「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
鉛筆の記憶



インターネットってやっぱしスゴい。画像がありましたわ。

https://jp.mercari.com/より

 ・・・・・・未だに分からないことがある。

 物心ついた時には既に、それは家に大量にあった。ブリティッシュグリーンに白文字だったか金文字だったか、「山陽新聞」って縦ロゴの入った鉛筆だ。すっかり鉛筆なんてのもマイナーな存在になってて随分銘柄も減った気がする。現行品で言うとトンボの超定番#8700、あの緑をもちょっと濃くしたような色だった。堅さはニュートラルなHBとかFだったと思う。恐らくは販促用の景品だろう・・・・・・でも1年契約で1本とかだったらシバかれまっせ。
 一体どれくらいあったか?っちゅうと、ざっと4~500本・3~40ダース分くらいが煎餅か何かの銀色の缶の中に、不思議なことに小箱に1ダースづつとかではなくバラでザザーッと入ってた。

 幼稚園に上がった頃か、何でこんなんがそんな大量に家にあるのか母親に訊いてみたところ、「何やったかなぁ~・・・・・・昔、誰かからもぉ要らんっちゅうて貰たんやけど、忘れてしもたわ~」とのことだった。
 ともあれこの鉛筆、折れやすくてあんまし品質は良くなかったものの、我が家の筆記用具として大活躍しており、どうだろ?おれも小学校の終わりくらいまでは何だかんだでこればっか使ってたように思う。その時点でもまだかなりの本数が残ってたんだけど、おれの方が手の腹でノートが擦れて黒くなるのがイヤでHとか2Hとかもっと堅いのを使うようになり、それで使わなくなってしまったのだ。実はおれってかなり筆圧が強くて、シャーペンだとポキポキ折れまくるので、会社入ってからも永らく愛用してたくらいの鉛筆党だったりする・・・・・・って、それで書痙気味になったんで、10数年前からメインは万年筆(・・・・・・これは以前書いたな)、サブに0.9mmって滅多なことでは折れないシャーペンにしたけど。

 思えば、字や九九やら何やら覚えたのも、色んなお絵描きしたのも、落書きしたのも、全部この山陽新聞鉛筆だった。大袈裟に言えば、おれのリテラシーや絵のスキルはこれによって養われたと言っても過言ではない。いやマジで。
 ある程度大きくなって鉄道好きになったりして、この「山陽」ってのがどうやら山陽本線や山陽電車の「山陽」と同じらしいってコトを知った。現在なら即座にもっと多くのことが判明する。岡山県を地盤とする古い歴史を誇る地元新聞で、県内では一番読まれてるらしい・・・・・・ま、京都新聞とか神戸新聞みたいなモンだな。地元紙って特に田舎に住んでるとホンマにベンリだもんな。ついでに言うとこの山陽新聞、業界ゴロなブラックジャーナリズムの元祖である、あの悪名高い「東京二六新聞」がルーツらしい。

 しかし、どうしてそんなトコの販促品が大阪の下町・杭全町の五軒長屋に大量に流れて来たのか?ひょっとして戦後、大阪進出を目論んで大々的なセールス活動を行おうとした時期があったのか?或いはどこかあの生野~東住吉区界隈に下請けでこの鉛筆作ってた零細工場があったのか?はたまた知り合いの中にかつてここの関係者とかで岡山を出奔する時に行きがけの駄賃で大量に持ち出したのか?・・・・・・今となってはもう、すべてが謎に包まれたままだ。

 ・・・・・・枕が長くなった。そんなんで今回は鉛筆を巡る、極私的な想い出話を。

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 鉛筆っちゃぁ次は色鉛筆だろう。「巨人の星」の星飛雄馬が描かれた缶に入った24色の色鉛筆をおれはとても大切に使ってた。幾つの時だったか、母方の祖父が買ってくれたのだ。ものすごく嬉しかったのは今でも覚えてる。だって、金と銀入ってんねんで。中間色が沢山あんねんで。しかし、それ見た父親があまりいい顔せず、何かグズグズ言ってたのも覚えてる。理由はカンタン、パッケージがマンガだったからだ・・・・・・書いててホントこの人は心底、無意味な高尚を気取る以外に能のないバカだったんぢゃないかと思うが、事実である。彼からすると舶来品のステッドラーとかファーバーカステルとかが良かったんだろう。
 小学校に上がる時、親戚から祝い品で貰った文具セットにも色鉛筆は入ってたが、こっちは色数半分の12色で少しガッカリした記憶がある。葉巻型の赤いF1レーシングマシンが描かれた缶に入ってたっけ。おれは24色の方が減るのが惜しくて、図画工作の時間とかは専らこっちばっかり使うようにしてたな。
 これらもネットで探すと画像はすぐ見つかった。今は亡きコーリン製品で、調べたら驚くべきことにイラストに描かれたロータスとは正式に提携してたらしい。どっちの画像も何か眺めてるうちに泣けて来そうになった。

 そんな鉛筆に欠かせないのは鉛筆削りだろう・・・・・・って、おらぁ世代的には肥後守より後だったりする。しかし、それでも当時は文房具屋に行けば必ず鉛筆削り用に小さな折り畳みの肥後守が売られてた。透明で黄色とか赤のプラスチックの持ち手で剃刀よりは分厚い刃が付いてるのだ。切れ味もそんなに良くないケッコーな粗悪品で、2~30円だったような気がする。ただ、これはちょっとした工作にも使えてベンリだった。

 電動鉛筆削りが出回り始めた頃で、小学校に上がって買ってもらった机の蛍光灯の右あたりにもそれは付いてたが、まだまだ世の中的にはハンドル手回し式も多かったように思う。クリップみたいに鉛筆挟んで穴に挿し込んでハンドル回すアレ。原理的にはホンマ今もまったく変わってない。
 あと超小型の、鉛筆をクルクル回して鉋みたいに削ってくのも昔から変わらずにある。削りカスが鰹節みたいになるやっちゃね。削り出す部分の角度が大きめでそのワリに先はよく尖るし、無駄が出にくいからかなりのスグレ物だと思う。芯が軟らかくて折れやすい色鉛筆にはむしろこちらの方が向いてるかも知れない・・・・・・あぁ、そぉいや全体が芯のクーピーには専用のこれが附属品になってた。調べたら今でも付いてるんだね。

 そんな小さな鉛筆削りについても、所詮はただの俗物でミーハーな道具ヲタだった父親のエピソードがある。おれの入学にかこつけて買って来たのが革ケースに入った真鍮削り出しの如何にもなヤツだった。ダイヤルが付いてて太さが三段階に選べるようになってる。調べてみると今でも変わらず存在する。ドイツのDUXってトコのだと思われる。現行価格なんと3千円也!ひょええ~っ!円が遥かに安かったあの頃は一体いくらしたのか・・・・・・そんなんの価値を年端も行かぬ子供に得意そうに滔々と語ってどうなるモンでもなかろうに。「大人の週末」をガキに読み聞かせるようなモンで、どっか根本的に激しくズレてたな、彼は。

 想い出した。削るのはめんどくさいや、ってコトで「芯の差し替え式」とでも呼ぶべきモノが出たりもした。使って擦り減ったら先っぽ抜いて後ろに押し込むと、尖って新しいのが押し出されて出て来るっちゅうだけのギミック。中には12個くらい入ってたのかな?そんな仕組みだからもちろん使い捨て。上で述べた通りおらぁ筆圧強かったから、強く書くと奥に引っ込んでしまう。何かそもそもがダメなキワモノだった。ちなみに名前は「ロケット鉛筆」・・・・・・あの時代らしいなぁ~。
 ホンマもぉ高度成長期の即席、スピード化、或いは何でもプラスチックってな潮流が広まる中で生み出されたB級な品物だったと思う。ちなみに色鉛筆ヴァージョンもあって、軸にビッシリ並んだ1cm程の芯を、抜いた芯で押し出して差し替えて使うようになってた。何だかリリヤンみたいなカラフルさとチマチマ感があって、男子で使ってるヤツは殆どいなかったと思う。まぁ実用性はほぼ皆無で、ネタみたいな代物だ。調べてみると驚いたことに、今でも細々と売られてるようだ。こちらも正式名称があって「クリスタルポケットカラーペン」っちゅうらしい。

 次はやっぱし筆箱ってコトになる。小学校に通うようになって初めて筆箱なるものを使うようになったんだけど、最初がどんなんだったか覚えてない。とにかくおれはそれがあまり好きになれなかったのだ。だから愛着も湧かず大切にもできなかった。恐らくは例によって例の如く、父親がどこぞの「ホンマモンの高級品」とやらを買って来たんぢゃないかと思う。
 3年生くらいになって新たに、みんなも持ってるあの「象が踏んでも壊れない」で一世を風靡したサンスター・アーム筆入れ買ってもらった時、おれは随分ホッとしたものだった。このアーム筆入れ、沢山入るし、宣伝文句通り頑丈だし、カバンにピッタリ入るし、たいへん重宝して中学の終わりくらいまで使ってたように思う。
 ただ世の中は「飛び出す筆箱」ってのが登場し、人気が急速にそっちにシフトして行ってた時期でもあった。マグネットで留められたフタを開けると、バネ仕掛けでジーッってかなりな音を立てて鉛筆が起き上がるのだ。ただこれ、ビニールがフタの角っこや鉛筆を挿すループからすぐに破れてきたり、フタ自体が段々反って来たりと耐久性が低く、少しづつ時流から外れつつあるアーム筆入れの方がおれは好きだった。
 ちなみにこの飛び出す筆箱、さらに色んなギミックを加えながら今では小学生向けとして大きなシェアを持ってる。表面もその時々のアニメとか映画とかのキャラクターデザインを取り入れ、専ら低学年くらいでは定番のようだ。そぉいやうちの豚児たちにもそんなん買い与えてたっけ。

 筆箱に裸で鉛筆入れると芯の先っぽが当たって黒く汚れるんでキャップを付けたりする。女の子なんかはそれでカラフルなのをキチンと付ける一方、汚れなんて気にしない悪童共の間では別の目的でワザと古風な金属製のを付けるのが流行ってた。アレ、机の上でこすりまくると摩擦でムチャクチャに熱くなる・・・・・で、それをピッて誰かの腕に当てたりするワケだ。まるでやいとやな。
 とにかくバレないようにこすってさりげなく当てる・・・・・・こんなしょうむないのんにも暗黙のルールがあって、授業中とか見えない背後からやるのはズルくて卑怯であり、あくまで休み時間とかみんなでフツーに遊んでる時にピッとやるのがいわば「粋」とされてた。火傷になって痕が残るって程ではなかったけど、とにかくあれは熱かった。

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 小学生も終わり近く、鉛筆が我が世の春を謳歌してた時代は一大転換期を迎える。いやもう激震と言って良いだろう。それまで万年筆みたいなヴィジュアルでかなり高級筆記具のセグメントにあったシャープペンシルにたしか1本200円だかの廉価版が登場し、一気にガキの世界にまで広まったのである。また、高級品だと「ダブルノック」なんて仕組みが出始め、これまたすぐに普及品にも浸透し始めた。シャーペンって先端の細いパイプが曲がりやすく、胸に挿してると服に穴空いたりするっちゅう欠点があったのも、これで一気に解決って寸法だった・・・・・が好事魔多し、実際は機構が複雑化して、二段になった先端内部の極小のゴムのOリングが取れたらもうアウト、ってなかなりナーバスな造りだった。ラフに手荒く扱う子供には向いてない。
 さらにはどのようなイノヴェーションがあったのか、それまで折れやすいって言われてた芯がエラく丈夫になって来もした。芯の太さも0.9~7mmあたりから0.5mmが標準サイズになり、芯の丈夫さに気を良くしたか、さらには0.3mmなんてのも出回り始めた(ちなみに現在では0.1mmっちゅうのがいっちゃん細い)。

 そうして普及するほどに過当競争か不当な値入要求か、とにかくさらなる価格破壊が進むのは残念ながらあらゆる工業製品の常だろう。アッちゅう間に鉛筆のマーケットはシャーペンに席巻されてしまい、恐ろしいコトに僅か数年、中学生になった頃には鉛筆は殆ど誰も使わなくなってしまってた。そしてかようにシャーペンに慣れ切ったところに、降って湧いたように鉛筆限定でやって来たのがご存知、米粒大にグリグリ塗りつぶすマークシートだったんだけど、もぉその辺は割愛しても良いだろう・・・・・いずれにせよ、おらぁ鉛筆党だったんであんまし関係なかったし。

 きょう日鉛筆は小学生専用の筆記具みたいな存在になってしまった感がある。そもそも筆記具自体が急速なPCまたモバイルデバイスの普及の前で凋落傾向だったりもする。おらぁ偏固だから敢えて万年筆に手帳とノートってスタイルに戻したけど、今では様々な予定・記録・タスク管理は全部そうしたアプリ使って入力するって方が多いだろう。いや、ナンボ偏固なおれだって、プライベートでの予定や買い物リストなんかは全部スマホで済ましてるモンな。電話嫌いだからやりとりはメールとかLINEだし。

 ・・・・・・鉛筆の世界にもう一度戻ってみようかな?色鉛筆は大人買いでとんでもない色数のを買ったりしてさ。もぉ蛍光マーカーも止めて、朱色と紺の二色鉛筆とかにするとかさ。

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 ふと気付いた。

 おれは間もなく瀬戸内方面に移り住むのだが、どうして縁もゆかりもないあっちを目指そうとしたのかについては、実はそこまで合理的な理由がない。「レイアウト・モデリング」の摂津鉄道の記事が~っ!とか書いてはみたものの、そこまで決定的なキメ手でもないし、実際はあんな平野の北端の内陸部ではなく、もちょっと海に近いトコを候補地としてあれこれ探して選んだのだ。そらまぁ温暖そうとか天気良さそうとか魚美味そうとかくらいはあったけど、ホントに何となくである。
 瀬戸内方面とは、換言すればすなわち山陽方面ってコトになる。最近はその反対の「山陰」とか「裏日本」ってのがイメージ悪いってんで、「山陽」や「表日本」も含めてあまり積極的には使われなくなって来てんだけどさ。

 ・・・・・・案外あの杭全町の実家に大量にあった山陽新聞の鉛筆にまつわる今は調べようもない来歴に、実はおれがあっち方面を目指した謎を解くカギがあって、分かるとちょとコワいオカルト勘平な因縁話になったりして。ゾゾゾゾ~ッ!。

 
ホント、世の中には物持ちの良い人がいるモンだって感心する。どちらも正におれが持ってたヤツと一緒。

https://aucview.aucfan.com/、https://jp.mercari.com/より

2023.03.11

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