かぜようび、あめようび |

独特のミニチュアール的なチマチマ感は多くの作品に共通する気がする。
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https://naganoart-plus.net/より
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とんでもなくヘンなコースで台風12号がやって来たもんだから、予定してた旅行を仕方なく延期して部屋でポツネンとしている。如何にも台風の前らしく、急に雨がザーッと降ったかと思うと薄日が差してみたり、暑い雲が広がってるのに遠くに少し青空が見えたり、何とも落ち着かない空模様だ。
このまま行けば、夜半くらいに関東地方では風雨が強まりそうなことをTVは盛んに報じている。何でもこんなワケの分からないコースを辿る台風は戦後で4例しかないらしく、気象庁の発表もどことなく自信なさげだ。そりゃぁハッキリせんことをフカシこいちゃぁまずかろうが、予報できませんってコトを気象庁が言うようでは存在意義そのものが疑われてしまうようにも思う。
たしかに、台風が東から西に向かって進むなんて自然の理に反しとるよね。「天才バカボン」の歌にある「西から昇ったお日様が東へ沈む」のと同じだ。全く以てナンセンスがナンセンスにならない時代だよな。
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朝の遅い休日のいつものパターンで、しつこく餌をせがむ猫にカラダを擦りつけられ舐められ引っ掻かれして起こされ、寝ぼけたアタマで窓の外を眺めていて、ふと「かぜようび」ってコトバをポンと想い出した。ちなみに猫に罪はない。彼女には精確無比な体内時計が備わってるので、いつもの朝と同じ時間に規則正しく起きただけのコトだ。怠惰を貪ろうとして起きない人間の方が悪いのである。
んん〜・・・・・・何だったっけ?すぐに出て来ない。明らかに記憶力が減退してる。思えばいつの頃からか意識や知覚がボーッとしがちで、何だか脳みその表面に薄い膜が張ったような感じがあるのに危機感を覚える。
・・・・・・あ、想い出した。幼稚園の頃に教室で読んでた「キンダーブック」だったか、とにかく幼児向けの絵本雑誌にあった絵のタイトルだったんだ。ひょっとしたら「あめようび」ってのも他にあったかも知れない。「ゆきようび」は無かった気がする。暗いグレーと青を基調にした画面の中を、小さな子供みたいなんが何人もフワフワ舞ってたような気がするが、もう具体的には想い出せない。
まぁ、現実世界で風で子供が沢山飛ばされてたら大変な事件になるだろうけど(笑)、そこはほれファンタジックな空想画だわな。作者は多分、渋い色遣いとちょっとバタくさくて繊細なデザインっぽさがあったんで、今から思えば武井武雄ではないかと推測するが、これも確証はない。何となくそんな気がするだけだ。もう半世紀近くも前の話である。
も一つ今から思えば、「かぜようび」ってタイトルや絵柄には、かなり巧妙に練り込まれた知育の仕掛けが施されてたような気がする。だってそんな幼稚園児で七曜自体をチャンと言える子なんて殆どいなかった。まぁ「にちようび」くらいはみんな分かってたけど、他はいささか怪しいモンだった。おれもマセてたとは申せ、その年齢で知ってたのか?諳んじることができたのか?と問われるとちょと自信ない。
それにそれが漢字で「日曜日」と書くことは知らなかったし、ましてや「日」「月」「火」「水」「木」「金」「土」がどれも自然のエレメントから採られてるなんて、もぉガキにいきなりそんなん知恵熱出しまっせ。しかし七曜は音読みだけど、「かぜようび」では訓読みだなぁ・・・・・・嗚呼、おれもイヤな大人に育ったモンだ(笑)。
ともあれ「かぜようび」って着想を理解するには、実はこういった知識のバックボーンが必要なワケで、幼児向け教育ツールとして熟考されたものだったんだろう。
また、あるいは秋が良く台風が襲来する風の季節であることや、二百十日、稲刈りとの関係なんかも絵を見ながら教われるようになってたのかも知れないが・・・・・・如何せん、タイトル以外ほとんど覚えてないのでボロが出ないうちに止めておこう。
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個人的に風にやられてヒドい目に遭った記憶は殆どない。大阪出身でおれの親くらいの世代だと、必ず名前が出て来るのが昭和25年の「ジェーン台風」だったりする。この時京阪神上陸が運悪く満潮時に重なったため、あちこちが高潮で水没したのだ。だから若い頃、小さい頃の写真が残ってないって人は案外多い。有名人ではアホの坂田なんかがそんな目に遭ってるらしい。
