「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
小さな奇跡

 暮れも押し迫って、これまでの暖冬から一変して猛烈に冷え込んだ昨夜、おれは神奈川県下の小さな駅前近くで、通夜の席に事務方として参列していた。社内で同じ部門の管理職が急死したのだ。弔事への参加は気が重い。ましてやまだ40台半ばの突然の死であれば、ご遺族の悲嘆・心労はいかばかりのものだろうと思う。
 しかし、突き詰めれば所詮は他人なのであり、無責任な感情移入はせんないことでもあろう。ましてや事務方である。目立たず、けど気も抜かず黙々と機械のように作業をするのが一番である。だからおれはこういう場では表情を消し、冷徹な観察者に徹することにしている。

 集まった親族の数はさほど多くなかった。あ、あれが奥様でお子さんたちで、歳が近そうで顔が似ているのは、故人のご兄弟やいとこかなぁ、と目だけ動かして確認しているおれの横を通って、一人の小柄な老人が親族席に座った。どっちの字を当てるのかは知らないが、恐らくはおじさんの一人だろう。
 その人には、とある手術の結果残る割と珍しい特徴があって、おれはずいぶん昔に同様のケースの人を知っていたので、「あ〜世の中には同じような病気しはる人がいるんだなぁ」と、改めてその横顔を見て気づいた。

 本人とちゃうんか!そういえば故人の苗字はあの人いっしょだ!!

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 昔よくあった、大抵は庄司浅水編集の「奇譚集」とか「世界の七不思議」といった類の本には、とんでもない偶然の話が多く紹介されていた。何だったっけ?リンカーンの秘書がケネディーでケネディーの秘書がリンカーン、だとか、瓶にメッセージを詰めて海に流したら、何十年後かにそれを自分で見つけた、とか、双子が生後間もなく生き別れになったけどその後の人生がほとんどいっしょで、ヨメの名前はおろか、飼い犬の名前までいっしょだった、とかそんな話が沢山載っていたような気がする。

 無論、上に書いたのはそこまで大層な話ではないけれど、長いこと生きてるとこのようなできすぎた偶然、小さな奇跡のようなことはいくつか起きているものだ。

 一方で興味深い実験結果がある。詳細は忘れたが、大阪と福岡で無作為に10人づつの人を抽出して、「あの人を知らないか?知らなくとも知ってそうな人はいないか?」ということを繰り返して、人と人が結びつくか?という内容だった。
 どうなったかというと、全員が平均12人の人を介してつながったんだそうだ。案外偶然の邂逅なんて身近な存在なのかもしれない。

 ともあれ、こんなんもある、ってコトで、おれ個人の体験から代表的なのを、思い出しながら紹介してみよう。

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 4年ほど前の秋、おれは家族を連れて豊島園に出かけた。何で行く気になったのかは分からないが、おれがディズニー嫌いなのでその折衷案ということでヨメが提案したものだった気がする。遊園地は決して嫌いではない、いやむしろかなり好きである。おれがキライなのは「テーマパーク」っちゅー得体の知れない空地である。これについては別項で触れているので、ここまでにしておくが、ともあれヘンにキャラクターに媚びず、狭い園内に効率よく絶叫系マシンを配置してあってかなり楽しめた。頑張って存続してね♪

 さて、絶叫系も一回りしたし、目も回ってきたので、ちょっと息抜きにお化け屋敷に入ることにする。園内には2ヶ所のお化け屋敷があって、一方は自分で歩く古典的なもの。老朽化が激しく、却ってそれが迫力かもしれない。もう一つはカートに乗って揺られて行く比較的今風のもの。こちらの方が無論人気があって、折りたたんだような長い行列ができている。
 ノロノロ進んで行くと、後方の人がすぐ隣になったりするのがこの行列の特徴だが、数歩づつ進むうちに、向こうから段々とやせぎすの色黒の顔が近づいてきているのに気づいて、おれは思わず声を上げた。

 ------おう!!Tやないか!!

 おれは顔もデカいが声もデカい。惜しいことにチンコもデカい、とは言えないが、やっぱりおれの声はデカかったのだろう。周囲の人が一斉にこっちを向いて非常に恥ずかしかった。
 とまれ果たせるかな、それはやはりTだった。
 彼は大学の同級生で、10年ほど前に最後に会ったっきりである。その後たしか京都を離れ、郷里の静岡に帰ったと聞いていたのだ。聞けば、彼もたまたま今日、遠路はるばる東京まで遊びに出てきたのだと言う。

 ・・・・・・次の話。それをさらに遡ること4年ほど前、震災のちょっと前だったように思う。

 まだ関西にいた頃で、おれは仕事の都合で、朝もはよから営業の車に同乗させてもらっていた。そんな用事は後にも先にもそれっきりで、おれは個人的にはまず通ることがないであろうコチャコチャした裏通りを迷わずに行く技量に感心しながら、だんだんと神戸方面に向かって行ったのだった。
 西宮の外れの住宅地で車は止まり、営業マンは用があるからと車を降りた。おれは丁度切れたので、タバコを買おうと車外に出た。まだ早いので人通りはほとんどない。
 ついでに缶コーヒーも買って、ガードレールにもたれて一服していたのだが、向こうからスウェットに丹前を羽織った縦も横もデカい男が、下駄履きでカラコロやってくる。
 一昔前の京都の下宿街にはこういう風体の者がゴロゴロいて、別段不思議でもなんでもなかったけれど、ここは90年代も半ばの至極普通の住宅街で、それも道行く人もまだいない早朝である。言っちゃ悪いが、異様である。おれは思わず注視した。

