「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
有田のみかん山



 夜明けの海辺の国道の、少し路側帯が広くなったところでおれたちは停まった。急斜面一面に拓かれたみかん畑は、どれも実がまだあまり黄色くなっていない。温暖なせいなのか、秋だというのに夏休みの朝のように靄がかかったうす曇の中、徹夜明けの寝不足と激しい二日酔いのおれとM作は10分ほどぼんやりとその景色を眺めてから、深い後悔に打ちのめされながら、無言でもと来た道を引き返したのだった。

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 まだ400の単車に乗ってたから二十歳前後の頃のことだ。

 叡電の八幡前にあった「M」という飲み屋のカウンターで、その夜もおれとM作は飲んでいた。この店は非常に美味く、見た目もきれいに盛られた料理をとても安く出すところで、おれ達はその店を見つけて以来、それまで足繁く通っていた銀閣寺界隈から少し足が遠のいていた・・・・・・っちゅーても、まぁ一般的な学生よりはそれでもよく足を運んでいたんだけどね(笑)。

 その日、二人とも何でそんなに調子が良かったのか理由は忘れたが、とにかくおれたちはキチガイのように飲んだ。おれは決して下戸ではないが、酒豪のM作に比べれば全然大したことない。それが二入で大瓶のビールを10本ほど、キープして4合ほど残ってた日本酒、さらに1升瓶キープ入れてそれもアッという間・・・・・・色々な肴を貪り食いながら、ほぼ同量づつ飲み倒したのである。

 一体何の話からそうなったのかも忘れた。とにかく二人は「みかん」の話で盛り上がり、「そんなら今からみかん山を見に行こう!」となったのだった。
 もうグニャグニャで・・・・・・「みかん見るんならどこだよ?」「愛媛はちょと遠いんちゃうか。静岡!」「もっと遠いだろうがぁ。」「富田林には『東城みかん』っちゅーのがあるで。」「何やそれ?聞いたことねぇぞ!」「昔、小学校の社会で習ってんけどな。すっぱいから缶詰にするとか・・・・・・」「かぁ〜っ!何だよそれぇ?」「アカンか?」「もっと分かりやすいのねぇのかよ?」「有田!有田どや?有田みかん」「おお〜それなら有名だよなぁ」「行く?有田?」「よし!行こう!」・・・・・・ま、多かれ少なかれそんな会話が交わされたのだろう。
 行った分帰らなくちゃならない、ってことに二人ともサッパリ思い至ってなかったことは言うまでもない。

 閉店の1:00一杯まで飲んで単車は出発した。あ、たしかK田のヘルメットを借りに、いったん下宿・K村荘に寄ったかもしれない。全てそのへんは忘れた。とにかくおれたちはアッパーな酔いのおかげで意気軒昂だ。
 運転はおれ。M作は後ろ。それも止むないことだろう。なぜなら彼はその前年、無免許のままK田から購入した赤いスカイに乗ってて捕まったオカゲで、免許取ろうにも取れなかったのだ。全くの無免許。運転上手いのに(笑)。

 行きは京都市内を南下し旧国道1号線を淀川の堤防沿いに行き、枚方で1号線に合流。門真で通称「外環」国道170号に入る。つまりひたすら下道。しっかし花村萬月のロードノベルかよ、ってカンジ。無論二人とも酩酊ではないが泥酔状態。読んだ人はマネしないように。

 最初はそれでもテンション高くて快調だったのが、おれの郷里の富田林をかすめ河内長野に入り、天野山を越える頃には酔いと疲れが限界に来た。
 このままだと間違いなく事故る。大したスピードでもないのにコーナーでのブレーキングが遅れる。左コーナーでふくらんで、夜中だというのに、それもなぜかコーナーに限ってやってくる対向車とぶつかりそうになる。どだい後ろのM作もさっきから眠り込んで後ろに引っくり返りそうになるのを左手でジャンパー引っ張ってる状態だ・・・・・・なんでこーゆーことだけ記憶が鮮明なんだろう?

