「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
7年目、突入


「7」っちゃ思い出すのはやはりこれ(笑)。

 決して飽きっぽくはないのだけれど、生来おれには継続性、っちゅうのがどぉにも欠けてて、何かにしばらくハマったとしてもそのまま長続きするってことがない。ある程度熱中の期間が経つとウソのように冷めて何年かほっぽり出し、そいでもってまた熱がぶり返して・・・・・・みたいなことばっか繰り返してる。断続的なのである。地震かよ!?火山の噴火かよ!?(笑)

 それがどぉしたことかサイト作成だけはツンツン積み立てコツコツと地道に丸6年、その間、若干の停止はあったもののまずまず滞りなく続けてきた。気付けば7年目に突入だ。
 我ながら恐ろしいページ数にまで中身は膨らんだ。出来の悪さは言わんといてぇな、とお願い申し上げるしかないその内容の薄さは置いとくとして、数だけは凄いことになった。開発ベースにしてるHPB(ホームページビルダ)はもうとっくに限界だ。どぉにもこぉにも全身に鉛板でもつけたように動作が重い。そのうち開かんようになるんちゃうやろか。

 そのようなクリティカルな問題を抱えつつも、ま、そん時はそん時やな〜、そのうち64bitマシンが普及すりゃぁメモリの制約もなくなって、とりあえず動作は回復するかも知れんし・・・・・・などとノー天気に開き直りながら、ボチボチと更新を続けてるのが最近の状況である。

 ・・・・・・要は考えなくなったワケだ。

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 最初はテンションなんかチョー上がりまくりのアゲアゲ状態で、寸暇を惜しんで、ホンマ文字通り寝る暇さえも惜しんで、目を真っ赤にしてコンテンツ拡充に勤しんでいた。ネタも過去の画像やら何やらたんまりあったから、ネガをスキャナで取り込んだり、あるいはテキストはエクスポートしたりしてhtmlシート上に再構成し、チョロッと推敲を加えるだけでいくらでも量産できた。埋蔵量があった。
 新規に書き下ろすこともジャカジャカやってた。出かける予定のない休日なんてほぼ終日PCの前から動かず、通勤時や会社の昼休みは言うに及ばず、出張で移動中の新幹線の車内とか旅先のホテルでさえもPC広げて文章打ちまくってた。いやもうものごっついパワーである。

 玉石混交のネットの海で目だって、かつ見やすい工夫もあれこれ凝らした。当時は今のようにスッキリしたデザインのテンプレートが多数備わったブログなんてのはまだ一般化しておらず、個人でネット上に何かを構えるとなると自分でゴリゴリ作るしかない。そのツールとして最も普及してたのが件のHPBなのであるが、これにオマケで付随してる背景やらgifバナーやらアイコンの類が、それはそれはもう筆舌に尽くしがたい、っちゅうか箸にも棒にも掛からんひどいセンスなのである。それなのに、ホームページが簡便にこしらえれる嬉しさで舞い上がって他に悩むべき事を忘れてしまったのか、それらを画面上に無反省かつ無秩序に散りばめて足の踏み場もなくなった、東南アジアのタクシーみたいにけばけばしくも悪趣味なサイトが世の中に氾濫していた。無料素材サイト、なんてーのも腐るほどあったが、それらにしたって畢竟どんぐりの背比べ作者の自己満足ばかりが炸裂したものが多く、実際に使えるセンスのものは実に少なかった。

 だからおれは全部逆を目指した。なるだけ色を抑制して地味にし、画面の動きやロゴの類も極力単純に揃えて統一感を持たせたのだ。それでも初代はかなりHPB臭かった。今見るとむっちゃダサくてかなり恥ずかしい。それでも何度かのサイトのクラッシュっちゅう事故にも結果的に後押しされながら、今はほとんどモノクロームの、葬儀屋のサイトだってここまで地味なんはないんちゃうか!?ってトコまで色数を抑制して来た。一方で嫌味でない程度にFLASHなんかをちょこっと導入したりもしたので、我田引水・自画自賛ながら初代からは随分スッキリしたと自分では一応思ってる。

