人生を誤らせた一冊 |
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全然カンケーない話から始めよう。
「ボストンの絞殺魔」の間違いなく真犯人であるA・デサルヴォは、ナカナカいかつい、見ようによっては男性ホルモンをプンプンさせた色オトコだったが、「南河内の絞殺魔」前上博は見事なヒラメ顔の、なんともクニャクニャした印象のナサケないオッサンである・・・・・・で、この男、絞殺に目覚めたキッカケは?っちゅうと、何とまぁ中学のときに呼んだ江戸川乱歩の小説だそうだ。挿絵云々という供述もあるようだから、恐らくタネ本は昔はどこの小中学校の図書室にも備えられてたポプラ社の一連のシリーズではないだろうか?
言うまでもなく本に非があるワケではない。これらのシリーズを少年少女期に読んだ人は何千何百万人に登るだろうし、おれだって多分全巻読破したはずだが、それに啓発されてめでたく殺人鬼に育ったのはコイツだけである(・・・・・・ま、バレずに上手くやってるヤツは他にいるかも知れないけど、笑)。
つまりは、彼が持ってた形質の何かが・・・・・・そして思うにその形質はいつもは発露せず、浮沈を繰り返す塵芥のように暗い心の沼地を漂ってたのだろうが・・・・・・あのシリーズのどれかは分からないが一冊とジャストタイミングで感応し、増幅されちゃったのだ。才能が開花したのだ。
・・・・・・エラい辛気くさいマクラから始めてしまった。つるかめつるかめ。どだいボストンなんて、そもそもマジで全然カンケーあらへんがな(笑)。あ〜、ペダンティック!!
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本題である。「人生を誤らせた一冊」を選べ、と言われたらみなさんは何を挙げるだろうか?
理想の答えは「おれ、本なんてあんまし読まんし、そんなのあるワケねぇよっ!!」だろう。皮肉ではなくそう思う。「本がナンボのもんぢゃぁ〜!アオンダラァッ!!」と衒いなく言えることは、おれにはもはやムリだからだ。ガキの頃虚弱だったオカゲで気がつくと本ばっかし読んでるガキになっていた。え!?威張るな!って?
威張ってなんかない。本の虫なんてホメられたモンぢゃない。「ビブリオフィリア」っちゅうリッパな病気だ。書物淫乱である。
ま、次善の答えは気の利いたフランス文学なんぞを挙げることだろうか。今時ちょっとも流行らんけどね(笑)。え?「ソドム120日」?「O嬢の物語」?・・・・・・んん〜、あれで誤ってみたかったよっっ!!(笑)
おれの一冊は、実はなんてことない本だ。これまでにも何回か触れたことがあったから、なーんだ!と思われる方もいるかも知れない。
河田耕一著「シーナリィガイド」(1974 機芸出版社)がそれである。絶版になって久しいのと美本が少ない関係で、今では古書市場ではけっこうな相場で取引されているようだ。現在、手許にあるのは昭和53年の第3版だが、これは何と2冊目。最初に買ったのが、ガキゆえの粗雑な扱いであまりにボロボロになって擦り切れてしまって、仕方なく買い直したのだ。まるでアホやが、おれはこの本はほとんど今でも諳んじることができることができるくらいに読んだ。 |
 
表紙と裏表紙。読者の中にはひょっとしたら喉から手が出るほど欲しい人がいるかも・・・・・・
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どんな内容か知らない人に説明すると、要は鉄道の駅やホーム、信号所といったさまざまな施設や沿線の風景(シーナリィ)をいろいろなテーマに沿って整理して並べたものである。それだけっちゃそれだけで、汽車も電車もブルートレインもあくまで添え物としてでしか出てこない。
どういう趣旨でこんなものが書かれたのかというと、「鉄道のレイアウトにリアリティを持ち込もうよ」ってことに尽きる。機関車トーマスとひかり号が郊外電車の線路の上走るような非現実的なんばっかり作っててもしゃぁおまへんでしょ?みたいなことだ。
目次の一例を挙げてみよう。
● 駅と植物
● 山と水田
● トンネルと煙
● 防雪の設備
● 海辺の鉄道
・・・・・・渋い!実に渋い。車両のことなんてちっとも出てこないでしょ?
