ワタシの愛した電気機関車 |
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湯気立ててます(笑)。
明らかに後ろのブルトレがはみ出してて、小顔ぶりが良く分かるショット。
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http://www.kanorail.com/、http://ef58.info/より
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・・・・・・アータ、そらもぉ言うまでもなくEF58っすよ。ってか、好きもクソもおれたちの年代ってガキの頃にそぉ刷り込まれちゃってんだから。
おれが物心ついた頃には既にもっと近代的なEF65や66、EF81なんかが登場してたけど、やっぱ電気機関車っちゅうたらEF58が間違いなく絶対的アイコンだった。以前に鉄道模型について書いたときに取り上げた通り、オモチャでも絵本でも図鑑でも何でも、至るところで、紺白の塗り分けに半流線形の所謂「湘南型」ってスラントした二枚窓、俗に「金太郎の腹掛」と称された髭っちゅうかクチバシみたいな銀モールの意匠は取り上げられてた。当然、プラレールにもあった気がする。
実際、焦土からの戦後日本の復興と軌を一にして来たっちゅう点でもアイコニックな存在だったと言えるだろう。古くは名門特急の「つばめ」や「はと」を引っ張り、お召列車専用にキープされ、その後のブルトレ全盛時代には寝台特急に使われ、末期は色んなイベントに老体に鞭打って駆り出され・・・・・・と、60年以上も使い続けられたんだから大したモンである。まぁ実は、牽引能力と高速性能のバランスの点で後継機が少なかったのが幸いした、ってのが大いに影響してるんだが。
しかし、今になって冷静に振り返ると、随分ヘンテコリンで唯一無二の個性を持った機関車ではあった。まずとにかく車体が機関車としては異常に長い。さらにはカーブでのクリアランス確保のために前後が絞り込まれてるんでより細長く見える。その色もあって長ナスみたいだ。これは要は戦前の先従輪を備えた2-6-2の長大な基本骨格の上に戦後的なボディを乗っけたからなんだが、ワシャワシャと車輪が多くて子供には強そうに見える。ともあれ中身旧型・見た目新型、っちゅう点では、今になって思えばスズキのカタナみたいなモンだったな(笑)。
そして車体が絞り込まれたオカゲで妙に小顔な面構えになってて、遠目には何だか巨大でニュウ~ッとした全体にムリヤリお面をくっ付けたような印象があった。昔、悲運のドリキャスから「シーマン」ってグロ可愛い育成ゲームが出た時、そのニュウ~ッとしたキャラ見ておらぁ何だかこの電気機関車を想い出してしまったくらいだ(笑)。その後、「千と千尋の神隠し」って宮崎駿の傑作アニメ、あれの「カオナシ」って正体不明のキャラが出て来た時にも同じことを思ったっけ・・・・・・。
あと、電気機関車のクセに、冬になると蒸気機関車もビックリするくらいボーボーと蒸気を出すっちゅうのも実に奇妙だった。そんなに何回も見たワケぢゃないけど、大阪駅や龍華の操車場で、寒い日にボワーッと蒸気を噴き上げてるのを見て驚いたことがある。
理屈はカンタンで、今は客車を暖房する仕組みって全部電気式だが、昔は蒸気管を繋いでやってたんでどうしても蒸気が必要だったのだ・・・・・・で、蒸気機関車ならそら売るほど出せるものの、そうぢゃない電気機関車やディーゼル機関車は別に湯を沸かさなくちゃなんなかった。その装置のことをSGと呼ぶ。トニー・アイオミやアンガス・ヤングが弾いてるギブソンのギターではない。「スチーム・ジェネレータ」の略だな。
これは別段EF58に限ったコトではなく、旧型客車を繋ぐのには欠かせない装置だ、ってコトを後から知った。しかしながら、そうしなくちゃならない編成自体が減ってたから、殊更目立ってただけなのかも知れない。関東だと上野~黒磯間にEF56とか57とか旧型電気機関車が茶色い客車を引っ張る列車がまだ残ってた時代も、冬になると同じような光景が見られたみたいだ。
