「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
オートマタ・・・・・・反復運動のエロティシズム


A・プレジウソ



形と作りの凝った様子からするとこれもA・プレジウソかな?

http://www.timetunnel-jp.com/、http://sexculptures.blogspot.com/より
 まずは上の画像を見て欲しい。

 これらはオートマタ(自動人形)と言って、レッキとした時計の技術の一つだ。まぁ、このようなえっちネタばかりではないのだけれど、やはり圧倒的に多いのはこのようにカクカクと腰振る挿入シーンである。

 機械式時計は「振り子の等時性」という原理をもちいて時間が正確に刻まれるようになっているのだが、ゼンマイの戻る力を寸止めにしつつ、一定の反復運動にして針に動きを伝えるいっちゃん大切な部品を「テンプ」という。そこでゼンマイの回転運動はいったん反復運動に変換され、再び文字盤上の回転運動に変換されるワケだ。
 この反復運動を流用したのが腰カクカクである。その分余分にゼンマイの力が必要になるし、時計として正しく動かなければ意味ないし、で、これ作るのはずいぶん高度な技術の要るものらしい。

 表面はいかにもロココな図案のカラクリだが、裏ブタを開けると、カックンカックン、ってなのも多い。


リュージュの懐中時計の例。裏ブタ開けるとカックンカックン。

http://www.ts-horiuchi.jp/より
 まことに他愛無いっちゃ他愛無いよね,。実際。

 しかし、これらは機械式時計の中で確固としたポジションを築いており、時計王国スイスにはこのようなエロティカウォッチだけを蒐集した博物館も存在するという。
 つまりは、「文化」なのである。それも金持ちの紳士の秘めたる愉しみ、みたいな隠微な文化。

 金持ち文化である証拠にこれらの時計はおしなべてムチャクチャに高い。上の懐中時計で定価約50万円、冒頭に掲げた独立時計士であるアントワーヌプレジウソの「アワーズオブラブ」に到っては100万円くらいする。
 ま、高いのにはそれなりのワケがある。素材やムーヴメントは言うまでもなく、一削りごとに彫刻刀を丹念に研がねばならないっちゅう、ひどく手間のかかる「彫金」、あるいは経年変化に強く色褪せがないとはいえ、焼成時に歪みや欠けといった不良品が多く出るためこれまた生産効率の極めて悪い「ホーロー絵」といったものを多用した、一言で言えば贅と数寄を凝らした造りなのだから仕方ないのだ。

 そこまで丹精込めて「春画」ですかぁ〜?って素朴な疑問は浮かぶけれども、いささか古めかしい言葉を持ち出すとこれらには「艶笑」っちゅう言葉が良く似合う。スケベなんだけど下劣ではなく、いくばくかのユーモアさえも感じられる。
 観光地の鋳物のキーホルダーや水着の脱げるボールペン、穴を覗くとヌード写真が見える珠etcといった、みうらじゅん言うところの「いやげ物」にももちろん共通する点はあるけれど、ここに掲げたオートマタが圧倒的に違うのは、その素材と技術の贅沢さによる、「おいそれとは真似できない点」だろうと思う。

 いつだったか、アメ横で1万円台のオートマタを見つけた。あまりの安さに一瞬買おうかな、と食指が動いたが止めた。いかんせんチャチなのだ。これでは観光地の下ネタ土産と変わらんではないか。

 ビンボ臭いスケベへはアカン、っちゅうコトなんやろね〜。

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 しかし、最初にこのテンプの反復運動から性器の出し入れを思いついたその着想力はとても示唆に富んでいるような気がする。なぜなら、以前、花村萬月が何かの小説で言及していたように(・・・・・・ってこの人、ホント最近は性哲学者に近いよね〜)、このように規則正しい反復や、またそれによる単調さ自体がずいぶんエロティックなものだからだ。もちょっというと性的な高揚感がそこにはある。

 ミニマルミュージックやヴェルベッツ、ファウストやDAFの楽曲での単純なシーケンスパタン、ワンコード、あるいは単調なドラムの連打、ルート音だけをなぞり続けるベースといった、もろもろの要素が何故にあんなに不思議な高揚感をもたらすのかと言えば、それは反復そのものの持つ効果なのではないかと思う。
 そぉいやテクノに「トランス」ってカテゴリーがあるけれど、テクノはその出発点がそもそもトランスなんぢゃないのかな?

 労働だってそうだ。往々にしてベルトコンベアの横で同じ単純な動きをひたすら繰り返すような作業は、チャップリンのモダンタイムスぢゃないけど、非人間的な労働の象徴と考えられているが、果たしてホントにそれだけだろうか?
 たしかに単純作業の繰り返しは辛い。学生の頃の単発バイトで、伏見の造り酒屋で流れてくる一升瓶の酒を、ひたすら10本入りの木枠に入れて、それをパレットの上に12本回しの5段で積み上げる、っちゅうのをやったことがある。本来は2人のところが一人がズル休みしたオカゲで、おれは文字通り2人分働かされた。
 どんなに必死に取ってもライン末端の回転する丸い台の上には、それ以上に少しづつ余計に一升瓶がたまっていく。そのうち台からあふれそうになるとオッサンが走ってきて最低限手伝ってくれる。オッサンも自分のポジションがあってこれまた必死なのだ。
 言うまでもなく死ぬほど疲れたし、金輪際こんな零細の過酷なトコには来るかい、と心に誓ったのだけれども、それでもその疲労にどこか性的なトリップ感覚があったのは事実だ。「法悦」に近かった、と言ってもいい。

 ま、その時はマラソンランナーみたいにドーパミンが大量に放出されてたのだろう。そぉいやマラソンも、景色の変化やペース配分に若干の変容があるとはいえ、これまた単純な、手足を振って走るだけの単純極まりない反復運動だ。

 法悦、つまりは宗教的エクスタシーのことだが、まさに宗教の修行もまた単調な反復を基本にしてる。飽きず規則正しく繰り返される朝の勤行、百万遍の念仏の口誦、法華の太鼓、千日回峰、面壁9年・・・・・・仏教的なことばっか書いたけど、他の宗教も含めて修行なんてみんな同じことの繰り返しばかりではないか。
 未開の地の呪術師だって、ハッパやサボテンやカエルの助けを借りたりするとはいえ、トントコトントコとタムの単調なリズムがなくてはトランス状態にに入れない。
 その向うに神か仏かは知らんけど、何がしかの、論理だけでは到れない高みがある。決して絶対的な至高ではない。性の高みとそれは極めて近似している。

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 つまりは”Repetition Is Sexy”なのだ。

 ・・・・・・ってなコトをエロティックなオートマタを手でもてあそびつつ語ることができればスノッブでそれなりにいいのだけど、ここまで何度も繰り返したように、オートマタの時計はとてもおれごときが手を出せる値段ではないのだった(笑)。


これは珍しく表面に装飾された例。しかし、めっちゃ見づらいっすね。
http://sexculptures.blogspot.com/より
2005.10.13
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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