「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
Day by Day at 「造り」酒屋」


下宿にて当時のおれ。細いし髪の毛もタップリ(笑)

 就職する前年の秋だったろうか、春にそれまで経営してた塾も畳んでさまざまな日雇いバイトで食いつないでたおれは、造り酒屋で長期アルバイトをすることになった。求人に応募したのではない。酔狂なことに電話帳を繰って自ら志願したのである。
 今日はその頃のことを書いてみよう。

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 伏見にはそれでもまだ沢山の造り酒屋がのこってたし、学生相談所で紹介された単発バイトで「招徳」や「名誉冠」に行ったこともあった。しかし、住んでたのが修学院って京都市内でも北の方だったので、毎日通うにはやはりちょと遠い。おれは二条通の商店街に造り酒屋っぽい構えの店があったことを思い出した。さっそく電話したが結果はアウト。何年も前にそこは酒造りを止めたらしかった。

 さらに思案・・・・・・おお!そやそや!バンドで出演させてもらっていた、丸太町智恵光院を上がったトコにあるライブハウス「拾得」の近所に造り酒屋があったような気がする!
 そういや出演前に銭湯でひとっ風呂浴びて表に出たら、屋台の蕎麦屋がいたことがあった。中華ソバちゃうで。日本蕎麦。的に矢の当たってる図が描かれたような行灯が横についた、まるで時代劇に出てきそうな古風な代物だった。あんなのがウロウロしてる町だから、造り酒屋だって生き残ってるに違いない。そもそも「拾得」って酒屋の土蔵を改造したもんぢゃなかったっけ?ドラムの台だって樽で出来ていたもんな。
 さっそく電話帳を繰るとあったあった。その名を「S酒造」という。ふたたび電話。

 電話に出た声は、さっきの電話のときもそうだったが、やはりいぶかしげだった。そりゃそうだ。いきなり飛び込みの電話で「働かしてくれ」だもんな。
 その時のおれが、なんでそんなに造り酒屋で働きたかったのか、今となってはよく分からない。京都での生活に終わりが見えてきて、何か記念が欲しかったのかもしれないし、吟醸酒造りに関する本を読んでアテられてたのかもしれない。ともあれ、熱意が伝わったのだろうか、おれはとにかく面接に呼ばれた。

 ・・・・・・行くと、狭い一方通行の通りを挟んで東側が自宅兼店舗、西側が蔵になっており、恰幅のいい、いかにも「大店の旦那」といったオッチャンがでてきた。それが社長で、おれはその人に面接を受けたのだが、当時の学生バイトの面接なんてのどかなもの、学生証見せたらそれでOK.。日当は良く覚えていないけど、わりと条件は良かった気がする。ただ、造り酒屋の繁忙期は年内一杯だそうで、年明け以降も期待していたアテははずれ、おれは12月の終わりまで、って契約とあいなった。

 働き始めたのは、この通りまったくの偶然だったのだが、この酒屋にはしかし、奇跡的なまでに手作業が残っていた。1升瓶の特級や1級・2級といった定番製品以外はほとんどの作業が機械化されておらず、零細っちゃこれほど零細もそうないのだろうが、そのおかげでおれはそれからの毎日、見るもの聞くものすべてが珍しい、なかなか刺激的な体験をさせてもらったのである。

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 最初に教わったのは、「洗瓶」っちゅー作業だ。一辺が80cmくらいで縦横5列、等間隔に中空パイプの突き出した、平たい台状の「洗瓶機」なるものが作業場の壁に立てかけてあり、小口の注文が入るとそれを下にすえて2合〜4合瓶をそのパイプに逆さに差す。台の真ん中には水道のホースを差すところがあって、水を出すと、その水圧でくるくる回りながらパイプから水を噴き出して瓶の内部を洗うのだ。何ともアナログで味のある作業だった。水は冷たかったけど(笑)。

 次に覚えたのが「金箔入れ」と「打栓」。何のことはない、酒を入れ終わった瓶に、金箔を割箸でつまんでちょっとづつ入れて、しかる後に栓をかぶせ、手押し井戸のような変なレバーのついたものでギューッと押さえるといっちょ上がり。何度かおれは、金箔を景気良く入れすぎや、と注意された、

