「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
King of 習い事・・・・・・A君のこと

Hai!  
キャブスの日本ライブの模様を収めたアルバム。文章を読めば何でこの画像を置いたか分かります。

 たまたま小学校の入学式でうちのオカンが話しかけたか話しかけられたか、そして、たまたまその家が団地の斜め隣の棟だったことから、おれは、A君といっしょに小学校に通う友達になった。
 遠目にもすぐ分かる尖った頭は見事なぼっちゃん刈りで、ちょっと老けたような気むつかしげな顔立ちと、食碌の大きなほくろ・・・・・・やや異相というべきルックスが特徴の彼は、大柄で派手な目鼻立ちとおしゃれな姿のその母親と相まって、おれとしては、生まれて初めて実物で見る良家の利発なボンボンに思えた。同じ団地の3DKの間取りに住んでるとはいえ、だ(笑)。それに、「横浜から転勤でやって来た」っちゅーのも、いかにも「エエトコの子」って気がしたものだ。

 ・・・・・・今回も引き続き昔のことを書こう。ちなみにこの流れは昔、「遡上と検証」っちゅー鹿爪らしいサブタイトルで書き連ねてたものの延長線上にある。

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 A君とは、家に帰ってから遊んだ記憶がほとんどない。タイトル通り、彼は「King of 習い事」で、小学校1年生っちゅー年端も行かないガキにもかかわらず、ビッシリと習い事が入ってたからである。いわゆる国語・算数・理科・社会の学習塾は申すまでもなく、ソロバン、習字、英会話、水泳、ピアノ、バイオリン・・・・・・よぉもまぁこれだけ詰め込めたものだと思う。当然、1日1教科では収まらず、ダブルヘッダーの日もある。おれにはそれぞれの中身はなんだか良く分からなかったが、一人で電車に乗って6つも離れた駅にあるピアノ塾に通ってる、というだけで、もうジューブン驚異的なことだった。

 そんなんだから、彼との交流は一日片道約1.5km、大きな池の外周に沿って行く通学路に限られていたのだった。フツーに歩いて20分くらいの距離だ・・・・・・今思えばかなり遠い方だな。
 ともあれ、そこを道草しながら帰るのが、彼にとって見ればわずかな自由時間だったのは間違いない。

 別れ際、彼はこれ以上遅れると習い事に遅刻して叱られる不安と、もっと遊んでたい気持と、そして自分はおれ達とはちょっと違うんだ、という矜持がないまぜになったような、何とも複雑な表情で「バイバイ」と言うのだった。直感的におれは、彼の不幸というか悲哀を了解していた。

 小学校3年になって彼は、当時としては山奥の三日市というところに一戸建ての家を建てて引っ越していった。一度だけ遊びに行ったことがあるが、当時の南海高野線は河内長野から先が単線で、三日市の駅にしても島式ホーム一本の、いかにも「山峡の小駅」といった佇まいの、とても寂しいところだった。
 おれは一人で何駅も電車に揺られてそこまで行って、初めて少しA君に近づけたような気がした。

 それっきり彼とは会うこともなく、おれは小学校を卒業した。

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 これまで何度か紹介したスパルタ進学塾の説明会で、オカンに連れられたおれは、同じく母親に連れられたA君に再会した。シチュエーションが入学式といっしょやな(笑)。帰りがけに沢之町かどっか駅前の中華料理屋で食事したことだけは覚えてる。

 久しぶりに会った彼はスッカリ変わっていた。元々おとなしかったことはおとなしかったのだが、何と言うか、生気が全く感じられないのだ。最近では「アパシー」って呼ばれる状態に近いのかも知れない。何を話しかけても「ア〜」とか「ウ〜」とかナマ返事で、表情にも乏しい。正直、ちょっとイヤ〜な・・・・・・これも今風に言うなら「壊れた」感じがした。

 塾では、おれたちは遅れて入った関係で、しばらくは「N」クラス(どうやらニューフェースの「N」らしい)というところに入れられた。1ヶ月ほどしてクラス分けテストがあって、最初に入った連中とA〜Fまで6段階の学力別クラスに分けて混ぜられた。やってみるとハードなテストで、おれはアセッたが、結果は「B」だった・・・・・・ま、おれのコトはどーでもいい。

