「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
T次郎と下駄屋の息子・・・・・・或いは影の薄さ


概ねこんな感じを目指してたと思われる・・・・・・(ちなみにこれは当時の雰囲気を再現しただけのようだ)。

 影の薄いヤツ、ってガキの頃から何となく見分けがついたように思う。脇キャラ、っちゅうんですか?中学くらいになってちょっとグレるのが出て来て校内に目立つ集団を形成してても、中にそぉいったのが一人はいた。

 そぉゆうタイプでおれが覚えているのはS本ってヤツで、小学校の頃はさほど目立つこともなかったのが、中学に上がって悪さする連中にいつの間にか混じっていたのだけど、なんか存在感が薄いなぁ〜、といつも思ってた。何が?と言われると説明に窮してしまうのだけど、どことなく貧相っちゅうか、まぁ要は影が薄いのだ。
 以前書いたパクリもんのラッタッタ乗り回してガソリン切れたら溜め池に沈めて・・・・・・なんちゅう非道なことで遊びまくった後、そいつの家にみんなでたむろって、親が留守なのを好いコトにタバコ吸って大音量でキッスとかのレコード流してウダウダしてても、肝心のホスト役である彼は何となく存在感がないのである。

 高校に進むと同時に彼等との付き合いは途切れてしまったんだけど、果たしてS本、確か高校2年くらいだったろうか、単車でチンケな暴走してて事故って、重い後遺症が残って植物人間みたくなってしまったのだった。S価学会信心してあちこちの家を熱心に布教に訪ね歩いてたオカンはどぉなったんだろ?

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 ・・・・・・って、今回はトンカツ屋で働いてた頃、丁稚のボンで入って来たT次郎っちゅう若いお兄ちゃんと、名前も忘れた下駄屋の息子っちゅうヤツについてである。

 これも以前書いたけど、トンカツ屋の大将はかつて自分が非行少年だったコトに特別な思いがあったのか、グレたデキの悪いのを丁稚で雇っては一人前のトンカツ屋に仕込もうとしていたのだった。T次郎もそんな少年で、まだ中学を出たばかりだったと思う。
 大将が語るところによると、出身は高知で母親はおらず、父親はプッシャーでパクられて塀の中に入っちゃった・・・・・・っちゅう、もぉ絵に描いたような不幸な生い立ち。身寄りもなくて本人も至って素行が悪いもんだから、教護院のようなところに入れられて、そこでようやっと中卒の学歴を得たのであった。義務教育はイヤでも終了させてくれるのだ。日本は吐き気がするほど素敵な国だ。

 下駄屋の息子については大将から話を聞かされただけだった。おれがアルバイトで働き出す前にその店に丁稚で入ったものの、ナンボもしないうちにすぐに遁走してしまったんだそうな。山陰線のどっかの駅前の下駄屋の息子で、やはりグレてどぉしようもなかったのを引き取ってたらしい。

 さてさて、赴任したT次郎は、歳からすると信じられないほど暗くて険のある目付きをした、平均よりも小柄で痩せぎすの少年だった。その顔立ちだけで辛酸を舐めまくって来たのだろうコトは容易に伺えた。
 丁稚として店には入ったけど、仕事はもちろん何もできない。何だかんだで行きがかり上、下働きの部分はおれが面倒見て教えることになってしまったのだった。彼も寂しかったのか何なのか、しばらくするとそれなりに懐いてきて、おれたちはけっこう仲良くなった。まぁ、当時の年端も行かぬ非行少年が取り敢えず目指すのは単車や暴走族だろう。なもんで当時おれが乗ってたニンジャに彼は目を輝かせていた。

 ------Rさん、あれってカワサキのめちゃ速いヤツですよね?
 ------おう、フルパワーのフランス仕様やで。115馬力や。引っ張ったらメーター読みで250キロ超えよる。マジで速いわ。
 ------おれねぇ、中免取ったらCBX欲しいんです。
 ------オマエ〜、暴走する気やろ!?
 ------うん!絞りハンて知っちゅうすか?
 ------分かる分かる。
 ------あれのもっといかついのに鬼ハンちゅうのあるんですよ。それ付けてねぇ、アンコ抜いてねぇ、集合噛ましてねぇ・・・・・・
 ------サイレンサー抜いてコーラの缶突っ込んで、ビートのアルフィンカバー付ける、っちゅうんちゃうやろな?
 ------え!?何で分かるんですか?
 ------そら分かるわ。コミネの出目金カウルとか?
 ------何でそない暴ヤンのパーツ知っちゅうのん?
 ------ハハハハ、まぁ知識だけはあんねん、おれ。一回乗ってみるか?運転はアカンで。後ろやったら乗せたるわ。
 ------えっ!?いいんっすか?マジ、乗してもらえるんっすか?
 ------オマエ、だいたいクラッチ付いた単車乗ったことあるん?
 ------うんん、スクーターだけやったです。