ちなみにもっと昔には暖房車っちゅうて、ボイラーだけを積んだ車両が機関車の後ろに繋がれてた時代もあって、何が無縁化だか良く分からないことになってたらしい。まぁ、初期のブルートレインにも電源車っちゅうて、発電専用のエンジン積んだのが繋がってたくらいで、ナカナカ色んな苦労があったワケやね。
さらに、永きに亘って全国各地で使われたオカゲで、各地の事情に合わせた色んな細かい改造を受けてるのもおれ好みだった。専ら正面窓の改造で、ビックリするほど深い、まるで野球帽のつばみたいな庇が付けられたり、Hゴム化して雨漏りやら隙間風なくしたりなんてのは、顔の印象がガラッと変わるんでマニア受けは悪かったけど、おれ的には如何にも現場であれこれ使い勝手を工夫してるみたいで好きだった。シールドビーム化なんかも随分と評判悪かったけど、何がそんなにそこまで不細工で許せないのかサッパリ理解できなかった。ホント、鉄ヲタって狭量で鬱陶しいのが多い。だからおれは段々とめんどくさくなって離れてったんだっけ。
・・・・・・と、いつまで経ってもEF58ネタが続きそうなんで、そろそろ次に行こう。
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あとは別に特にこれといって好きな電気機関車は、ない。そらまぁとかく古いものが好きだから、もちろん茶色い旧型電機は嫌いぢゃないけど、そこまで特段の思い入れあるか?っちゅうたら、これまた、ない。昨夏に岳南鉄道に行った時も、留置線に錆だか塗装だか分からない色合いになって並べられてたクラシックな電気機関車を夢中になって撮ってたくらいで根っ子のトコで好きなんだろうが、マニアックに調べて深く知ろうとは思わない。有名な銚子電鉄のマスコット、デキ3を見た時もそんなんだった。
そんなんで印象に残ってるのをいくつか、思い付くままに挙げてみることにしよう。
何てったって強烈だったのはEH10だろう。「EH」ちゅうたらエリックかこの10か、ってな時代だった(笑)。いつ頃まで見掛けたっけなぁ~?そもそも抑圧と規制まみれの家で行動半径が極端に狭いガキだったんで、そんなにしばしば見たワケぢゃないけど、とにかく異様な感じがする機関車だった。最後に見たのは高校の終わりか大学の初めくらいだったような気がする。
何が異様って、まず色が真っ黒なのだ。蒸気機関車以外でこれはかなり異質な印象を与える。オマケに背中合わせに2両一組になってるのがこれまた不気味だ。そら重連ってあるけど、バロムワンぢゃあるまいし2ケイチが標準って、シャム双生児的なある種の畸形性を感じてしまう。
そのせいで全長がかなり長かったのと、武骨っちゅうよりはデザイン性を敢えて排除したかのような、ひじょうに素っ気ない真四角の箱みたいなフォルム、鉄人28号みたいに金壺まなこな奥目のカンジも相俟って、何だか猛々しくも不穏なバケモノが蹲ってるような雰囲気があった。そんなんで決して好きにはなれなかったな。
今から思えばそのセンスはなんだか、共産圏の国の機関車みたいな実用一点張りの雰囲気だったように思う。
余談だけどこの「背中合わせの2ケイチ構造」ってのは戦後の一時期、出力増大要求にメカニズムが付いて行かなかったための苦肉の策としてディーゼル機関車でも試されてる。DD50ってのがそれだ。コイツは末期には前回触れた田村のジャンクションで細々と使われてそのまま廃車になり、草ぼうぼうのヤードの中で色褪せて錆だらけの無残な姿で放置されてるのを何度か見たことがある。思えば大概ヘンな機関車だった。ちなみに現代の新型にもある。時代は回帰するのかもね。
得意の阪和線界隈だと上記EF58が紀勢線電化に伴って移ってた頃だし、あとは重厚で厳めしいEF52、旧式なんだけど何か軽快な印象のEF15、ほぼ全機が集結してたED60なんかはしょっちゅう見掛けてたし、たまに大阪や京都、神戸に出掛けた時にはもちろん、EF65や66なんかはナンボでも走ってた。ひょっとしたら中には65と、パッと見あんまし区別の付かないEF60やら61なんかも目には映ってたんだろうとは思うけど、歯牙にも掛けてなかったんで良く分からない。まぁそんな時代ですわ。
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あぁそうだ。電気機関車っちゃぁ、おれは近鉄南大阪線に乗って通学してたんだけど、道明寺の駅にごく稀に変わったんが停まってるのを見掛けたのを想い出す・・・・・・いや、もっと以前、まだ玉手山遊園地が盛業中で小学校や地元の子供会の遠足で行った時なのかな?多分せいぜい2~3回だろう。しかしとにかくコイツは、一度見たら忘れられないような強烈に面白いカタチをしてたんだった。