 ------おれ、ちょっともうアカンわ。
 ------お、おお。おれももう眠くってよぉ。
 ------どないする?
 ------ん!?運転変わろうか?
 ------おまえ、クラッチつき運転できるん?
 ------大体分かる。

 これで無免許運転およびその幇助までめでたく成立。もともと飲酒。とうてい酒気帯びで許してもらえるレベルでないことは確実だ。さらには間違いなく安全運転義務違反とかもつくだろう。捕まれば、の話だが。

 それにしてもM作の運転は大したものだった。30分も乗ってるうちに発進はおろかコーナーへの進入とシフトダウン・ライン取り・フロント依存のブレーキング・寝かし込み、さらにはクラッチ切らずにシフトアップするのも大体コツをつかんでしまったのである・・・・・・思わず今度はおれが安心してリアシートで眠り込みそうになるほどに、だ。

 どの辺で海辺に出たのかは忘れた。岸和田の手前くらいだったろうか。夜明けが近づき、行き交う車も増えて来ているのに、M作はかなりの時間運転してくれた。こんな彼の無私の男気を、おれは到底持てない。和歌山市を過ぎ、海南を過ぎ・・・・・・実は有田の手前で力尽きた。たぶん下津だろう。そうして冒頭のシーンである。

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 帰りは意識朦朧としたまま国道24号を行った。相変わらずアタマがガンガンする。気分も悪い。ヘルメットの中で何度も吐き気をもよおしながら、紀ノ川沿いにひた走る。何度も蛇行したり、前の車にオカマ掘りそうになった。M作を振り落としそうにもなった。しかし日が昇った今となっては彼に運転を替わってもらうわけにも行くまい。奈良盆地に入ってから後の記憶は完全に途切れている。

 京都市内にようやく戻ったおれたちは、なぜかたまにしか顔を出さない大学に寄った。秋晴れの学部の時計台前ではどうしたことか、当時すでにめったにお目にかかれなくなっていた学生デモ隊が機動隊と激しくぶつかり合って、空瓶とかが宙を舞っている。しかし、せいぜい100人ほどの小さな集団だ。それをはるかにしのぐ数の野次馬。プラカードもって無言のゲバ職が少し離れたところで一列横隊に立っている。「カマボコ」と蔑称される機動隊のグレーのバスだったか装甲車だったか、その真ん中あたりから、小さな天守閣のようなものがニューッと伸び上がっていく。どうやらそれは指揮官の「物見やぐら」らしい。
 それを排ガスまみれ薄汚れてグダグダのおれとM作が遠巻きに見ている。おれたち自身も含めたそれらの光景は、何ともシュールな奇観だった。

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 おれたちは徹頭徹尾、刹那的で無鉄砲で無軌道だった。それもシラフでやったならともかく、酒の力を借りてのことだ。どう考えてもアホのすることだ。正気の沙汰とは思えない。全くもって他人には勧められない、恥の記憶である。
 かといって今回おれは、別に過去にムチャした経験を、しなびた自慢から書き連ねたわけでもない。得意の自虐でもないし自嘲でもない。

 ・・・・・・おれはただ寂しいのだ。

 こうして勢いで盛り上がって、共にバカをやれる友が今はもう周りにいないことが、たとえいたところで不惑を過ぎた今のおれからは、どんなに泥酔したって、こんな無分別をやれるだけの「思い切り」や「勇気」が失せてしまっていることが、単純に、やはり寂しい。ガキっぽいことと分かっていても。
 さほど繊細でもないので、普段はそんなことは忘れて暮らしている。いや、理性で抑制している(笑)。それでも、あちこちのほころびから押さえきれないこの寂しさが噴き出してくるとき、他にもアホなエピソードは数多くあるのに、なぜか必ずこの、曇天の下のみかん山の光景を、おれは思い出してしまう。

2005.05.26

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