「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ジェンダーレスの時代


「時じくの香の木の実」表紙。

 私淑して止まない天才・山岸凉子の作品を読んでると。どうやら彼女には、男性/女性の二元論的セクシャリティ・・・・・・平たく言えば、世の中の生身の男女がくんずほぐれつ汗やら唾液やら愛液やらザーメンやら(・・・・・・あるいはナンギな人では血液やら吐瀉物やら糞尿やら、笑)にまみれてセックスするモンなんだ、って動かしがたい実態に対するかなり根源的な嫌悪があるように思われる。
 しかしながらそれは、一種の現世憎悪や現実逃避に他ならないのも事実と言えるだろう。だってそんな風にして人間は連綿と続いて来たんだから。彼女が日本やギリシャ神話の世界に傾倒して行ったのは、案外この辺が理由なのではあるまいか?って気がおれはしてる。

 ただ一方では、何せ天才肌で高い知性も備わってるから、セックス全般に対する興味も知識も凡庸な人間よりは余程早いうちから持ち合わせてたであろうことは想像に難くないワケで、恐らくその辺のネジレっちゅうかジレンマから、早くも70年代初頭には現代のBLマンガの先駆けとなるような短編連作・「バロッコ・コンチェルト」を発表したりもしたんだろう。昔、懐かしの朝日ソノラマ版で買って持ってるハズなんで読み直そうとしたんだが、本棚のどの辺に仕舞ったかどうにも想い出せない。
 これはもう時代的にはムチャクチャに早くて、当時は問題作としてちょっとした騒ぎにもなったらしい。ちなみにこのBL路線の集大成と言えるのが「日出処天子」であるのは、今更おれが言うことでもなかろう。こっちはこっちで連載当時はストーリーを知った法隆寺が怒ったとかナントカ、かなりな物議を醸してた。

 さらには両性具有にもかなり昔から惹かれてるみたいである。サスペンスものの「キメィラ」ではどうにも救いのないオチとして使われてるが、「時じくの香の木の実」では性を超克した真の稀人としての両性具有が描かれる。
 ただし、っちゅうか、けだし当然、っちゅうか、彼女の描く両性具有とは、男性・女性どちらも備えたバイセクシャルではなく、どちらも欠落したノンセクシャルな存在である・・・・・・具有してへんがな。

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 ジェンダーレスの時代なんだそうな。個人的には全然ピンと来ない。ホンマかいな?って思うぞ。

 「**レスの時代」ってタイトルで先日から駄文を続けて書いてるが、実を言うと「**の時代」なんて真顔で信じて軽々しく口走るヤツはアホだと思ってたりする。さらには何でもかんでもケツに「レス」付けりゃそれっぽくなるように思ってる日本人の何と多いコトよ・・・・・・って実は最近良く観てるんですわ、「チコちゃんに叱られる」(笑)。
 そんなんで少々辟易さえしてるんだけど、そこからが我ながらヘンな所で、だからこそ執拗に言い立ててみたくなるのだ。逆立ちしてねじくれた自虐と露悪だな〜、って自分でも思う。

 それはさておき、そもそもジェンダーって何やねん?っちゅうトコから説き明かす必要があるだろう。今ではかなり見掛けるようになったコトバではあるものの、日本でこの言葉が一般的になり始めたのはワリと最近で、おれの記憶では80年代半ばくらいからではなかったかと思う。恐らくはニューアカブームとかあって、上野千鶴子の「スカートの下の劇場」なんかが結構なベストセラーになったのと相前後してたような気がする。
 ジェンダーとは訳すると「社会的『性』」ってコトになるらしい。セックスは「肉体的『性』」を指すんだが、社会学的に考えたって男性/女性の違いってあるやんか、ってな議論から、特別な意味を持って使われるようになったみたいだ。その前段階には当然フェミニズムや60年代から70年代にかけてのウーマンリブとかがあるのはニブチンなおれでも分かる。
 忌憚なく言うと、現代の、一体全体何のトラウマがあるんかは知らないが、イカレた女が好き勝手に男性憎悪を募らせる「だけ」のフェミニズムは、「理論武装した変態の群れ」とでも呼ぶべき状況であり、新左翼の果ての珍左翼よりもさらにグロテスクで見るに耐えない・・・・・・また脱線しちゃったな(笑)。

 でもってジェンダーレスとは?ってなるんだけど、どうもコヤツがどれだけ調べてもハッキリせんのだわ。出て来たのはこの4〜5年くらいちゃうか?って気がするんだけど、どぉにもハッキリしない。一応は「社会的・文化的な男女の区別をなくそうとする考え方」なんて説明はなされてるんだけど、でもどれだけ世間を見渡しても、それがある程度以上の集団を形成して、それこそ「社会的・文化的」な存在になってるようには到底見えない。

 一方で良く混同されるジェンダーフリーは、「男女共同参画社会」でしたっけ?あんな風な政策的な面でキーワードにされたりもしてる。言葉としてそれなりに今では市民権を得てる感がある。ちょっと政治の手垢が付き過ぎてしまったきらいはあるものの、まぁ育メンだのなんだの、この言葉が広まったオカゲで、男性原理で回ってた社会が少しは変わって来てると思う・・・・・・え!?おれ!?家事全般は何でもやりまっせ〜。特に料理は任せてよぉ〜、ですわ。出掛ける用事もない休日なんて、料理作ってるのおればっかしだモンな〜(笑)。今日も作り置き用の煮物を2品、明日の夕食にするカレー、今日の夕食の肉団子鍋、全部おれが拵えましたがな。あ!そぉいや昨日の晩のニョッキのミートソースも、おれが作り置きしてたヤツやんけ。実は洗濯もかなり得意だ。あまり好きでないのは掃除かな?掃除機の音がおらぁ昔からニガテなのだ。