 ・・・・・・A君、サッパリ奮わないのだ。いきなり「F」。ハッキシ言って、かなりどぉしようもないクラスだ。
 最初、おれは信じられなかった。だってあんなにシッカリしてて、成績もよくて、たくさん色々習い事行ってた彼がだよ。おれにとっては初めて見た良家の利発なボンボンがだよ。
 最初はいっしょに帰ってたのだけど、クラス分けがあって以来、おれは何となく話しづらく・・・・・・っちゅーか、話しても相変わらず「ア〜」とか「ウ〜」なので、いささかその覇気のなさにウンザリして、距離を置くようになり・・・・・・そしてそのまま彼は学業低空飛行のまま、中1の終わり頃には塾を辞めて行ったと思う。

 つまりは、ガキの時分からのチョー詰め込み習い事のオンパレードに、すでに彼は押しつぶされた後だったのだろう。そう思うと、彼のアパシーも何となく理解できる。おそらく元来素直でイイコな彼は、「学習のフォアグラ鴨」状態に耐え切れなくなったのだ。あれだけガバガバと、「素養」という共通点以外、実は何の脈絡もないあれこれをテンコ盛りに押し付けられてりゃ、そりゃ〜もぉ、どーでもよぉなってまうわな。

 ご両親のどちらが教育熱心だったのかは知らないが、彼の子供時代は、おれなんか比べ物にならんレベルで凄まじく過酷だったのだ。

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 6年が過ぎた。

 大学に入ってしばらくした頃に、地下鉄御堂筋線の車内でちょっとエスノなデレーッとしたカッコしたニーチャンが、同じようなカッコのツレと話している。特徴のあるアタマの形、食碌のホクロ・・・・・・まぎれもなくA君だ。

 ------Aちゃうん?おれや、おれ。***や
 ------おお!久しぶりやなぁ。どないしてるん?
 ------おれ、今、京都の大学行ってるねん。おまえどないしてるん?
 ------おれ?おれ浪人や。ハハハ。

 今まで見たこともない快活な様子が伺えた。何より、表情と生気があった。

 ------そらたいへんやのう。
 ------いや、おれもうどーでもええねん、大学は。
 ------!?
 ------おれ、コイツとちょっと始めることがあるんや。
 ------何すんのん?
 ------ミニコミ。
 ------何のいな?
 ------音楽。パンクとかニューウェーブとかそんなんや。
 
 何とまぁ!(笑)ゴール地点いっしょ、みたいな(笑)。
 現代のようにインターネットがなかった当時、ミニコミはちょっととんがった個人が発するメディアとしてわりと一般的で、コピーを折りたたんだり、ホチキスで綴じたような粗悪な作りのものがあちこちで配布されていた。

 ------ほぉ!?ニューウェーブって?
 ------イギリスのインディペンデントレーベル・・・・・・ラフトレードとか、知ってる?
 ------ああ。知ってるで。
 ------その辺を紹介するようなヤツを作るんや。
 ------ほぉほぉ!どんなバンド好きなん?
 ------キャバレーヴォルテールとか・・・・・・

 「・・・・・・ほんなん、オマエが紹介せんでもフールズメイトやロックマガジンありゃ〜、大体分かるやん」とおれは思ったが、黙っていた。やっと彼が見つけた居場所を、5年ぶりの邂逅の後の、わずか10分ほどの会話だけでどうして否定できよう。ついでにキャブスが好きでないことも黙ってた(笑)。

 電車は淀屋橋に着いた。おれは京阪に乗り換えなくてはならない。別れを告げ、そうしてそれっきり20年以上が過ぎた。彼が今どうしているのか、おれは知らないし、あまり知りたいとも思わないが、いずれにせよ習い事漬けの英才教育(?)の顛末がかかる次第だとは、まっこともってサイアクなコトだわい、とつくづく思う。

 ・・・・・・無論、おれも含めて、のハナシだが(笑)。

2005.07.11

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