 でもって「ラベル張り」。こんなことまで手作業(笑)。まずは束のラベルを50枚くらいいっぺんにΩ型に折り曲げる。続いて長さ2mほどの板にハケで糊を塗る。そこにラベルをペペペペペペペッとあてていくと。糊の粘力で一枚一枚板にラベルが並んでいく。それは戸板に蝶が群がってる光景を思い出させた。
 その糊のついたラベルを乾かないうちに瓶に押し当て、広げると不思議なくらいきれいに瓶にくっ付くのだ。

 机の上にすえたステンレスの巨大なビーカーのような樽から、細いゴムホースで1本1本、酒を瓶に注入する作業もやった。樽酒を詰めることもあったが、杉の香りを付けるために何と、ほんまに杉の1斗樽に2週間ほど酒を詰めて倉庫に転がしとくのである(笑)。「注文来てもこれやとすぐ出せませんやん」と言うおれに、ちょっと言いわけっぽくも頑是ない子供のような表情で社長は語った。

 ------あんなぁ〜、「K」って酒で樽酒、そこらへんで売ってまっしゃろ?ほやけどな、あんなに樽酒がボンボンボンボンよーさん作れるわけおまへんねん。あれはな、杉の香りの香料混ぜて作ったあんねん。うちのこぉゆうのがホンマモンの樽酒やねんで。

 職人気質というべきか、こんな調子だから、小瓶に入ったような製品は一般の流通ルートには乗っておらず、阪急百貨店の日本酒コーナーとかにのみ卸しているらしかった。

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 それにしても、だ。いきなり飛び込みでやって来た、2年も留年してる酒好きのヘンな大学生のおれに興味を持ったのか、社長は色々なことを教えてくれた。

 ------最近、吟醸酒ってはやってまっしゃろ?・・・・・・で、吟醸香がどうとか言うやおへんか?ほやけどな、ほとんどの吟醸酒は「付け香」っちゅーて、香りのエキスを混ぜてるんや。ちょっと見てみ、これがそのエキス入ったあんねん。これちょっと入れるだけでパ〜ッとエエ香りつくんやけどな、付けたヤツは、ぬる燗にすると一発で香りがのうなりまんねん。

 そのエキスは発酵タンクの上に瓶をつけておくと溜まるものらしかったが、揮発性が強く、とにかく貴重なもので、ものすごく大事に扱われていた。

 ------「T」って、伏見で吟醸で有名なった蔵、あそこな、あれ絶対ちゃんと米砥いでまへんで。税務署行ったらな、米の入荷と酒の出荷どれだけあったか全部分かるねん。あんな米の仕入れ量であんなによぉさん吟醸酒造れるわけあらへん。ほんまえげつない仕事やってはりますわ。

 ------スーパーとかで売ってる酒粕、あれはアカンねぇ。あんなけ絞ってしもうたらもうパサパサ。一番美味しいトコがのうなってしもて、ホンマにカスや。酒かすはこう、粘土みたいにペットリしてるくらいでないと味おまへんな。焼いてみたら違いがよう分かる。うちのはホンマ香りがええんや。

 ------生酒、ってホンマは火入れしてない酒のことなんやけど、そんなんがなんぼ冷蔵庫入れたかて何ヶ月ももつワケあらしまへん。これ見とぉみ(と冷蔵庫の生酒の瓶を手にとって)。何やモラモラァ〜ッとしとりまっしゃろ?生やとなんぼ濾しても酵母は生きて残っとるし、こないして時間たつと発酵進んで澱が出てくるわけや。そこら辺で売ってる生酒、っちゅーのはたいていはやな、火入れした酒に付け香して、それを冷蔵庫で保管した、っちゅーだけやねん。そんなん「生」ちゃいますわな。ほやから、ホンマモンの生酒の寿命は、もってせいぜい3週間くらいやな・・・・・・・でも、酒は香りだけで騙されたらアカンねんで。味あって美味いんは、ホンマは「古酒」(火入れした酒)の方なんや。

 そう言いながら社長はタバコをくわえた。タバコ吸ってて細かい味のチェックは大丈夫なんかいな?(笑)。オマケに銘柄は、当時でもすでに少数派だったロングピース(笑)。ちなみにおれも当時はロンピーだったので、そのことも、親近感を抱かれた要素の一つかもしれない。