林檎のような深い赤が特徴の近鉄電車とは異なり、何となく朱色がかった煉瓦色(・・・・・・って、もぉ更新する気がなくて褪せてただけかも知れない)で、横に船みたいな円い窓が並んでおり、カクカクした前後もこれまた何か船の操縦席っぽい。要するに車輪の上に船を乗っけたような感じ、っちゅうたら分かっていただけるだろうか。日本よりはスイスとかフランスで走ってた方が似合いそうな風情の車体で、そして恐ろしく古めかしい感じがした。
あの駅で本線の南大阪線はレールをギュンギュン鳴らしながらほぼ直角に曲がり、逆に貧弱な支線の道明寺線ってのが、そのまま真っ直ぐ大和川を越えて国鉄の柏原に向かってる。駅は結構広くて、使ってるのか使ってないのか分からない側線が何本かあって保線列車が押し込まれてたりした。ただ、貨物取り扱いが残ってる風には見えなかった。ありゃ一体何のためにあそこにいたんだろう?
今稿を書くに当たって調べてみると、たちどころに色んな事実が判明する。ホントありがたくもいささか味気ない世の中になったモンだ。そのヘンテコリンなのが「デ51」あるいは「デ52」って形式だったコト、南大阪線の貨物は81年頃まで残ってたコト、末期は1日1便で運転区間は六田~吉野口間だったコト・・・・・・はぁ!?全然奈良の山奥の方だけやんか。どぉゆうこっちゃねん?
さらに調べると、月に何度か山を下って橿原神宮まで走ってたようだし、あるいはもっとレアな臨時便が道明寺まであったのかも知れない。また、貨物全廃後も数年は工事列車用として残ってたようだ。たまたまおれが遭遇したのはそんな最末期の姿だったんだろう。
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鉄道輸送自体の長期的な凋落に加え、電気だけでなく機関車ってモン自体の需要が激減してる現状を見ると、その将来はあんまし明るくないような気がする。そもそも機関車で客車や貨車を引っ張るって~のは、クルマで言やぁFFのトラック作るようなモンで、トラクションの限界が低い。恐らく坂道なんてスリップしまくりでマトモに上がれない。自重を重くすれば引っ張れるようになるったって、重くなれば遅くもなるし、余分にエネルギー消費するし、あちこちの部品や線路も傷む。4WDが動力を前後に分散させてるように、あちこちにモーターやエンジンを置いた方が何かと都合が良いのだ。電車や気動車は正にそんな思想で作られてるし、だから新幹線だって機関車で引っ張るプランは採用されなかった。
思えばこれって、強力なトップがリーダーシップを発揮してワンマンで組織引っ張っても、結局はイエスマンでブラ下がるだけの人材だらけになって全体としてのパフォーマンスが低くなってしまうのと似てる。やはり「ブレーメンの音楽隊」の考え方は正解で、それぞれが協力しながら応分の力を発揮するのが良いんだろう。
でも客車にモーターやらエンジン付いて電車や気動車になるのは分かるけど、貨車がそんなんばっかりになったらかなりキモチ悪いかも知れない(・・・・・・実はキワってのが試作されたことはあるが、小さすぎて殆ど使いモンにならんかったらしい)。
それにやっぱし人は一方で、力強くて大きなモノに対する憧れやら依存心を持つ。それは弱くて狡くて愚かではあるものの、愛すべき人間の業の一つであり、それにそれが無くなったらチンポの立つ瀬もなくなるではないか(笑)。この点に於いても(・・・・・・ってどの点や!?、笑)、機関車みたいなギュイ~ンと力強い存在はこれからも必要だとおらぁ思う。 |
あ!コレ!コレっす!何とも形容しがたい奇天烈なスタイル。
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http://www3.kcn.ne.jp/より
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2021.07.11 |
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