「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
本当の、名前


これが通称「六角堂」、実際は八角形(笑)。記憶通りの風景で、行ったのはこの写真の右側に映るパチンコ屋だった。

http://205-161-205.at.webry.info/より

 惣領だったおれの父親には3つ、その下の弟は1つ、さらにその下の妹と末の弟はそれぞれ2つの名前があった。別に在日外国人とかそんなんではない。本名の他にまったく異なる通り名があったのだ。何故、次男坊に通り名が付けられなかったのかは謎のままである。

 ちょっと前に書いた野田のオッチャン・オバチャンちに出掛けてって、話題が父親のことになると、オバチャンは「S**さんもなぁ〜・・・・・・」などと言う。最初はそれが父のことを指してるとはちっとも分からず、聞き役のおれは随分混乱したものだった。ちなみに本名は「T**」である。なのに父方の親戚はみんな父のことを「S**さん」と呼んでいた。「T**なんて全然ピンと来ぇへんわ〜、大体そんな名前聞かされたん戦後もズーッと経ってからやでぇ!」な〜んて言うオッチャンがいたくらいだから、実際本名は周囲に知られてなかったんだろう。もう一つは「K**」っちゅうもので、この名前で呼ぶ人は親戚筋にも誰も居なかったが、父親本人がもう一つ名前があるんやとかいって、持ち物とかにマジックで名前を書くとき、まるでミドルネームのようにT**、S、Kなどと記入することで知ったのだった。

 父の妹にしたっておれたちはズーッと「N子の姉ちゃん」と呼んでいたけれど、本名は「M子」である。本名で呼んでたのはその後結婚したでっぷりした旦那くらいで、親戚内ではみんな「N子の姉ちゃん」って呼んでた。そもそも本名をおれが初めて知ったのは結婚式のときで、子供ながらにとても驚いた記憶がある。
 末の弟も「Y**ちゃん」と呼ばれてたが、本名は「I**」である。不思議なコトにこの人については親戚の多くが「Iヤン」などと本名の略称で呼んでおり、「Y**ちゃん」と呼ぶのはごく近い親族だけだった。こうなって来るとどっちが本名だか通り名だか分からない(笑)。
 このY**ちゃん、父とはずいぶん歳が離れており、初めて遊びに連れてってもらった頃はまだ二十歳になるかならないかだった。平野の背戸口町にあった陰気な長屋から手を引かれてテクテクと、今はもう廃線で無くなってしまったが六角堂といってチンチン電車の終点の駅があって、そのすぐ隣のパチンコ屋に連れてかれたことを想い出す。もちろん叔父さんであるからその後も折りにつれ顔を合わせることはあったにも拘らず、何故だかこの時の記憶が最も鮮明に残っている。狭い通りの奥にあった可愛らしい駅舎、停車する暗緑色のチンチン電車、手打ちの台、藁半紙を分厚くしたようなガサガサした紙袋に詰められた戦利品のお菓子・・・・・・色んなことが今も脳裏に甦る。
 思えば風貌といい気性といい彼が最も祖父を色濃く受け継いでる人で、その後は家を飛び出して徒手空拳、ヘンな嗅覚と才覚でいろんな商売やって、それなりに一山当ててはハデに高級外車や単車を乗り回してオネーチャンをあちこちにハベらすような、とても破天荒で面白い人でおれは大好きだった。しかし可哀想なことに還暦を迎える前に大病を患って、一番年下なのに兄妹の中では最初に亡くなってしまった。

 そうそう、さらに話は逸れるが、呼び名についてはもう一つ謎の言葉があった。N子の姉ちゃんは父のことを「オキンチャン」、上の弟を「チサンチャン」と呼ぶのだった。当たり前のようにそれで会話が進んでるので皆の了解事項だったんだろうが、小さかったおれには何のことやら分からず、聞いてて随分困惑したものだ。
 後になってようやくそれらが「大きい兄ちゃん・小さい兄ちゃん」の一種の促音便、詰まった言い方であることに気付いた。恐らくは幼かったときの舌足らずがそのまま残っただけだろうとは思うものの、或いは古い上方言葉とかの残滓なのかも知れない。

 ともあれ父親が語るところによると祖父は名前を付けるのが趣味だったのだそうな。まことにヘンな趣味もあったモンだが、現実にこうして通名が本名より罷り通ってたんだから本当なのかも知れない。
 付けるのは人の名前ばかりではなかったようである。ウソかマコトか、ある知り合いが郷里の四国に帰って食堂を開店する際、請われて店の名前を「ラッキー食堂」と名付けたところ、名前の通りに随分と繁盛した、なんてことを父親はちょっと自慢そうに何度も話していた。

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 随分長いことそれらの通り名は幼名みたいなモンなのかな?と思ってた。ほれ、小さい時はナントカ丸なんてぇ名前で、元服するとナントカ衛門ってな名前になるヤツ。アレですよ。しかし、通り名に如何にも小さい子な雰囲気はないし、どうやら話を総合すると、本名についてはそもそも本人にしたって長じてからもあまり馴染みが無かったみたいなんで、ちょっと違う。

