モトバイとロードパル |

これがヤマハのモトバイの画像。今でも所有する人がいることに驚き!!
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http://homepage3.nifty.com/ko-icimizusawa/index.htmより
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その日、悪友たちの多くが学校に来なかった。遅刻したりフケることはあっても、取りあえず顔だけは出すような連中だったし、揃いも揃ってこないことも、それについてセンセたちが何も言わないことも不気味だった。
おれには思い当たるフシがあった・・・・・・。
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70年代になっても相変わらず、南河内の丘陵地帯の雑木林には宅地造成の波が押し寄せていた。最初は林の木々がブッ倒されて土がむき出しになり、しばらくすると、きれいなひな壇に整地された無人の空地の中を舗装路が縦横に通る。小学校低学年の頃、カブト虫やクワガタを捕まえに行った森は減少の一途をたどっていたのである。
しかし、そこは悪童どもにとっては恰好の遊び場だった。小学生くらいの間はまぁ、爆竹鳴らしたりとかかわいいもんだが、中学生ともなると、エロ本見たり、タバコ吸ったり、ケンカしたり・・・・・・さらにはもちょっといけないコトまでやるようになってくる。
今日はそんな話だ。
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冒頭に掲げた画像はヤマハのモトバイ。ちょっと説明すると、これは現代のサスペンション付MTBのさきがけをなすような画期的な自転車で、前後にリッパなサスペンションが付いた、オフロードバイクのエンジン外して自転車にしたようなものである。重量も自転車とは思えないくらいに重かったのはいただけなかったが、不整地で遊ぶことを主眼に作られた非常にユニークなものだった。
70年代半ば頃、これを持ってるのは、以前書いた「セミドロップ・5段変速・フラッシャー付」のスポーツサイクル持ってるよりも、オトナな感じがして尊敬されたものだ。
・・・・・・さて当時、中学生だったおれは、メチャクチャに学校の成績だけは良かった。自慢でもなんでもなく、実際そうだったのだから仕方ない。しかし、どうしたことか学校で気が合うのは、いわゆる「不良」と呼ばれる連中が多かった。特にフレッシャーのエレキの話や、自転車の話で登場したSは、学校で一目も二目も置かれるワルだったにもかかわらず、なぜかものすごく仲良しだった。ヘーコラする子分みたいなのが5〜6人いたけど、おれはそぉゆう扱いも受けることなく、いわば「対等の友達」でツルんでいた。何か気心に相通じるものがあったのだろうか、今思い出しても不思議だ。
ある日、Sがおれを遊びに誘ってきた。おれは中2の終わりまではほぼ毎日スパルタ塾で忙しかったので、中3の初めあたりだったと思う。
------5丁目の奥に造成地できたやろ!?ちょっとあそこで乗り回そうや。
------何をやねん?
------モトバイ♪
------おまえ、それどないしてん?
------拾た。
------ウソつけ!落ちてるわけないやろ〜が!!
------まっ、なっ♪どぉでもええやんけ、そーゆーコトは!
パクリモンであることは明らかだったが、モトバイの誘惑に負けて約束の時間におれは出かけて行った。5〜6人集まった記憶がある。しかしモトバイは所詮自転車、30分もすると飽きるわ疲れるわで、お約束のタバコ吸ってゴロゴロしてると、Sがさらに魅力的なことを囁いてきた。
------バイクも、あんねん。
・・・・・・こういう時のネットリとした蠱惑的な話し方、巻き込みの上手さは、彼が天性の非行少年タイプであることを物語っている。最初にハッパかなにかでハメておいて、おもむろにシャブを取り出すようなもんだ(笑)。
ちょっと離れた生い茂った雑草の中から、数台のロードパルが引っ張り出されてきた。
ロードパル!
