「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ワタシの愛した電車



前面デザインはその後の在来線特急の標準。

https://jnr.tokyo/より

 調子の出ない時はムリせず軽いネタ、退嬰的に振り返るだけのネタが心地良い・・・・・・そんなんで、ネタ帳っちゅうかタイトルだけを思い付くままに列挙したファイルから、こんな時にピッタリのを見付けたので軽く書き飛ばしてみることにしたい。

 ・・・・・・って、そもそもおらぁさほど電車が好きなワケではないんですよ。汽車とかディーゼルの方が好きなんですわ。

 第一、頭上に張り巡らされた電線、あれがどうにも重苦しくて気に食わないのである。非電化路線の風景の何が素晴らしい、って何より空が広々してることだと思ってるくらいで、ホント、電柱とか支柱とか架線とかジャマでしかない。ウザい。
 何でも最近はインフラコストが抑制できるってんで蓄電式の電車とか、エンジンで発電機回してモーターで走る電気式の気動車等の導入が検討されてるらしい。そう遠くない将来、線路の上にスッキリした空を取り戻せる日が来るのかも知れない・・・・・・それってまぁ、鉄道の落日の景色なんだろうけど。

 ・・・・・・そんなおれにだって、電車で好きなのはいくつかある。

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 まず挙げたいのは581系とか583系って呼ばれる寝台特急である。鉄道は好きだけど極端にヲタクでもないんで細かいコトはあんまし分かってないが、東西日本の交流のヘルツの違いで形式が違っただけで中身や塗分けとかは一緒だった。
 何が面白いって、こんなマニエリスティックなカラクリ細工を内部に持った車両なんて、恐らく今後二度と現れないだろうってなくらいにややこしい作りになってたコトだ。
 基本構造が交直両用になってるのからしてややこしい。エジソンとテスラの論争は結局今の時代も解消しておらず、日本は電化区間っちゅうても直流と交流の二種類があって、そのままではお互い行き来ができない。歴史的に見ると直流の方が古く、早くに電化された幹線は大体が直流、私鉄なんかも大概がこっちになる。そいでもって交流は戦後の電化区間で専ら採用されたから、亜幹線クラスに多い。コストやら安全性で比較すると一長一短らしいが、詳しいことはまぁ専門書でも見てくださいな。
 これが切り替わるトコでは昔は機関車を付け替えたり、電車の運転区間もそこまでだったり、色々制約があった。有名なのでは北陸本線の米原のちょっと北にあった田村のデッドセクションとかだろう。危ないからなのか何なのか、直流の機関車を切り離して、一旦汽車やディーゼルに付け替えて、ちょっと走ってさらに交流の機関車に繋ぎ換えるなんてしちめんどくさいコトをやってたのである。

 それぢゃやっとれんわ!っちゅうコトで、交直両用の機関車やら電車が造られるようになる。そりゃたしかにベンリだけど機械類が単純に言えば二重化して複雑になるからコストが嵩むし重くもなる。機器類のスペースだって余分に必要だわな。だから現代でも交直両用ってそんなバンバン作られてるワケではない。どだいそんな長距離の区間を通しで走る列車自体が減ってしまったし。

 そんな交直両用にさらに寝台列車に切り替える仕掛けが極めて巧妙に組み込まれてる。普通の状態だと快速にあるような二人掛けが向かい合わせになったボックスシート、っちゅうのが並んでるんだけど、あ~ら不思議!椅子の座面を引っ張り出すと下段のベッド完成。こっからがスゴくて、頭上の網棚を回転させて壁面を引っ張り出すと中段ベッド。網戸を戻して天井付近をさらに引っ張り出すと上段ベッドが現れるのである。現代のキャンピング仕様にしたワンボックスなんかでも似たようなアイデアの仕掛けを備えたのがあるけど、そんなんよりずっと巧妙に作られてた気がする・・・・・・って、ここで定員の矛盾に気付かれた方は鋭い。椅子だと4人座れるスペースにベッドだと3人、余った一人はどぉすんねん?ってなるよね?
 答えはカンタンで、行きは普通の昼間特急として遠くまで行って、折り返すときは寝台特急になってたのだ。時は高度成長期、それくらいフル回転でないと増加する一方の乗客をサバけなかった。ただその分酷使され過ぎて、ガタが来るのも早かったみたいだけど。