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 この間、随分アティテュードっちゅうんですかスタンスっちゅうんですか、ネットの世界との関わりにも変遷があった。概ね最初の3年くらいは目一杯批判的なくせに結局は同じ穴の貉、ただのアクセス乞食だった。そりゃぁおれだって人の子、告白するならば日々アクセスカウンターが跳ね上がってくのを見るのは、それだけ訪問者が多いってコトなんだから、ちょっとばかし人気者になったような錯覚にも陥れて悪い気分ではない。
 だからせっせせっせといろんなお披露目サイトや小規模サーチエンジンにも登録しまくった。危険極まりないと言われる「ぱるぷんて」なんかにシコシコ書き込んだこともあったよなぁ。あちこちのサイトと仲良くなろうともした。面白そうなトコ、方向性が似てそうなトコを見つけると、そぉゆうトコへの訪問者ならきっとおれんトコも気に入ってくれるかな?なんて淡くも卑しい期待を抱いて掲示板に書き込んだりなんかもした。利用したのかよ!?と咎められれば、へぇまっことその通りでごぜぇます、ごめんなさい、と謝るしかない。
 脇目も振らぬ・・・・・・いや、なりふり構わぬっちゅうた方がより正確だろうか・・・・・・こうした情宣活動も活発に行った結果、日々のアクセス数は驚異的に伸びて行った。最も多い時ではユニークで2,500Hit/日以上を記録したこともある。もっと頑張れば日々1万なんてー空恐ろしい状態だって作り出せてたかも知れない。

 しかし、それも長くは続かなかった・・・・・・ってーか自分から止した。訪問者が増えればそれだけ雑音も増える。晒し上げやら誹謗中傷、荒らしや嫌がらせみたいなのも増えてきた。ワケの分からん変質者然とした連中(最たるものはやはり「奈良本某/熱川某」を名乗る変態だったな、笑)からの馴れ馴れしいメールなんかも増えた。それがイヤになった。もちろん、根が小心者だからどうにも自分が実力以上に過大に評価されてるような居心地の悪さと恐怖みたいなのもあった。

 一方で肩に力入りまくりで頑張ってたら身体が悲鳴を上げ始めた、ってーのもシュリンクさせた大きな要因だ。何せひたすら座りっぱなしで動かんでPCとにらめっこで、さらには睡眠時間まで削ってるもんだから、太るだけでなく血圧上がって耳鳴りまでする。肩凝りが一向に取れない。手足は痺れ、膝が痛み、目がかすむ。視界が歪んだりまでする。どう考えたってヤバい状態だ。
 そもそもは病後の無聊をキッカケに、記録は表現行為になれるか?みたいな素朴な思い付きから始めたのが、それで寿命削ってりゃ本末転倒もいいトコで世話ない、っちゅうこっちゃね。

 それでサーバ移転や上記のデザイン変更に合わせるカッコで、なるだけサーチエンジンに引っ掛からないようなロボット回避の仕掛けやらなんやらの目立たなくなるための工夫を凝らして今に至る。鎖国みたいだな(笑)。概ね現在は300〜400Hit/日の間をウロウロしてる。ま、往時の賑わいはなくなったが、気分はいい。でも、この気持ち良さは秋の爽快さだ。たまに寒くて胴震いしたりするような。

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 今はもうどうだっていい、っちゅうと語弊があるが、何事もあまり気にしないことにしている。お越しになられる方にしたっていい人も沢山いる一方で、どんなに努力したってヘンな人、イヤな人、壊れた人は世の中に意外な高確率で存在してて、それを排除することはそもそも不可能なのである。それができると思って詮無い努力を傾けることは虚しいだけでなく、創り手のある意味傲慢なまでの選良意識や高踏への憧れの顕現に他ならない。
 サイト始めた一等最初に書いたっけ、「おれはおれで誠実にコンテンツを出していくしかない」みたいなこと。それをようやく心の底から思えるようになった。これで食ってるワケぢゃなし、変な義務感にあくせく苛まされたって仕方ないし、ネットワークの向こう側のご機嫌取りしたって仕方ない。興が乗れば書き、どこかに出かけたら画像類を纏める、そして淡々とアップする。それだけ。更新頻度を気にすることもだいぶ失せた。止まらなけりゃエエやん、くらい。

 それが「考えない」ってコトだ。

 ただまぁそんなに偏屈でもないし孤独を愛する変人でもないので、今の鎖国政策を取り続ける気はない。親しくできる他のサイト様やリピーターの方がもっといたらいいのになぁ〜、って気持ちはある。あるのにどうも強面に思われるのか、気難しくて近寄りがたい印象を与えてしまうのか、それともスカしたセコさがいろんなところで見透かされてしまうのか、アクセス数の割りに掲示板や3行ブログのコメント欄は一向に盛り上がらない。やはり少し寂しい気もする。どぉすりゃぁエエんだろ?

 実世界においても、電脳世界においても、どうもおれは他人との距離感を掴んでコミュニケーションを取るのがヘタだよな〜、と独りブチブチぼやきながら7年目もやってくんだろう・・・・・・と他人事のように書いて今日はここまで。

2010.10.08

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