「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ユルく繋がっていたいかい?

ホントは怖いTWITTERなんちって(笑)。

 目下人気爆発大沸騰、AV女優かてあの米国大統領のオバマはんかてやってる、っちゅわれるのが「TWITTER(ツイッター)」である。

 ま、要はコチョコチョっとナニゲに書いたこと(呟き)に、これまた何となく同意した人がレスを寄越してだんだん緩やかなコミュニティを形成して行くSNSの一種らしい。ここでキモなのは、アップできる字数に制限があって、長尺の大演説を滔々とブチたくてもブてない構造になってるってことだろう。ブログの個人オピニオン発信の容易さとミクシィに代表される従来型SNSを併せた上で、さらにユルユルでお手軽にしたような仕組みと言える。

 おれは元々ブログにしたって3行程度しか書かないので、まったくTWITTERの必要を感じていない。また、サイトぢゃブログぢゃBBSぢゃ、とこれ以上いろいろ手を広げて維持して行くのは正直ちょとキツい。それに何より世の中の人とユルく繋がっていたいとは思わない。だからTWITTERには手を出していない。告白するとミクシィだってちょっとやって、何とも生ヌル〜い感じが気になってすぐに止めちゃったくらいだもんな(笑)。

 やってもないのをあれこれ批判するのも如何なものかとは思うものの、この「ユルく繋がる」ことについてウダウダ思いを巡らせてるうちに、或る種の不安が鎌首をもたげてきた。そのことについて今回は書いてみよう。

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 「総論賛成/各論反対」とは良く言われる言葉だ。人が2人以上集まればこの問題は必ず発生すると言っても過言ではない。
 卑近な例を挙げてみると趣味の集まり、同好会、みたいなんでのコンフリクトといったケースが挙げられる。元々は何か共通のモノが好きだからこそ、その場にみんな集うた筈なのに、だんだんと微妙な差異が許せなくなって来るのである。新左翼が多数のセクトに分裂してったのだって構図としてはまったく同じだ。元をただせば「資本論」って同じルーツなのに、専ら60年代にアッという間に星の数ほどのセクトに分かれてってしまった。趣味の繋がりは結局揉める。宗教なんかも同じだ。仏教だって耶蘇だって回教だって、一体全体いくつの宗派があるか分からないくらいに分かれている。

 そんな中でまだ比較的揉めないのはスポーツやらゲームの同好会だろう。何故なら概してそれらには遵守すべき「ルール」が所与のものとして厳然とあるからだ。野球を勝手に4アウトにしようたって、4振にしようたってムリだし、「**流」なんて流派があるわけでもない。比較的ルールがなさそうなマラソンだって、例えば次の大会は猛ダッシュでやろうぜ、たってキチガイ扱いされるだけだろう。将棋だって碁だって麻雀だって、ルールがあるからこそゲームとして成立する。こぉゆう組織が揉める原因は結局、強い/弱いに起因する様々な負の感情とか、後輩の可愛い女の子の取り合いみたいな場合だけだ。
 スポーツやゲームのルールに意味はない・・・・・・が、しかしそれは無意味だけど絶対だ。否、無意味だからこそ賛成も反対もヘチャチャもないのであって、実はここがいっちゃん大事なポイントなのだ。ルールだから守るし、守るものだからルール、と。

 一方、所謂「ホビー」の組織はすぐにそれぞれの流儀が出て来たりするもんだから揉める。最近では鉄道なんかが「撮り鉄」だの「乗り鉄」だのって、所詮はみんな「クズ鉄」の分際でえらくセクト化が進んで、元々ヲタばかりで見苦しいのがさらに見苦しいっちゃありゃしない。マンガだとかアニメだとかも似たような感じだな。何となれば要はそこに「ルール」がないからだ。「流儀」とさっき書いたとおり、要は自らの方法論や趣味趣向が百花繚乱で並存できてしまうのである。お断りしておくがルールを「マナー」と勘違いしてはいけない。ルールの有無に関わらずマナーは必要なものだ。あくまで「ルール」のことをおれは言ってる。
 このルールがないこと、もっと正しく言うと「ルールが成り立ち得ないこと」を突き詰めてくと、好き/嫌いに理由はないってことに行き着くのだろう。

 深く知れば知るほど微妙な違いが分かって面白いのが趣味の世界である。それはまぁその通りだ・・・・・・で、興味ない人には分からない、あるいはどうでもいい違いに価値と拘りが生まれる。個人的に最近ハマッてる自転車を例に挙げて言うならば、ホリゾンタルだスローピングだ、クロモリだアルミだカーボンだ、いや、それどころかMTBかロードか、な〜んて余人にはどぉでもいいことだろうが、本人にとっては一大事になってくる。何せ好きこそ物の上手なれ、っちゅうか病膏肓っちゅうか、そのことに思いを馳せてばかりだからである。そうするうちに他者との微妙な違いが、すなわち自分以外が許せなくなってくる・・・・・・ま、おれはそこまで何でもファナティックにはならないけどね、念のため。

 ・・・・・・で、政治思想なんてものには最もルールがありそでその実ちょっともない。ルールはその政治思想の結果生み出された社会システムにあるだけだ。政治ってーのはルールを作るのが仕事みたいなもんだから、そもそもの根っこには主張こそあれ、ルールはないのである。だからその叫ぶことに賛同者が増えてくれなくてはゴマメの歯軋りでどうにもならないのは言わずもがなである。