ラッタッタの愛称で親しまれたこれは、日本のスクーター復活のキッカケとなったホンダの歴史的名車だろう。お手ごろな価格と自転車に毛が生えたほどのマイルドな性能が人気を呼び、爆発的に売れまくっていた。これに対抗してヤマハからはパッソルが売り出され、その後の俗に「HY戦争」と言われる新車ラッシュにつながっていく。
とにかく簡単な構造で、ヘッドライトを横からポンと叩くとレンズがはずれ、その裏に配線がチョコチョコとあるだけ。そのコネクターを適当につなぎ替えてキックを踏むとエンジンがかかる。ハンドルロックもチャチなので、ちょっと電柱のハンドル当ててこじるとダイキャストがポロッと壊れる・・・・・・らしい(笑)。
どう見たって明らかに盗品である。しかし、盗品であろうがなかろうが、バイクが楽しいのもこれまた明らかなことであって、プリプリプリプリと頼りない音でトロトロ走るコイツをみんなで替わりばんこに乗り倒し、いい加減ガソリンがなくなると、あの辺にやたらと多いため池に沈めたのである。
池に向かって突進して飛び降りると、藻が繁殖して緑色のスリバチ状の池の底に向かって、哀れなロードパルはズルズルという感じで沈んでいった。
おれにはピカレスクの面白さが分かる。悪は、本質的に、快楽なのだ。対象物はショボいモンだったが。
・・・・・・ともあれ、そうしてその日を皮切りに、同じ場所におれたちは集まって、何度かプリプリプリプリと盗品ロードパルを乗り回したのだった。行くたびに新車(?)が入荷していたのは言うまでもない。んでもってガソリンなくなるとドボン。あの池をさらえたら、相当数の赤錆びたロードパルが出てくることだろう。
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そうして冒頭のシーンに戻る。
隣の中学のあるヤツが、この原チャリのパクリで補導されたのを発端に、芋づる式にSその他は警察もしくは学校のご厄介になったのだった。最初に補導されたヤツがしょーもないヤツで、他人を巻き添えにして自分の罪を希釈しようと思ったのか、ペラペラしゃべりまくったらしい。Sの家は校区が複雑に入り組む昔からの村の近くにあった関係で、ソイツと不良つながりがあったのだ。
おれはパクりこそしてないものの、パクリモンと分かりながら一緒になって乗ってたので、彼が何か一言話せば、警察まではないにせよ、梅ランクとでも言うべき「親呼び出し校長室」コース程度の何らかのお声はかかってしかるべきだった。
しかし、ついぞ何も起こらなかった。彼は非行少年体質とはいえ、オトコだったのである。ツレを不用意に巻き込むようなケチなことはしなかった。おれを含めその他数名の、乗っただけのヤツについては絶対に口を割らなかった。彼の男気にはおれは今でも感謝している。
あの時、彼がハンチクなヤツだったら、おれの人生は今とはかなり変っていただろう、という気がする。変わったとして、それがいい方向だったのか悪い方向だったのかは知りようもないが、とにかく、彼の守った沈黙はそれほどに大きいものだったように思うのだ。
高校になってからは通うのが全然違う方向になったし、おれの行くことになった学校はとても遠く、通学時間も異なるので、Sとの付き合いは中学で途絶えた。しかし、おれは今でも、ちょっとスネたような目付きで、気に食わないヤツをボコボコにシバキ倒したり、悪事の香りのするものをどこからか仕込んできては悪友たちを巻き込んでいた彼のことを、折につけ憧憬をもって思い出す。
もう一度、書く。悪は、本質的に、快楽なのだ。
それを知らずに、あるいは知らないフリをしたまま年だけ食ったヤツなんて、どれだけ社会的成功を収めていようが、金があろうが、おめでたいだけのつまらないカスか偽善者だ。
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これが初代ロードパル

こちらがパッソル。脚をそろえて乗れるのがウリだった。
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http://www.honda.co.jp/collection-hall/2r/455.htmlより
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2005.07.08 |
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