 やってきたのは何と、これも大学の友人、以前も登場したが、みなからの人望厚かった、そしておれといっしょに塾を開いていたMであった。お互いものすごく驚いて「何でオマエこんなとこにおるんや!?」と、二人とも言った記憶がある。
 彼は大学中退と前後して修学院は離れたものの、しばらくは京都市内には留まり、西京極の方に居たのだが、その後活動拠点を神戸方面に移して、そのまま音信普通になってしまってたのだった。

 ・・・・・・三つ目。
 
 最近はそんな古典的なこともなくなったみたいだが、10数年前までは年に一度、これまた仕事の都合で新大阪駅まで、赴任してくる社員を迎えに行く、というのがあった。集団就職の名残り、だな。この内容がもうかなり恥ずかしいもので、スーツよりは半纏の方が絶対似合う。旅館の出迎えみたいに会社名の入ったプラカード持って、それと思しき巨大なカバン持ってキョロキョロしてる若者に声掛けてくのである。

 顔はあくまでニコヤカに、しかし心の中では「勝手にウロウロすんなよ、このボケ共がぁ!」と罵りつつ、広大な新大阪のコンコースを駆けずり回って、やっと1名捕捉した時だ。やおら背後から若い女性の声で呼び掛けられた。

 ------**クン、なにしてんの!?こんなトコで!?

 振り返ると、これまた学生時代の同級生にして、知性派の美人で人気の高かったA子チャンではないか!おれは何だか、エロ本を親に発見されたような恥ずかしさ・バツの悪さを覚えた。
 そんな恥ずかしさに加えて、次の若い者を捕捉しなくてはならなかった事情もあって、二言三言言葉を交わしてそれっきりになりってしまったのだった。その後再会したのは、実に昨年の同窓会の席上である。
 ちなみに彼女は当時、卒業後そのまま大学院に進んで京都に暮らしていたのが、その日は偶然、所用で大阪に出てきたところだったのだ・・・・・・ま、これは多くの人が集まる駅なので確率的にも高いことだろう、とは思うけど。

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 どれもこれも「世間は狭いのう〜♪」みたいな他愛ない話ばかりである。ゴメンね。大層に書いて・・・・・・実はしかし、今回の偶然はもう少し複雑だったのである。

 ・・・・・・通夜が終わって、弔問客の姿もあらかた消えた頃、おれは思い切ってその老人に話し掛けた。

 ------本日はまことにご愁傷様です。
 ------いえいえ、本日はまことにありがとうございます。あなたは?
 ------お亡くなりになられた**さんと同じ部門のものでございます。
 ------そうでしたか・・・・・小さい頃は大変可愛がっていたのが、こんなことになってしまいまして・・・・・
 ------我々としても大変残念に思っております・・・・・・それで、あの、こんな席で大変ぶしつけな質問で恐縮なのですが、おたくさまは昔、大阪の**高校で英語の先生をされていませんでしたか?

 彼の表情が少し変わった。ビンゴだったのだ。

 ------!?あなたは?何期生?
 ------やはりそうでしたか。何期生かは忘れましたが、私は**年にそこを卒業しております。それと・・・・・・

 そこから先は敢えて訊かずとも分かっていた。それでもおれは口に出さねばならない気がしていた。

 ------?
 ------実はそれより以前、中学生の頃、帝塚山にありました進学塾でも先生に教わっています。

 表情が驚きから、やや恐怖とか忌避に近いものに変わったのをおれは看取した。そりゃそうだ、なんぼ世間に名前を轟かせる塾だったとはいえ、公立校のセンセの闇バイトだったんだもんな。おれの思いは関係ない。本人にしてみりゃ単に旧悪を暴かれることに他ならないのだから。

 そう、この老人は単なる高校の恩師ではなかった。おれが中学での進学塾と高校、その両方で教わった唯一の人物だったのだ。

 ------そんなこともありましたかなぁ・・・・・いや何分昔のことで・・・・・・

 おれもそれ以上は何も言わなかった。言う必要もなかった。

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 僅か10日少々前のことである。おれがこれまで語らなかった、大阪での中学時代の進学塾から高校卒業前後に到る間に起きた、暗く、死に彩られたエピソードを、思い切って取り上げて、自分なりに整理して発表したのは。その途端に、当時の舞台から500kmも離れた神奈川の片隅で、関係者の一人に、これまた死にまつわる席上で出くわす。やはりそこには何とも不思議に因縁めいたものを感じないではいられない。考えようによってはたしかに薄気味悪い符合にも思える。

 だが、正直に言うと、おれは今この偶然に対し、決してそんな負の気分を味わってはいない。爽快感といえばもちろん語弊があるけれど、しかし、物事に対峙したら回答を得られたような、あるいは何かしら一つの幕が下りたような、物語が終わりを告げたような、もっとベタにいえばオチがついたような、そんな気分、いわばある種のカタルシスを感じていることを告白しておこう。

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 今日はボテボテの雪が降りしきる中、引き続き告別式が営まれた。おれは相変わらず努めて無表情で事務方に徹し、その先生とも型通りの最低限の挨拶だけに留め、あとは香典の勘定やら片づけやらに没頭していた。

2004.12.29

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