 最近になって偶然、それが「諱(忌み名)」と「字」というものであるらしいことを知った。何かの文字についてググってたら検索結果の中に「諱」ってのがあって、何だろ?と思って読んで判明したのだ。ホンマ偶然である・・・・・・で、こっから先はウィキからの受け売りなんだけど、「諱(忌み名)」とは本名、「字」は通名のコトであって、「実名敬避俗」といって、本名で呼ばれることは、呼んだ人から呪術的な意味合いで霊的支配を受けるから、本名で呼ぶことはとても失礼である、だから通名を付けてそれで呼ぶ・・・・・・ってな考え方が古来あったらしい。別に日本や東洋に限ったことではなく西洋にも同じような考え方は存在するとのコトだ。英語では諱のことをそのものズバリ”True Name”と呼ぶ。
 この風習は日本では近代以前はひじょうに一般的で、有名な大岡越前の本名(諱)は「忠相」だが、通り名(字)は「求馬」や「忠右衛門」だったり、遠山の金さんの「金四郎」が通り名で本名が「景元」だったコト等が挙げられるが、明治の初め、あまりにもややこしくて混乱を来すこともあってか戸籍制度の導入と共に禁止されている。

 そんな風習が三重県の山奥の寒村に残ってたのかっちゅうとそうでもない。何故なら、田舎の親戚筋に通り名で呼ばれてる人なんて誰もいなかったのだ。大体祖父自身にしたって「Z**」って名前一つのみだった。そらまぁひょっとしたら実はそうして呼ばれてた名前がみんな通り名だった可能性はあるけれど(笑)。
 ともあれどこでそのような知識を祖父が得たのかは、亡くなってもう60年近く経った今となっては調べる術もない。想像するに、戦前の羽振りが良かった頃と相前後して、日本では今で言うニューアカブームのように大本やらなんやら専ら神道系新宗教の盛り上がりがあって、彼はそのテのタニマチやって付き合いが広かったとも言うし、そんな交流を通じて何がしか諱と字についての知識を仕入れたのではないかとおれは睨んでいる。

 ともあれ、大概ペダンティックなことが大好きな父親でそのアオリっちゅうか要するにありがた迷惑を散々蒙って来たおれだったけど、この意味不明のネンネン趣味については何故か祖父の真似をしなかったオカゲで、幸いなことにおれの名前は一つで済んでいる・・・・・・今はヤクザなHNがあるから2つ、ってか!?(笑)

 さて、この諱・字について、おれは祖父の酔狂くらいに思ってたのが、いつだったか会社の飲み会の席で何のはずみかこの話をしたところ、同僚の女性から「実は私も2つ名前がありました!」と言われて大層びっくりしたことがあった。話を聞いてみると父親の兄妹等と同じで、親戚筋には通り名しか知らされておらず、家でも通り名で呼ばれており、本人も幼稚園に通うようになるまではそれが自分の名前だと思ってたらしい。
 そしてさらに驚くべきことに、彼女の生まれ育った村ではそうした通り名を付けることが一般的だったという。本名はそれこそ学校とか役場、あるいは銀行に行くときくらいしか使わないのである。
 何とまぁ、明治政府による禁止から100年以上も経ってるっちゅうのに、風習はしぶとく生き残ってたってワケだ。日本は決して狭くない、っちゅうこっちゃね。

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 世の中には拠無い事情で本名を名乗れないケースもある。脛に傷持つとか裏街道を行ってるとかならそら仕方もなかろうが、冒頭に書いた在日外国人・・・・・・端的に言えば中国人や朝鮮・韓国人が差別を避けるために日本名の通名を名乗ってるなんてケースは比較的多い。そいでもって主義者な、千葉麗子の最近の著作流に言うと「パヨク」な人たちは、「名前はアイデンティティなんだから実名を名乗るべきだ!」などと、本人の意思そっちのけで主義や思想最優先で強要したりする。そぉいや呉智英が金井クンだか金村クンだか金田クンだか、東北出の大学の同級生がれっきとした日本人であるにも拘らず苗字に「金」が入ってるってコトで、主義者な連中に「どうして本姓を名乗らないんだぁっ!?」って愛の鉄拳制裁でドツき回された話を書いてたっけ(笑)。ちなみに呉智英自身もたいへん珍しい苗字だけど、れっきとした日本人だったりする。
 しかし、名前なんて詰まるところただの記号に過ぎない。今改めて誠に珍妙な父親とその兄妹の通名を想い出してみると、それでフツーに暮らせりゃ何だって構わんのぢゃないか?って気さえして来る。

 思えばY**ちゃんに連れてってもらったパチンコ屋のあった六角堂、実はあれも通り名で、「南海電車平野駅」が正式名称である。さらに言うと本当は八角形の法隆寺の夢殿をパテオにしたような形をしてた・・・・・・そ、六角形ぢゃなかったのだ。メッチャクチャ間違ってる(笑)。それでも誰が呼んだか六角堂であの辺りではフツーに通じてたし、それで誰も困らなかった。畢竟そんなモンだ。
 それにいずれにせよ、この日本に於いて殆どの人は遅かれ早かれ否応なしに名前を2つ持つことになる・・・・・・言うまでもなく死んで付けられる戒名、ってヤツだ(笑)。実にクダらない、ボッタクリなだけの風習ではあるが。

 さてさて諱と字・・・・・・いろいろワケの分からない因習の多かった父方の家系で最も摩訶不思議だったこの習わしについても、知ってる人の多くはとうに鬼籍に入り、今ではすっかり少なくなってしまった。大体、呼ばれてた方が一人減り二人減りしてるのだから。おれが今できることは、こうしてささやかに記すことくらいだ。

2017.02.26

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