 ・・・・・・結局んトコ、ジェンダーレスの方は、単なる男装の麗人/女装趣味をファッションスタイルで説明する言葉だったり、フツーの色恋の刺激に倦んだセレブの、単なる両刀使いの言い訳の言葉にされてるだけのように見え、若気の至りでやらかす色んな事象の一つくらいにしか思えない。だからジジィ・ババァになっても一貫して続けてたら褒めてやるよ(笑)。
 この言葉が登場するのも、どうでもいいようなファッション系の雑誌ばっかしなんだもん。何のこっちゃない、口当たりの良い言葉へのすり替えに過ぎない。思考停止もいい所で、ひどく底が浅いんだわ、要するに。

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 大体、「社会的・文化的な男女の区別がないこと」って定義が根本的に胡乱である。読めば読むほど不自然でムリがあるような気がして来る。ないことなんてないやんか。

 社会にだって文化にだって、男女の別は厳然として本来的に存在する。それがアカン、っちゅうなら世界の言語はどうなる?男性名詞/女性名詞の区別が厳格に存在するドイツ語なんかはそもそもアウトになってしまうではないか。ないのはせいぜいちいさな個人の領域だけのコトだ。さらに、個人が「区別ない」ってどれだけ強弁したって、人は社会的・文化的に育つからこそ人である以上、初めから「ない」なんてのは論理的にありえない。全ては後天的に習得したか、あるいは形質の発露があるだけだ。
 また、それを超越します、っちゅうたかて、ほとんどのケースは自由に行き来するワケでもなく、上に書いた通りただもう単なる女装趣味だったり男装の麗人(←この言い方もしかし、メッチャ古いな〜)ばっかしなのだ。何かおかしい。やってること自体をを非難する気はないが、ノウノウとジェンダーレスなんて言葉を振りかざすトコが気に食わない。。

 要は一人で好きにやってろ!いちいち立ち位置を求めるな、エラそうにすんな、ってこってすわ。趣味趣向を声高に主張するなよ、ってコトだ。

 例えば、「パンクはおれの人生だ!」と主張し、何だか良く分からんけど、生き方に於いて実践するのは一向構わない。好きにやればよろしい。でもだからって、「おれは仕事だろうが何だろうがパンクなファッションしかしねぇぜ!Oi!Oi!Oi!」っちゅうて、モヒカン刈りに鋲打ち革ジャン、穴だらけのジーンズで大事な取引先の商談に出掛けてたら、まるでバカだよね?いや、ま、突っ張って貫き通してやったってそら自由なんだけど、やっぱし組織だとか職場からは排斥されちゃう。それは仕方のないことだろう。

 おれが言いたいのはそぉゆうコトだ。

 なのに男女としてのメンタリティと肉体ってコトになると、何だか妙に許されなくちゃいけない、認められなくちゃいけない、尊重されなくちゃいけない、ってな最近の世の中の雰囲気がまずおれは嫌いだ。また、一方で当事者たちのヘンな権利意識も嫌いだ。事のナーバスさに付け込んで胡坐掻いてエラそうにしてんぢゃねぇ!って思ってしまうのだ。色んなマイノリティの諸相がある中で、何でそんなにジェンダーだけがエラそうにしてんねん!?と。

 そもそもそこまでナーバスな問題なんかい!?みんな大騒ぎし過ぎだろうとおれは思うぞ。

 「人は肉体といういわば『最後の脱げない制服』を着せられた存在である」、ってぇのがおれの基本的な考え方だ。だから制服がそもそも間違ってることだってあり得るし、それはしんどいことだってのはよく分かる。分かるけど、ピッタリ合った制服を着てる人なんて、実は世の中にそんなに多くはいないのも一方で動かしがたい事実だ。それでも多くの人が自己の意識と肉体とに違和感を持っちながらも、まぁしゃぁないな〜、って暮らしてる。
 そしてそれは別段、男女の差ばかりではない。男前・美人/ブサイク・ブス、背が高い/低い、スタイルが良い/悪い、色が黒い/白い、デブ/スレンダー、活発そう/大人しそう、雄弁/無口、落ち着きがない/ある、口や目が大きい/小さい、鼻が高い/低い、毛が濃い/薄い、大らかそう/神経質そう、強そう/弱そう・・・・・・これらの差異にはただの差異もあれば優劣もあるからややこしいんだけどね。
 男/女なんて、そりゃぁ肉体的にはメッチャ異なってるかも知れないが、実のところこれら列挙した差異の元となる属性の一つに過ぎない。

 ついでに言うと、さらに差異とは階級でもあろう。それは認める。しかし上に挙げたような様々な階級は、世界の中で複雑に入り組んでおり、単純なヒエラルキーで説明することは不可能だと思う。それなのに、男女という差異だけを殊更に取り上げて先鋭化するマルクス主義的フェミニズムにも大いにおれは違和感がある・・・・・・あ〜、また脱線しちゃったい。

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 結論、ジェンダーレスなんてガキの安っぽいまやかしに過ぎないんだろう。実に胡散臭い。でも、白痴化が進む一方の日本人はすぐアテられるからなぁ〜・・・・・・。

 ともあれ告白するならば、いささか意味深な調子で書いた冒頭のマクラは、間違ってたっちゃ間違ってました。引用したのはあくまで肉体的な性における両性具有をテーマにしてたんだもんね。スンマヘン。いや、色々記憶を手繰り寄せようとしたんだけど、手頃なのが出て来なかったんですわ。

2018.12.29
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