まぁ、風雨、ちゅうくらいで大体風と雨はワンセットになってるから、風だけでエラい目に遭う人は日本ではそんなにはいないだろう。これがアメリカだと竜巻とか、笑っちゃうくらいにスゴいのが発生したりする。突然発生して絵にも話にもならんくらい根こそぎみんな吹き飛ばしてしまう。木造家屋はバラバラ、鉄筋コンクリートでもガラスが全部吹き飛ばされるから結局ガワしか残らんってなムチャクチャな状況になる。もぉ地下の退避壕に籠るくらいしかやれることがない
ちなみにそんな竜巻を専門に追っ掛けては映像に収める「竜巻ハンター」って職業がかの国にはあるそうな。巨大であればあるほど撮れ高が良いワケで、自ら危険を省みず竜巻の方に向かって突っ込んで行くのだ。ホンマ物好きが多い国だわ。アホの坂田は芸風としてアホのフリしてるだけだけど、こっちはホンマモン、骨の髄までアホである。
数少ない経験では82年の台風10号が愛知に上陸したとき、そのすぐ近くの浜松に居合わせたことくらいだろうか。しかしおれは猛烈な風が吹き始める直前には泊まる場所に逃げ込めていたので、これにしたってモロに喰らったワケではない。おれたちの着いた2〜3時間後くらいに遅れて到着した連中は疲労困憊で玄関でヘロヘロになってへばり込んで、口々に「もうちょっとで死ぬかと思った」って言ってたっけなぁ。
夜半過ぎくらいまで、建物の中庭で一列に植えられた棕櫚の木が暴風に煽られて折れそうなくらいに斜めってるのを、酒呑みながらボーッと眺めてたことだけは何故か今でも鮮明に覚えている。長崎の大水害があったり、東海道線の富士川橋梁が流されたり、とにかく大変な年だった。
90年か91年だったか、台風が大阪直撃してジェーン台風並みになる、高潮でエラいことになる、って噂の流れたことがあった。秋だったように思うけど、何号だったかも含めて細かいことは忘れてしまったんで覚えてない。あの時はたしか仕事済んでから、夕方にワザワザみんなで天保山までクルマで出掛けてった。物好きも良いトコだ。
高潮に浸かって行く街を橋の上から眺めてみよう、みたいな、まことに不謹慎極まりないっちゅうか罰当たりで刹那的な思い付きでだった。高見の見物とは正にこのコトだ。イザとなったら橋のちょっと上がった辺りに避難しようぜ・・・・・・とかもぉ、ホンマにフザけ切った連中だよなぁ〜。今のようにスマホ等のネット環境も無く、VICS連携ナビにしたって一般化前夜だったんで、リアルタイムな情報っちゅうたらラジオから得るくらいしかなかった時代である。
たしかそれなりの大風が吹いて雨もまぁまぁ激しかったんだけど、結局見事なくらい何にも起こらなかった。ただ、道中に流してたラジオの視聴者からの電話コーナーで尼崎かどっかの一人暮らしのババァが「家の裏でバーンッって大きな音したんです」ってひたすらグズグズ繰り返して、アナウンサーが電話を切るタイミングに困ってたのだけは妙に覚えてる。
そのうち雨も風も収まり、することもなく手持ち無沙汰なおれたちは、ラーメン食って部屋に戻ったのだった。
あれから少しはおれも大人になれたんだろうか?
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実は今回、行こうとしてたのは諏訪近辺だった。暑いから低地よりは高地だろうし、山梨までは日帰りでも比較的良く出掛けてるけど、諏訪周辺は通過するばっかりで久しく訪ねてないよね、ってなカンジでワリとイージーに候補地にしてたのだ。
武井武雄の名を想い出して調べてみると奇妙な符合を発見した。冒頭の武井武雄は岡谷の素封家の出身らしい。へぇ〜っ!と思ってさらに調べると、諏訪湖の近くに今は彼の作品を収蔵する美術館まであったりするではないか。こうして旅を延期しなけりゃきっと気付かないままだっただろう。まことに不本意な延期ではあったけど、たまにはこんな巡り合わせもあるんだ。行った際には訪ねてみることにしようか。
窓の外は時折深い吐息のような強風が吹く程度で、思ってたよりも静かなモンだ。それでも家の内外で気圧差が大きくなってるのか、さっきからエアコンがトントン・ポコポコと音を立て続けている。猫はおれの足許に置いてある専用の小さなクッションの上で丸くなって大人しく寝ている。そしておれはPCに向かい、遡及と検証の駄文のためにキーボードを叩き続ける。
ともあれ今日は「かぜようび、あめようび」だ。 |
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2018.07.28 |
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