「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
大念仏の屋根が見える


これが本堂


http://www.bukkyo.net/より

 関西本線の天王寺を奈良に向けて出発した列車はしばらくの間まっすぐ高架上を走り、最初の駅である「東部市場前」につく。そこを出てすぐ、右手に変わった形の巨大な歩道橋が望まれる。その近くでおれは生まれ、6歳頃まで育った。

 高度成長期であったことに加え、数年後に開催が迫った大阪万博を控えて市内は好況に沸いていたのだろうが、表通り以外はまだ砂利道で、家もそんなに建っておらず、ところどころ空地や畑が目立った。そんな中を砂埃を巻き上げて三輪トラックが行き交う・・・・・・まぁ、特筆することもなかろう。そんな光景はあの頃、市内の到るところで見られたはずなので、ごくごく平凡な風景の町だった、と言ってかまわないだろう。

 「最初の駅である『東部市場前』につく」などと冒頭に書いたが、それは現代の話だ。当時この駅はまだなかった。平成の世になって新設されたのだ。昔、天王寺出て最初の駅といえば平野だった。そぉいや「関西本線」なんてコトバも今やほとんど死語だな。駅の案内など耳ざわりのいい「大和路線」の通称の方が一般的になってしまった。

 そもそも関西本線は「本線」と名がつくくせに、大阪市内につながる路線としては福知山線の次くらいに近代化が遅れたやぼったい路線で、60年代末期はまだ電化もされておらず、貨物は全部蒸気機関車が引っ張っていたと思う。
 東部市場前、という駅はまだなかったものの、東部市場自体は物心ついたときにはすでにあり、隣接して「百済」って広大な貨物駅がくっ付いていたし、さらにその先の加美には竜華の操車場があった関係か、貨物列車の本数は多かった。
 ともあれ、通り過ぎた後も汽車の煙は線路の上空に長くとどまっていることや、汽笛やドラフトの太い音が遠くまでよく響くことを、おれはその歩道橋の上から、父親におそらくは肩車されながら覚えたのだった。

 そう、歩道橋から見渡す空や風景は、今からは想像もつかないくらい広々としていた。

 どだい高い建物が周囲にないのだ。家の向かいの小学校が3階建てだったくらいで、ほとんどの民家は平屋かせいぜい2階建て。だから、遠くまで良く見えた。環境問題なんて経済発展の前に取りざたされることはなかったので、空気そのものは今よりはるかに悪かったとは思うけど(笑)。

 そうして望まれるランドマークの一つに、「平野の大念仏」っちゅーのがあった。融通念仏宗の総本山の古刹である。その大きな本堂の屋根が遠くに見えるのだ。どうやら大阪府下では一番巨大な木造建築らしい。

 上のような知識は、さっきネットから引っ張ってきたものだが、無論40年近く昔の幼児が知る由もない。そんなガキに父親は次のような話をしたと思う。

 ------あそこのお寺にはお相撲さんがいっぱいいて、幽霊が置いていった着物とかがある。
 ------??????

 おれは混乱し、そして恐怖を覚えた。

 当時のおれのイメージにあるお寺とは実にベタなもので、「奈良の大仏」だった。んでもって「だいぶつ」と「だいねんぶつ」は、「ねん」の有無だけでよく似てる。だからおれはまず、暗くて巨大で威圧的な大仏殿の内陣を思い描き、続いて、そこにまわし姿の関取がウジャウジャあふれかえって、何か白い着物がいくつもぶら下がっているような景色を想像したのである。
 だいたいにおいて相撲取りって怖い。人間離れして大きいし、ムチュムチュしてるし、ハダカ同然にしてるのがフツーだし、現代人のクセに髷結ってるし、強いし・・・・・・そのイメージは鎮座する大仏のイメージとも重なり、ますます不気味なものに思えた。

 ・・・・・・こりゃ〜シュールである。吉田戦車のマンガのようにムチャクチャに不条理な世界だ。混乱するのも無理はない。

 その実態は呆気なくもカンタンだ。大相撲の大阪場所で大念仏ががどこかの部屋の宿舎になるのだ。幽霊が置いていった着物、とは、寺宝の「亡女の片袖」のことだ。ちなみに、これがあった縁で幽霊関係のコレクションが増え、今では境内に「幽霊博物館」まであるらしい。東京でいやぁ谷中の全生庵みたいなモンだな。
 知ってしまえばしょーもないオチだが、幼児だったおれには何だか大念仏がとても怖い場所のように刷り込まれてしまったのだった。

 平野には父方の祖母がまだ存命で、月に何度か仕送りを持って行ってたし、母方の叔父一家も住んでいたので、その近くまで出かけることは良くあった。たいていは母親に手を引かれて歩いていった。幸い、母親は寺社仏閣にまったく興味がなかったので大念仏に立ち寄ろうなどということはなかったけれど、何度か父親には「大念仏行ってみるか?」と言われたことがある。そのたびにいつもおれは「イヤや」と、かぶりを横に振るのだった。
 当然である。暗くてでっかい建物に相撲取りがあふれかえって、幽霊の帷子がぶら下がってるようなところに何で行きたいものか。

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 長じて中学の半ば頃、おれは筒井康隆の「走る取的」という作品を読んだ。スピルバーグのデビュー作である「激突」とよく似た話で、ひたすら相撲取りが主人公を殺しに追っかけてくるのである。

 読みながら、無論おれは平野大念仏のことを思い出した。これもまた、トラウマなのだろう。 


付近を撮影した古い航空写真(1974)

画面を茶色く斜めに横切るのが関西本線、上の広いヤードが百済駅、画面右の方に平野駅があり、その南側に大念仏が見えている。

http://www.mlit.go.jp/より
2005.10.22

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