狙いは当たった。この本はこのテの趣味の世界のものとしては異例の大ベストセラーになり、その後のウルトラリアリズム、とでも言うべき異常に細密な作り込みの流れにつながるのだが、それはそれでまたいつか触れることにしよう。
機芸出版社は、日本の鉄道模型趣味雑誌の草分け的存在である、その名も「鉄道模型趣味」の出版元で、ここから出される単行本はほとんどすべてこの月刊誌の記事を集成したものだ。この本もまたそんな一冊なのだが、取り上げられているそれらの渋い元記事の年代に「人生を誤らせた」理由がある。いちばん古いのが昭和33〜4年頃、いちばん新しいのでも昭和44〜5年・・・・・・つまりはおれの産まれる少し前から小学校に上がるあたりの時代の風景がテンコ盛りに納められていたのだ。
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ちょうど万博の直前、昭和45年に、おれは新興住宅地に引っ越した。それまで住んでいた大阪市内の、それもいわゆる「ガラの悪い」下町の非合理的で無秩序な泥臭い風景とは異なり、そこはなんとも大味で合理的で無機質な、水と陰と寺と神社と墓のないところ・・・・・・換言すれば伝統も因習もしがらみもないのっぺらぼうの場所だった。西部の開拓地にやってきたようなもんだ。
規則正しく並ぶ5階建ての真っ白な団地の棟と棟の間の芝生にところどころ穴が開き、横には植えられる木が根元を荒縄で縛られてまだ転がされたままなのを見ながら唐突に、おれは「風景を喪失してしまった!」という感覚に襲われた。
風景を喪失するとは即ち、世界を喪失することに他ならない。
この原風景を奪われたような感覚はかなり心に深く刻み込まれたものと思われる。数年後に出たこの「シーナリィガイド」を、おれはそれこそむさぼるように読んだ。言うまでもなく、自分自身が喪失してしまった・・・・・・いや、むしろ「日本列島改造論」とかナントカの掛け声の下に土建屋に蹂躙され、国全体から急速に失われていった風景がそこにはギッシリ収められていたからである。
お世辞にも決して上手とはいえないモノクロ写真の数々は、妙に芸術志向のフォルムもアングルもない平板さゆえに一層、喪われた過去の日常を淡々と素直に切り取っている。
おれの喪失感覚と、喪われた風景に対する希求は、あの時期、この本に出会うことで感応し増幅された、と断言できる。
その後のつげ義春への傾倒、退嬰的とも言える懐古趣味、わびしく時代に取り残された風景や事物、無用の用へのこだわり、社会発展への根源的な憎悪・・・・・・すっかり後ろ向きで非生産的なオッサン、いっちょアガリ。人生、誤っちゃったなぁ〜(笑)。
実は終着駅のレイアウトセクションを作ろうとして、土台だけ作って放ってある。ある時思いついてノートパソコンを一回り大きくしたくらいのパイク(箱庭レイアウト)をこしらえたら、予想以上に上手にできたので、第二作として始めようとしたけど、どうにも方向性がまとまらなくてそれっきりになってるのだ。
何、そんな線路とかは凝ったものではない。本線が機回し線と貨物側線の三本に分かれ、また一本にまとまって草むらの中で途切れてるようなカンタンな配置で、島式ホームが1本のもの。記事の中に紹介されてた伊勢奥津(名松線)・鍛冶屋原(鍛冶屋原線)・上総亀山(久留里線)、取り上げられなかったけど福住(篠山線)等、昭和の始め頃の標準スタイル、みたいな形だ。
おれはそこに、喪失した風景をよみがえらせようと思ってる。しかし、年代は?地方は?季節は?と、考えるほどに欲が出てきてイメージを絞り込めなくなってしまったのだ。
これが首尾よく完成したとき、あるいはおれは風景の呪縛から開放されるのかも知れない・・・・・・そんな予感がする。いや、案外、次のがすぐ作りたくなったりしてね(笑)。
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いくつか余談を。
「シーナリィガイド」の続編が実に14年後、昭和63年に発行されている。河田氏の筆による記事はほとんどなく、いろいろな人の記事の寄せ集めとなっている。言うまでもなく内容的にはやはり、っちゅーか落ちる。
さらに執念深いことにそのまた14年後、平成14年に、パート3に当たるものが発行された。申し訳程度に古い記事からも採用されているが、全体としてはさらに精彩を欠き、大半はおれにとっては「痛い」風景ばかりだ。ちなみに河田氏の記事はもうない。
も一つ、この名作を書かれた河田氏本人について。
元気にご存命であって、無論、鉄道趣味なんかで食えるわけないのでちゃんと本職がある。何とまぁ、うわわ!!京都大学工学部を出て、天下の松下に入社、その後グループの中核企業の一つである松下技研の常務取締役までを勤めあげ、定年後の現在は高知工科大学の教授兼学部長、その間には東大から博士号を授与されるっちゅう、まっこともって一点の曇りもない人生を歩んでおられる・・・・・・ちょっとも人生、誤ってへんやんか!(笑)
ま、世の中えてしてそぉゆうモンっすなぁ〜、ってよく分からないオチで今回はおしまい。 |

1998年、永年の念願かなって行った上総亀山にて。無論、本の中の風景は喪われていたが、線路が変わってないのは極めてまれなケース。
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2006.04.19 |
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