって言われてんのに、いやいや、これは素直で純朴でいいんですよ!とか言って子供のクレヨン画を大量に持ってきたらどうなるか?ってコトだ。

 結局、叛旗を翻した一人はファナティックに大演説を打ってはみたものの、自説が一向に認められず(・・・・・・ってまぁ、常識的に考えて無茶な主張すればそんな風にあしらわれて当然なんだけど)多勢に無勢と知るや、これまで上げたのを全部消し込んで出て行ってしまった。ついでにその大演説も。

 チキンなおれは結局、論争に参画することもないままひたすら傍観者に徹していたんだけど、被写体となってる奥さんが美しかっただけに一抹の残念さ・悲しさ・寂しさと共に、改めてネット越しのお付き合いの難しさを再認識させられた気持ちになったのだった。

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 他にも交流を持てそうなトコはないかな〜?っちゅう逍遥は、もちろん単純に裸体鑑賞っちゅうスケベ根性も手伝って(笑)その後もボチボチではあるものの相変わらず続けてる。

 そしたらある日、意外な発見をした。しばらくして見付けたある板で、件の出てった方がそこでもまた大炎上してるのである。めんどくさいんで細かくは読まなかったけど何日かウォッチしてたら、まぁ同じような経緯を辿ってみんなから色々言われて、もぉ金輪際出入りしません!なーんていささかキレて宣言して、そしてまたもや全部消していなくなっちゃった。学習力ないよな〜、って正直思った。大体都合悪くなると消しちゃうってのも何だか証拠隠滅っぽくて宜しくない。

 何なんだろ?結局は百年も前に夏目漱石が「草枕」で喝破したことに尽きるのかも知れない。

 -------山路を登りながら、こう考えた。
      智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

 ネット上での付き合いに必要なのは、ある種近所付き合いにも似た「ナァナァ力」ではないかと思う。過度に自説を主張したり拘泥したりせず、朗らかな挨拶を大事にし、時にはお追従や愛想笑も交えながら付かず離れずで行くことなんだろう。ただし、総出の溝掃除の日やゴミ出しの日とかのルールは守る・・・・・・と。

 そう、つまりパースペクティヴを明確にするのではなく、むしろ逆に如何に曖昧にすることこそが要諦なんだろう。いい歳しておれの試行はまだ続く。

2015.05.09

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