 さて、TGもかつて"There's Several Ways To Convince People"(※)って歌ってたように、主張への賛同者を作るにはいくつかのやり方がある。一つは理性の徒として、冷静に順序だてて論理的に粘り強く説明して理解させること。もう一つのやり方はその対極で、ドツくなりなんなりの暴力----昔風の言い方をするならゲバルト----に訴えてアーもスーもなく認めさせることだ。口でゆうて分からんのやったら下の口に物言わせたろかい!?みたいな(笑)。そしてもう一つ全然別のやり方がある、何となくキーワードとか雰囲気で上手く丸め込んぢゃうことだ。

 3つ目が最も巧妙なやり方であることは論を待たない。女性を口説くのに置き換えてみたらすぐに分かる。1番目だとダッセ〜野暮天として嫌われるだけだ。ちなみにどうゆうものかオトコには、この愚を犯す野郎が多い(笑)。どんなに論理的に自分が相手に惚れてることを語ったところで、それで相手が自分を好きになるワケがないのだが、ついついやらかしちゃうのである。2番目は所謂「強姦」ってモンに相当する。まぁ、昔話の世界では実は「略奪婚」として良く出てくる話ではあるが、今の時代にはいささか厳しい。
 ・・・・・・で、3つ目だ。実はこれが最も成功率の高い方法である。難しいことをゴチャゴチャ並べ立てる必要なんてない。並べるほど女の心は離れてしまう。ツカミをパッとかましたら後はサッサとお持ち帰り、これに限る。ナンパ師やコマシの行動を観察すれば良く分かる。

 だんだんおれの言いたいことが分かってきていただけただろうか?

 TWITTERは為政者、あるいは権力を目指す者にとってひじょうに都合のいい、すなわち危険極まりないプロパガンダシステムなのではなかろうか?って思えて来たのである。何せ難しいことを書こうにも沢山書けない仕組みだからこそだ。ならば政治家による「つぶやき」とやらは、ユル〜い情緒的な表現か、もしくは端的な一種のスローガン化するしかないではないか(余談だが長いつぶやきってもんがあるとすれば、それはやっぱ「愚痴」なのかな?笑)。
 後者を選ぶのはちょっとキティガイな人くらいだろう。巧妙で怜悧なヤツは間違いなく前者を選ぶに違いない。大衆を搦め取るにはソフトで甘く、そして理屈っぽくない断片的な囁きほど有効なものはないのだから。

 スコラ哲学的なまでの論理が一人歩きしがちな異様なリゴリズムと、情緒だけで論理のサッパリ欠落したポピュリズムが紙一重の関係にある、そんな民主主義という脆弱で虚ろな仕組みへの強力な毒薬になりうるのだ、TWITTERは。

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 あ〜、何と恐ろしいこっちゃなぁ〜、と思ってた矢先、ニュースでアメリカの図書館がTWITTERに上げられた全てのつぶやきを保存する、というのが報じられていた。何をバカげたことを!と鼻白んでる御仁も多いだろうが、上に述べたようなTWITTERの危険性を感じてたおれにしてみれば、この取り組みが実は権力奪取を意図した悪意のTWITTER活用への大きな、そして唯一の抑止力となりうるのではないかと思ってる。
 もしいつの日かTWITTERを武器にのし上がって権力を掌握した者が現れたとしても、ここに収められた記録を丹念に検証すればそのカラクリ・・・・・・否、ペテンは詳らかになるのだから。また、それは同時におれたちがどうしようもなく愚民であることも見事に立証して見せるだろうけど(笑)。

 煩わしいこともあったりするからこそコミュニケーションなのであって、コミュニケーションの煩わしさを排除したコミュニケーションツールなんて自己矛盾をきたした欠陥品だし、そこには大きな陥穽があると言わざるを得ない。昔から言われるように、泣いたり笑ったり喧嘩したりして関係性は構築されてくものなのだ。そこは絶対に端折れない。

 ・・・・・・そう、「ユルく繋がっていたい」なんて愚か者の虫のいい阿呆な願望に過ぎないのである。



※註:上で触れたTHROBBING GRISTLEの歌詞はだいたい以下の通り。興味のある人はYOUTUBEとかで探して聴いてみて。

   ----CONVINCING PEOPLE----:

     There was never a way
     And there's never a day
     To convince people
     You can play their game
     You can say their name
     But you won't convince people
     There's several ways
     There's several ways
     To convince people
     It's the name of the game
     It's the game of the name
     Convincing people
     Convincing people

     There's several ways
     There's several ways
     To convince people
     And there's several days
     And there's never a way
     To convince people

     There's one way though
     That you'll never convince people
     And that's when you try
     To be someone
     Who's not telling
     And who's trying to compel
     Who's trying to tell you
     What you ought to be
     Convinced of

     So there's several ways
     And there's several days
     To convince your people
     And you are the people
     Convincing people
     Convincing people
     There's never a way
     And there's never a day
     To convince people
     There's several ways
     There's several days
     We don't want to convince people
     Let me tell you I'll tell you what I want you to do
     It's no way, no way, no way
     To convince people  

2010.04.21

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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