新年あけましておめでとうございます。ちったぁ新年らしい話題で行こう・・・・・・ってなイージーなノリで、本日は凧について。
独楽、凧揚げ、羽子板、福笑い、双六、かるた取り・・・・・・かつての日本の正月の子供の遊びだけど、今でも残ってるのはどぉだろ?せいぜい独楽と凧揚げくらいのモンだろうか。あとはスッカリ見かけなくなった・・・・・・どころか羽子板なんておれがガキの頃でも既に見かけなくなってたと思う。その伝ではもはや蹴鞠の世界に近いのかも知れない(笑)。それでもまぁラケットで球をやり取りするんだから卓球もバドミントンもテニスも似たようなモンだ。
インドアな福笑いや双六、かるた取りは或いは今でもどこかのご家庭に残ってるかも知れない。実際、犬棒かるたは暮れともなると本屋や文房具屋で売られてるのを見掛けるし、福笑いは結構幼児向け雑誌の付録なんかで最近まで見掛けたようにも思う。昔ながらの双六はともかく、その進化形である「人生ゲーム」はどこのご家庭にもしっかり根付いている。
独楽にしたって狂い咲きのように「ベイブレード」が売れまくったりして、まぁそれなりに命脈を保ってると言えるだろう。
そんな中、目下最も微妙な位置にいるのが凧揚げではないかと思う。
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昔、凧揚げとは大変な技術を要する遊びであった。玩具店で売られてるのは奴凧や角凧ばかりだったように思うが、とにかくこれが揚がってくれんのである。竹ひごと紙で作られてるだけなのに製作の手間がかかることから値段的にはそれなりで、子供がおいそれと気軽に買える値段ではなかった記憶がある。
・・・・・・って新年早々話が逸れた。難しさについてだったよね。
ともあれ買ってきたストックの状態で凧はまず絶対に揚がってくれない。まずは全体的な歪みがないかをチェックして、新聞紙を短冊状に切ったものを尻尾のように1本か2本、下に貼り付けなくてはならない。これがないとクルクル回ってしまう。いわばバランサーである。余りに長くてもダメだし短すぎるとバランサーの役を果たしてくれないし、この調整は現物合わせかつ風の状態も加味して合わせなくてはならないので大変だった。
さらに凧糸の取り付け位置がある。基本的にはやや前のめり気味に揚がって行くものであるが、尻尾の分も勘案しつつ糸の支点が凧の中心より少しばかり上に来るように、また四隅へ張られた糸もどうしたって残る本体の左右のバランスの悪さがあるから均等というワケには行かず、ここら辺の調整も尻尾と含めて全部現物合わせである。
あ〜でもないこ〜でもないと微調整の後、いよいよ本格的に揚げる。風に向かって全速力で走り、凧が揚がり始めて引っ張られる力が強くなったと思ったら、テンションを保ったまま糸を緩めて行く。この辺で事前調整が足りないと墜落して破れたり壊れたりする。ある程度の高さまで揚がると、上空では強い風が吹いてるのでどんどん糸は伸ばせる・・・・・・ハズなんだが、そうは問屋が卸してくれない。
・・・・・・結局、毎年毎年、凧揚げは若干のフラストレーションを残したままシーズンを終えるのだった。
個人的に最も揚げにくかったのが奴凧、比較的揚げやすかったのは角凧や上辺がやや短い菱形のものだった。後者については市販品ではなくて家で工作になると妙にハッスルする父親が作ったものだったかも知れない。
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小学校3年か4年の正月だったか、近所の溜め池に面した公園で、おれは衝撃的な凧を目にした。それはこれまで知ってた凧とは根本的に形も素材も、そして揚がり方さえも違っていたが、とにかく劇的に高い所まで、おまけに素晴らしく高角度で揚がっていたのである。
今さら言うまでもないことかも知れないが、ゲイラカイトの登場である。余談だが「ゲイラ」とは発売した会社の名前であることを、本稿を書くに当たって調べて初めて知った。
いささかバッドテイストな2つの血走った目が大きく描かれた三角の白いビニールと、それに対して垂直にもう1枚貼られた三角のビニール、そのの先端の真鍮のリングに単純に1本の糸を繋いだだけの極めてシンプルなフォルムは凧っちゅうよりは飛行機に似ていた。当時、ミリタリーマニアだったおれは第二次世界大戦でのドイツのヘンテコリンな全翼機を想い出したものだ。骨は樹脂の丸棒をソケットに差し込むだけの方式だった。
おれたちがどんなに頑張っても100mの凧糸が解け切ることなんて滅多にないのに、この見たこともない奇天烈な凧はその3倍くらいまで易々と揚がってるのだ。凧糸にしたっておれたちが普通に買う木綿の所謂「凧糸」と違って、何だか真っ白でピカピカした化繊の専用のものだ。そしてこれが最も特筆すべきことだろうけど、このゲイラカイト、とにかく風さえ吹いてれば技術も工夫も独自の細工も何もなしに誰がやってもバカみたいに容易に揚がるのである。全てが斬新だった。
日本製でないことは明らかだった。大袈裟に言えばそこには科学的知見に裏打ちされた強烈で無理のない合理性があり、それと玩具屋の壁にこの時期になると束になってぶら下げられてる和凧の間にはガキにでも容易く分かる懸隔があったのだ。何かもぉそん時の気持ちは、ニューギニア戦線で飢えの余り米軍陣地に食糧奪いに行ったらあちらにはアイスクリーム製造機まで置いてあって、こんな国と戦争したらそら負けるわな〜とつくづく思ったっちゅう、ダイエー創始者・中内功の気持ちと同質のモノだったと思う。。
ともあれこのゲイラカイトの出現によって、扱いが繊細でむつかしい従来の和凧はアッと言う間に玩具屋の店頭から、もう完膚なきまでに駆逐され、民芸品屋の店頭で見掛ける程度の代物になって行ったのであった。
図らずもおれは和凧の終焉を見届けた一人となったのだけど、このことはしかし正月の遊びとしての凧揚げはワリと近年まで残ってたことの証左に他ならない。
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そんな凧揚げも今ではほとんど見かけなくなってしまった。大体、都市部に於いては高層建築が増え、地方でも高圧鉄塔があちこちを走ってて、昔のようにのんびり揚げれるのは広い河川敷か海岸くらいしか残ってないのである。しかし場所だけの問題ではない。無理に寒い思いして外に出なくたって遊びは今やいくらでもある。だから子供たちはみんな液晶画面に向き合って忙しなくボタンを押しまくるばかりで外に出て行こうとしないし、大体、家族で正月の海外旅行に出掛けて凧揚げでもなかろう(笑)。そもそも子供の数だって減る一方なんだし。
それに大事なコトだけど、ゲイラカイトの登場によって凧揚げは余りに均質化され、勝負の要素が無くなってしまったのである。これがなくちゃ男の子は乗って来ないわな。工夫の余地のある和凧ではそもそもゲイラカイトに歯も立たないし、かといってゲイラカイトは余りに完成されてて工夫の余地がない。これが実は凧揚げの衰えた最大の要因ではないかと思ってる。
誰でも揚げれて高性能なんだけど、それなりに各人の工夫の余地を残した凧が出てくれば、あるいはミニ四駆やベイブレードみたく小さな子供たちを中心にまた凧揚げが広まるかも知れない。
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いずれにせよ、今年も元旦は無事に巡って来た。例年になく寒い年の初めではあるものの、おれの住まう辺りではまずまず穏やかな正月となった。みなさまに於かれてはどのようにお過ごしだろうか?
どうか本年も何卒よろしくお願い申し上げます。 |