 ・・・・・・ある時など、滅多に見れんモンやろ、と桶売りをしてる先の、誰もが知ってる超大手の「S」の工場に連れてってくれたこともあった。多分、いいもの作ってるという自負にもかかわらず、大手に寡占され、桶売りなどといういささか屈辱的な方法で製品をさばいてることを見せて、何かを感じ取って欲しかったのかな、と今では思う。
 合理化され、巨大な機器類が整然と並ぶそこは、「酒造場」ではなく、「工場」だった。伝承と因習と技術がないまぜになった杜氏の職人的な世界とは大きな懸隔のある、マスプロダクトの世界だった。そこにはたしかに、安定した品質はあろうが、奇蹟が降臨する余地のないことは明らかだ。

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 最も面白かったのは、敷地の奥の方の蔵で何本も並ぶ、緑色に塗られた発酵槽から原酒を出して、清酒にする作業だ。ちょっと詳しく書いてみよう。

 中庭のようになったところに、まずは子供用プールほどもある大きなステンレスのたらいをきれいに洗って出す。そこに活性炭をぶちまけ、そこにポンプで粗く濾しとっただけの原酒を流し込んで攪拌する。当然真っ黒のドロドロになる。おれは別府で入った鉱泥湯を思い出した。こうすることで、細かい澱が活性炭に吸着されるのだ。
 次に、巨大なフィルターペーパーを何枚も何枚も枠の間にはさんで万力で締め上げたものに、この黒いどろどろをコンプレッサーで送り込む。そうすると、やや黄色味がかった清酒の原酒が出てくるのだ。いつも絞りたてを少し飲ませてもらっていたが、おそろしく美味い。あれは普段我々が飲んでる日本酒とは、まったくの別物だ。
 1升瓶等を大量生産する場合はそのままラインで酒は送られるのだけど、小ロットの場合、こうして絞った酒は件のステンレスのビーカーのようなところに溜める。アルコール度数が高いので、適正な度数になるように酒造りに使ったのと同じ井戸水で少し薄める。これを「割り水」という。
 最後に、香りのエキスを数滴(信じられないくらいちょびっとで充分)垂らして、サッとかき混ぜると生酒のできあがり。最初から最後まで現場には、まさに馥郁たる香りが漂い、酒好きにはたまらん仕事だったなぁ〜。何のかんのでほとんど毎日利き酒やらしてもらってた気がする(笑)。

 ・・・・・・ともあれこうして京都での最後の秋は過ぎて行き、最後、正月前に杜氏さんたちが酒米でついた餅やら餞別代りの酒やら酒粕やらをもらって、おれの造り酒屋での日々は無事終わった。そういえば、いつの間にかおれはフォークリフトも運転できるようになっていた。

 思えば壬生の町での酒配達の日々は、くすんだ町の景色ともあいまって、何とも陰々滅々とした沈鬱な印象が強かったが、ここでの毎日は、それなりに忙しいものだったけど、何だか南向きの庭で遊んでるような、暖かくも楽しいものだった。

 年が明けて3月、若干すったもんだはあったがどうにかおれは大学を卒業し、別のところでも触れたとおり、社会人になる自覚にも志にも欠けたままおれはサラリーマンになり、そしてそのまま何となく今に到っている。

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 思い出話はここまでだが、いくつか後日談を。

 まず、この話から1年後くらいに出会うことになる女の子。結局今ではおれのヨメなのだが、その父親が杜氏であることを、おれはつきあってしばらくしてから知った。残念ながら、このS酒造に行ったことはないそうだが、親戚筋が社長が文句言ってた「T」の蔵にいたことがあるらしい・・・・・・どうにもおれは酒に縁が深い。

 もうひとつ。今回、話をまとめるにあたってネットで調べていて意外なことを知った。この酒屋、最近TVで活躍中の俳優の実家なのだそうだ・・・・・・ってコトは、あの恰幅のいい社長さんのご子息、ってことなのだろうけど、ちょっとルックス的に開きがありすぎて、事実を知った今もピンと来ない。

2005.06.10

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