 ・・・・・・ね!?面白いっしょ?窮すれば通ず、必要は発明の母とは良く言ったモンだ。

 異様に背が高くてズングリしたスタイルと、押し出しの利いた顔、スピード感を強調したのか運転席に連なる笹の葉状のカットの意匠、特急電車としては前例のない新幹線っぽい紺とクリームの塗り分け、上下に並んだ独得の間隔の窓・・・・・・全てがクールで斬新なように思えたものだが、実のところおれがその存在を知って興味を持った頃は、第一線から外れる端境期と前後してた。言うまでもなく、新幹線の延伸である。

 ウェンガーやヴィクトリノックスの十徳ナイフと同じで、あまり多機能を詰め込み過ぎたものが却って不便で使い辛いのは、およそあらゆる道具に共通するコトだろう。やはりこの581系、ベンリなようでムリしたのが祟って、使い勝手が悪いっちゅうか用途の幅が狭かった。大体ベッドの出し入れだけで、ものすごく手間が掛かる。最盛期には車庫に入るとワーッて何十人がかりでやってたとか言われる。シートもゆとりはあるとはいえ向かい合わせで背もたれ固定式だから何ともやりにくい。そしてベッド。そらたしかにそれまでのB寝台の殺人的な幅(コット並みの52cm!)よりは破格に広かったとは申せ70cm、オマケに上段だと天井高は60cm少々!長さは190cm・・・・・・これって現代の1人用アルパインテントよりも全然狭い空間で、俗に「おろく袋(遭難死体の回収袋)」と揶揄されるピヴィーテント並み、喩えは悪いが要はほぼ棺桶サイズである。こんなんが重宝がられたあの時代は、今の感覚からするとやはり大変な時代でもあったワケで、無闇な郷愁だけでは語りにくいのも事実だろう。

 それでも在来線の特急そのものが落ち目になってく中、後継が造られなかったこともあって、急行や臨時用に格下げされたり、原型を留めないくらいのギッタギタの改造で奇妙な御面相になってローカル列車に転用されたりしながらおよそ半世紀、平成の半ば過ぎまで使われたのだから、まずまず長寿だったんだろう。

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 あとはやっぱ旧型電車だなぁ・・・・・・・仰々しくリベットの並ぶ外板、飴色になったニス塗りの重厚な車内、ボヨンボヨンしたスプリングのビロードのシート、ホントに網の張られた網棚、グォォ~ンっちゅうてやかましいんだけど勇ましくも味のあるモーターの唸る音、これまた大きな音を立てて回る扇風機、片開きで妙にガサツな動きで開閉する扉・・・・・・もう形式なんて忘れてしまった。ともあれ全部阪和線のハナシだ。毎度毎度で申し訳ないけど、そこ以外に気軽に行けるトコ無かったんだから。

 改めて調べてみると40系とか51系、73系なんてのがオレンジ色で、紺とクリームの横須賀カラーの金太郎が70系だったってコトが分かる。ただ、幼稚園の頃になんかこぉ、もっとニコニコしたような面構えのに乗った記憶もあるんでさらに調べてみたところ、どうやらそれは旧・阪和鉄道時代のモノだったみたいだ・・・・・・あぁ、想い出した。73系だけは中途半端にモダンで合理主義一辺倒なカンジで、「こんなん環状線と変わらへんやん」って気がして、あまり好きになれなかったっけ。

 そんなんだから貪るようにして読む鉄道雑誌で、同じような旧い電車が走る専ら地方の路線への憧れもあった。今でも諳んじることが出来る。片町線、仙石線、南武線、鶴見線、大糸線、新潟界隈、両毛線、御殿場線、身延線、飯田線、福塩線、宇部・小野田線etcetc・・・・・・どこも実際に訪ねられるようになった頃は、とっくに消えた後だったんだけどね。いや、そんな旧型電車だけでなくあまりにありふれて気にも留めてなかった、普段フツーに乗ってたような電車さえも殆どが消えてしまった。

 もっと目の前の当たり前の風景の貴重さに気付くべきだったんだろうが、それには余りに幼すぎた。今になって改めてあの頃の電車についてもっと広く興味を持って眺めるべきだったかなぁ~、って後悔が幾許かはある。あれはあれで喪われ行く事物であり風景だったんだ、と。
 ならば、現在、ウンザリしながら日々乗ってる電車ももぉちょっと興味を持って見るべきなのかな?う~ん、全然気乗りしねぇなぁ~・・・・・・・(笑)。


おれの阪和線のイメージっちゅうたらコレ。
うろ覚えなんだけど、4両2両でこれらが繋がってるコトが多かった。


https://twitter.com/yoshinari022838/より

2021.07.08

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