「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
供犠・・・・・・山形一家三人殺傷事件より

 最近暗くキショク悪い事件が毎日のように起こって何ともイヤだなぁ、やりきれない世の中だなぁ、と思ってたら、今度は山形で、隣家の大人しい24歳の親戚の男が、夜中に親子三人を襲って死傷させる、っちゅーこれまた凶悪な事件が起きた。
 原因はそこんちの長男に小学生の頃性的ないじめを受けたこと、らしい。そのトラウマとルサンチマンが10何年して爆発して凶行に及んだというワケだ。何とも哀しい話だ。

 東京に専門学校生で行ったものの、さしたる就職もできないまま田舎にUターンし、派遣社員として電気工場で無遅刻無欠勤で黙々と働いてた、っちゅうから、この犯人のオトコ、一言で言って地味なヤツで、それほど順風満帆な人生を歩んでるわけではなかったようだ。 そんな日々を過ごす中で、電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなワタシ・・・・・・ぢゃなくアイツのせいなのよ、となることは容易に想像しうる。「そんなぁ〜10何年も経ってぇ〜!?」と、素直に驚きに満ちた疑問の声を上げれる人はハッピー野郎だな。鬱屈した感情は、大人しい人ゆえに心の中でくすぶりながら自己増殖をしていったのだろう。
 負の回路は厄介なもので、いったんこれにとらわれると、人はその粘着質のループからナカナカ抜け出せなくなる。

 ・・・・・・と、犯人のパセティックな心情を想像して書いてみたのだけど、実のところ、おれはガキの頃はどちらかっちゅうといぢめる方の側だった。今回は贖罪の意味も込めて、いぢめに関する思い出話を書いてみよう。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その名をA君としておこう。ちなみにいつぞや書いた習い事まみれのA君とは別人、念のため。

 A君はいつもみんなからいぢめられていた。おれもガンガン彼をいぢめまくった。とにかく子供社会のサンドバックのような少年で、下校途中の彼の服は、ボタンが全部なくなってたり、袖が半分なくなってたり、しょっちゅうボロボロになっていた。
 おれが引っ越して団地の住人になったのは小学校に上がる直前だったが、その少し前に引っ越してきたばかりの彼は、すでにいぢめまくられるのが天職のような存在だった。たしか一歳年下だったと思う。

 どうしてそんなに彼がいぢめられにゃならなんだのか、明確な理由はどこを探しても未だに見つからない。実際、彼はトロかったし、貧乏でもないのに何だかちょっとダサくて小汚ぇし、カオも不細工だし、とパッとしないヤツではあったけど。
 まぁ「いぢめ」なんちゅうもんは、それに値するだけの理由はいつも、あってはならないものなんだ、と分かってはいる。「いわれなき」差別、と同じだ。差別にいわれがあったらタマランわいな。それこそタイヘンだ。

 なぜなら、理由のあるいぢめや差別を「刑罰」というからだ。

 しかし、その内容たるや、実に峻烈過酷なものではあった。シカトするとか中傷するとか、そんな手ぬるいことは一切なし。肉体への攻撃に終始していた。いきなり蹴りを入れたり、石垣に腕押し付けてゴリゴリやったり、階段から突き飛ばしたり、壮烈なのでは犬のウンコ食わせた、って話もあったし、とにかくあらゆる暴力的な「いぢめ」の形態がそこにはあった。そぉいや、パンツ脱がされて泣きながらフリチンで帰ってる姿を見たこともあるな。
 言い訳する気は毛頭ないが、おれは上に挙げたこと全てに関わったワケではない。小学校の終わりくらいから、Aいぢめに飽きたのと、親から無理やり勉強させられるようになって、そんなヒマがなくなったのだ。ホンの少しだが、良心の呵責、なんてモノも育ち始めていたしね。

 で、ムチャクチャにやられまくってるA君は、っちゅうと、これがもう情けないことに、「ヒィィ〜キィィ〜」と声にもならないヘンな金切り声を上げるだけで、全くの無抵抗。
 彼はおれたちの姿を認めると、全速力で一目散に逃げる。それを4〜5人の悪童は手分けして追いかける。前述したように彼は「トロい」ので、奸智姦計に長けた我々の敵ではない。公園の隅とかに巧みに追い込んで、逃げ場を失って震える彼の料理に取り掛かる、ってな寸法であった。
 「A狩り」とおれたちはその行為を呼んでたのだが、まったくもってプロセスは狩猟そのものだった。彼は「人間」ではなく、ザリガニやバッタ、カエル等々、やはりガキ共によって供犠とされる小動物達と同じ土俵の上に住んでいた・・・・・・いや、住まわせられていた。

 正直に告白するならば、「A狩り」は実に楽しかった。何せ彼は「人間」ぢゃないのだから。

 小学校も低学年のうちの子供社会は、せいぜい半径数百mだろうが、学年が上がるにつれてその輪は広がって行く。A君が中学生になった頃、彼はもはや「世界」のサンドバックになり果てていた。日々、心底、惨めで辛かったことだろう。よく自殺しなかったもんだ。

 今になって思う。彼はあらゆる人間の原罪を一手に引き受けていたような気がする。輝ける聖性に満ちたマイノリティの呪わしい名誉を、彼は一身に引き受けていたのだ、と。
 まさに供犠、だ。日々、屠られていたのだ。公園のコンクリの四角いベンチは祭壇だったのかも知れない。

 前述の通り、おれは小学校の終わりごろからA君をいぢめることには参加しなくなってたし、高校は地元から遠く離れたところに行った。また、大学に入ると実家にあまり寄り付かなくなったので、A君のその後は知らない。近所の消息に異常に詳しかったおれの母親の話題に上ったこともない。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 いつだったか書いたように団地とは実に奇妙な空間で、とてつもない虚構の集積である。

    --------隅々の暮らしに編んだ
         畸形のエリア
         不具の辻褄        (P−Model”Atom−Siberia”)

 そんな、影の部分、裏の部分、フリークの部分、暗黒の部分、「呪われた部分」を強制的に欠落させられた世界にあって、A君の存在は実はとても大きかった、ってことに後年、おれは思い至った。

 マジョリティ⇔マイノリティの関係とは、換言すれば(恐ろしいことだが)、善悪の関係に他ならない。悪は悪たるものとして在るのではない。善が善であるために、つまりはマジョリティがマジョリティであり続けるために、マイノリティは対置され、貶められ、卑しめられなくてはならない。いわば、マジョリティによってマイノリティは生産されるのだ。その安定のために。

 「原罪」とは、「供犠」とは、そぉゆうことだ。人間、っちゅうのはどぉしようもない存在なのだ。

 A君よ、アンタは偉かった。放埓でナサケ容赦ないいぢめにひたすら耐えることで、おれたちを子供社会でのマジョリティとして成立させてくれていたのだから。

 そして最後に、これだけは書いとかなくちゃならない。
 本当に、本当に、すまなかった。A君が今は幸せな人生を歩んでいることを、おれは心底望んでいる。

2006.04.19

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved