ワタシの愛したディーゼル機関車 |
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おれが撮ったのもこの中にいるかも知れない。
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http://ef586169.cocolog-nifty.com/より
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実はディーゼル機関車の歴史って、失敗の歴史なんぢゃなかろうか。
気動車よりさらにヴァリエーションの少ないのがディーゼル機関車である。そらまぁ試験的、あるいはラッセルとか特殊用途で制作されたのはそれなりに色々存在してるけど、上手く行ってそれなりに数が出回ったのは実はひじょうに少ない。旧・国鉄型である程度まとまった数が造られたのは結局、DD13、DF50、DD51、DE10、DD54、DD16くらいだろう。いや、もっと言うとDD13とDD51、DE10が殆どを占めている。これらの製造数は400~700両くらいあって、ありとあらゆる場所で見掛けた・・・・・・ってDE10なんて未だにリッパに現役で、保線列車用なのか朝早くにズゴーッってな音立てて走ってるのを良く見掛ける。つまり、マトモに成功したのはそれくらいしかないのが実態なのだ。
好きも嫌いもヘチャチャもホチョチョもあらへんやん、ってな寂しいラインアップと言えるかもしれない。
オマケに凸型のは何か見た目あんまし区別が付かない。でっかいDD51はともかくとして、その他の小型~中型、特にDE10とDD16なんて車輪の数が違うだけで、遠目には殆ど見分け付かなかったりする。この辺の意匠の近似性もディーゼル機関車が地味な存在の理由の一つかもしれない。
蒸気機関車を駆逐した存在として昔の鉄ヲタからは蛇蝎の如く忌み嫌われてたディーゼル機関車なんだけど、個人的にはあの朱色とグレーに白線の入った塗り分けで地味でくすんだ色の客車や貨車を引っ張ってる姿は、風景の中の控え目な差し色のようで、それほど嫌いではなかった。ちなみにもっと昔は茶色に白線1本だったみたいだが、おれが物心付いた頃には多分もぉ塗り替えが進んで無くなってたと思う。
これまで書いてきた駄文を丹念に読まれてる方ならもぉお察しは付いてるだろうが、おれが好きなディーゼル機関車は箱型のDF50ってのと、やはり同じ箱型で薄倖の珍車に終わったDD54だ。
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・・・・・・まずDF50。昭和30年代初頭、国鉄として初めてマトモに本線走れる性能持った機関車として出来たヤツだ。
少しメカニカルな話をすると、コイツは電気式っちゅう仕組みで、要は中身的に電気機関車である。前回の気動車の稿で書いた分類を読み返していただくと分かっていただけるだろう。エンジンで発電機回し、さらにその電気でモーター回して走るのだ。何でそんなややこしいことしたんか?っちゅうたら、クルマなんかに比べて遥かに馬力・トルク共に大きい鉄道車両、とりわけ大馬力な機関車ではなおさら動力伝達や変速機構がボトルネックで、ヤワなATの仕組みとかだとイッパツで壊れるのだ。いやクルマの世界だって、ATやCVTは極端な大馬力には今でも厳しかったりする。ほんなまだ戦後10年ほどの当時の日本に、自前でそこまで大容量のトルコン作れる技術はなかった。
さて、この機関車の何が魅力って、箱型によるフロントマスクのシミュラクラ的な「顔感」がハッキリしてるだけでなく、それがとにかく「ちょっとナサケない表情」ってコトに尽きるとおれは思う。ドヤ顔の真逆みたいなカンジ、っちゅうんですか。ちなみに同時期に作られたED70って機関車も同じようなデザインになってて、一時期、国鉄のデザインチームはこうしたいささか押しの弱い顔付きでの標準化を考えてたフシが伺える。
サイドビューとかはプレーンで近代的、全体のサイズ的にもその後の電気機関車のF級機と比して同じくらいで堂々としてマッシヴなんだけど、フロントマスクは僅かにスラントさせて意匠性を持たせた以外ノッペリと平面的なところに、狭い貫通扉のステップがチョコッと飛び出しており、何だか「おちょぼ口の子供が拗ねてイジけて下唇を突き出してるような風情」、あるいは「チンケで冴えないノソッとしたオッサン」みたいな風貌に見える。アクセントである腰下の白線がステップに向けてすぼまったように描かれるてのが、これまた一層そんな感を強くする。それが何とも憎めない。きかんしゃトーマスのメンバーにそのままなれそうでさえある。
電気式は当時の技術では手堅かったものの、中身が二重化して複雑だし、複雑ってコトは金掛かるし重くなるからってんで、作られた数はそれほど多くはなかった。それに大層な仕組みのワリに非力でもあった。だけど何だかんだで扱いやすかったみたいで、北海道以外で広く全国的に使われてたし、かなり末期になっても特急引っ張ったりもしてたから、20年少々と実はさほど長くなかったモデル寿命の機関車としては本懐を遂げたっちゅうか、まずまず最後までその用途通りに使われた方ではなかったか。
前回も触れたとおりそんな電気式、永らく忘れられた技術となってたんだけど、内燃機関の燃費向上やらダイナモの発電性能改善等があって、今やこっちが主力だったりする。リバイバルとしてネタで狙ったのかどうか、同じく箱型のF級機でDF200ってのがそうだ。
実はエンジンって回転数を上げ下げすることが燃費を悪化させ、淡々と燃焼効率の良いあたりで回転数をキープすればかなり燃費が伸びる性質があるんだそうな。レシプロ機の飛行機なんかはだから羽根の角度でスピードを調整しており、エンジン自体は速かろうが遅かろうがズーッと同じ回転数らしい。よぉ知らんけど。
ともあれ覚えてるのは、とにかくやかましい機関車だったなぁ~ってコトだ。そらまぁ基本、ディーゼル機関はかなりやかましいモンなんだけど、特にコイツはノイズミュージックばりに色んな種類の轟音立ててたような気がする。老朽化が激しかったのかも知れない。それが件のちょっとナサケない顔付きもあって、何とも老体に鞭打って頑張ってるような独得の味があった。
そぉいや見るのは大阪駅や和歌山駅ばっかしで、天王寺では多分見たことない。あぁ、想い出した。和歌山駅のホームの外れで撮った写真は、ナゼか素晴らしくちゃんと写ってたんで、高い金出して引き伸ばしてもらって額に入れて飾ってたっけ。今でも実家のどこかにあるかも知れない。いずれにせよ、どこで見るのも塗装はかなり色褪せ、排気ガスで全体が煤ぼけてるのは共通してた。
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いささかどころか相当ナンギなのはDD54だろう・・・・・・でも好きなんだよな~。
ホントはDD51の後継を目指して当時のEF66なんかにも通じる逆スラント型の近未来的スタイルで開発されたものの、いざフタを開けてみたらこれがもぉアータ、箸にも棒にも掛からぬ欠陥品で、長いので12年、短いのだと僅か7年で全廃されたっちゅう歴史的失敗作として有名だったりする。「悲運の」なんてアタマに付けられたりするが、要は救いようのない失敗作だったのだ。
決してこれは後出しジャンケンの評価ではなく、現役当時から既に、あまり露骨ではないにせよ鉄道雑誌なんかでも触れられてた記憶がある。なんかスゴい欠陥車らしい、くらいはおれでも知ってた。
何がそんなにアカンかったんか?っちゅうと、もぉあちこち全部です!っちゅうくらい故障続発で、その根本にはこなれてない新技術をテンコ盛りに詰め込み過ぎたこと、開発・保守体制、さらにはメーカーの企業体質なんかが絡まり合ってたらしい。開発したメーカーは「あの」帝国重工、もとい三菱重工だったりする(笑)。最近、リコール隠しだのなんだのととかく評判の悪い三菱の蹉跌って、このDD54から始まったんぢゃないか?ってなくらいに惨憺たる有様だった。
そんな状態でそれでも40両も作られたのはやはり、スリーポイントダイヤの政治力だったんだろうな・・・・・・。
ちょっと脱線すると、「54」っちゅう形式番号は昔から鉄道の忌み番と言われる。古くは軸重軽く作りすぎてマトモに走れんかったC54、俊足機になるハズが大ゴケしたEF54なんかが挙げられるが、実はせいぜいそんなモンだ。電車や気動車、あるいは客車等で「54」が採番されたんでここまで悲惨なケースはない。要はただの偶然、気にしすぎっちゅうこっちゃね。
そんなポコペンのDD54だったが、ちょうどおれが鉄道にハマッてた頃がたまたまコイツのひじょうに短い活躍機関とけっこう重なってたのと、全機が山陰線・福知山線・播但線方面に集中配備されてた関係で大阪界隈でも良く見掛けたから、個人的にはひじょうに印象深い。
実のところ、ホンマにカッコ良かったか?と言われると、かなり微妙なデザインではあったと思う。いやいや、全体のシルエットは悪くないんだよ。むしろ良い。前から見ても横から見ても裾絞りに見える六角形だなんて、単純にカッコいい造形だ・・・・・・ドイツに倣ったっちゅうだけあって、メルクリンの鉄道模型みたいだった。だが、どうにもあちこち見て行くと珍妙な印象が強い。
最大のポイントは屋根で、直線基調で構成されたフロントマスクの上に、まるでフタでもかぶせたかのように丸いのが少しせり出し気味に乗っかってるのが何ともダサい。それでガキだったおれには何となく「おかっぱ頭にした頬骨の張って面長のゴツいオッサン」(笑)に見えたモンだ。とりわけ後期型の、運転席の窓がHゴム化されてた方にその感が強い。ちなみにオリジナルの屋根の色は明るいグレーなんだけど、排ガスで汚れて黒くなるとますますおかっぱに見る。おらぁ実車だけでなくプラモデルとかでもウェザリングが効いてるのが好きだったが、DD54が汚れてるのは何かなぁ~、って思ってた。
さらにヘンに上下が狭くて高い運転席窓や、低すぎる銀モールとナンバーの位置がこれまた何ともビミョーにハズしてる。デザインのメソッドからすれば一番高くなった部分を中心にしていろんな意匠を考えるだろうに、何の都合が悪かったのか中心部分での緊張感がなくて、せっかくの立体的な造形にも拘らず間延びした盤台面になっちゃってる。同じような逆スラントでも同時期のEF66と見較べると一目瞭然、どれだけデザインが残念だったかがお分かりいただけるかと思う。
また、そんな目立つモノではないとは申せ、車体の真ん中にある遊輪が1個だけ、っちゅうのも何とも中途半端でアンバランスな気がしてた。フツーここにはボギーで2個っしょ?何でこんな妙な仕様にしたのか理解に苦しむ。
思えば今は亡き福知山機関区って、C54やらこのDD54といったパチモンばっかあてがわれて、何か可哀想だった気がする。「悲運」っちゅうなら現場のこっちの方が余程悲運だわ。保守性の悪さから流線形だったのを改造して元に戻したC55(勝手がノーマルとあちこち違って結局ちょっと使いにくかったと言われる)を大量に押し付けられたってハナシも昔読んだことあるような気がするし、他の機関区との力関係で弱い立場だったんだろうか?
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実はこの2つ、密かにNゲージを買ってあったりもしてて、そのうち地方の亜幹線の駅のモジュール作ったら走らせてこましたろと思ってる。厳密に言うとDD54は前期型なんで好みがちょっと違うが、そもそもカロリーメイトが少し大きくなったくらいのサイズなんだし、グジュグジュあんまし細かい差異に拘っても仕方なかろう。
ちなみにこのことについては以前、「昭和30年代のポートフォリオ」ってタイトルで駄文にまとめた。レイアウトモジュールとしてはNゲージでも破格の大作なんで現実的にはちょっと苦しい。いや、予算やスペースではなく、そこまで制作に費やせる時間がないのと、年々歳々老眼が進行して細かい物が見えにくくなって来てるのだ。こりゃもぉモデラ―としては致命的な問題である。告白するなら、そんなんで勢いでポチッた1/12のバイクのプラモデルもそのままになってたりする(笑)。6台もあってどぉしよう?廃版になるの待ってオクに流すか?(笑)
プラモデルはともかくとしてDF50とDD54、時代の狭間に咲いた徒花感も含めてホントおらぁ好きだ。 |

最も活躍してた時はブルトレも引っ張ってましたな。
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https://ameblo.jp/etopirika-horse/より
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2021.08.02 |
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