 怠惰なクズ学生の分際で何だかんだでいろいろと忙しい生活を送ってたんで、約束が果たせたのはそれから1ヶ月くらいしてのことだったと思う。夜、店が終わってから広沢池の方に上がってさらに高雄の方に連れてった。ドカヘルはさすがにマズいんで、手持ちのNavaのヘルメット被せたら妙にブカブカだったのだけは何故かはっきり想い出す。
 立ち上がりのストレートでフル加速したり、フルブレーキングでコーナー突っ込んで寝かし込んだりとか小一時間ほど、彼はもう興奮しまくりでメットの中でワーワーと大騒ぎしてた。どんなヤツでも無邪気になる瞬間はあるもんだ。
 そのまま店の北の方に大将が借りてた寮代わりの町家の二階に興奮冷めやらぬ彼を送って、寒かったもんだからそのままちょっと上がらせてもらって缶コーヒー啜ってると、T次郎よりは1つ2つ年上のヤンキーのニーチャンがノソ〜ッとやって来たのだった。

 はて?高知から出て来たばかりでこっちには知り合いはおらんはずだが・・・・・・と訝しんでると、果たしてそいつこそが下駄屋の息子と呼ばれてる男だったのである。話しぶりから察するに、T次郎とはすでに仲良くなってるようだった。
 ヤンキーとは極端に寂しくて人恋しい連中を指すコトバなのかも知れない。彼は店を飛び出してはみたものの、特に京都市内に知り合いが居るワケでもなく、元の部屋に新たにやって来るヤツとちょっと先輩ヅラして友達になろうとしてたのである。同僚でさえない。ただもう同じ店で働いた、っちゅうだけの繋がりで。
 そして彼もまた極端に影の薄い雰囲気を全身に漂わせていたのだった。最早オーラが足りない、とでも表現すべきだろうか。今時、気志團くらいでしか見ないようなブリーチしたリーゼントも、顔色の悪い馬面に並んだ妙に殺風景な顔立ちと相俟って、ツッパリっちゅうよりは色素不足で弱々しいアルビノみたいだ。

 ------ああ〜、自分かいな!?下駄屋の息子の**君、っちゅうのは?
 ------はぁ、まぁ〜。
 ------今、何してるん?あ!?おれ!?単なるあの店のバイトや。
     別に大将には何も言わへんし安心しぃ・・・・・・それに大将も別に聞きとうないやろしな(笑)。
 ------土方やってます〜。
 ------ありがちなハナシやなぁ〜・・・・・・現場てケッコー危ないやろ?それに入ったばっかしやったら下働きばっかしやろし。
 ------はい〜、メッチャしんどいです〜・・・・・・でも、先輩とか沢山いてて楽しいです〜。あのぉ〜・・・・・・
 ------ん?
 ------下にあったカワサキのニンジャ、先輩のですかぁ〜?
 ------(いや、おれ別にオマエの先輩ちゃうし、と思いつつ・・・・・・)うん。さっきT次郎乗せて高雄行ってきてん。
 ------(急に活き活きして)へぇ〜!羨ましいな〜!T次郎、良かったやんけ!
     あのね!ボクもね、族に入らせてもらえるコトなったんです〜!
 ------ふ〜ん、良かった・・・・・・っちゅうてエエんかいな?まぁ、お願いやからおれの下宿の近所では暴走せんといてな。
 ------先輩、どこなんですか?
 ------修学院やけど。
 ------そんなん〜、走るんやったらやっぱし五条通か河原町っすよぉ〜!

 話し方まで間延びして影の薄い下駄屋の息子とはそこで会ったきりになった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 それから2週間も経たなかったと思う。話は決して盛ってない。本当にそれくらいしか経ってなかった。昼時、定食屋でTVのニュース観てたおれは吃驚仰天した。
 未明に河原町で2ケツで単車の後ろに乗って暴走してた下駄屋の息子は、お決まりのパトに追われたかんなんかで慌ててスピード出して、脇道から出て来たクルマのどてっ腹に突っ込み、そのまま数十メートルも空中遊泳した挙句、道路に叩き付けられて亡くなってたのである。即死だった。余程凄惨な事故だったようでその日の京都新聞の夕刊にも記事はけっこう大きく出てたと思う。酷い亡くなり方であることは鈍感なおれにも良く分かった。

 翌日、店に行ったら大将も事故のことは既にニュースで知っていた。T次郎は厨房の奥でただでさえ暗い目付きがこれ以上ないっちゅうくらいに暗い目付きでキャベツを切ってる。

 ------アイツ、何かこぉなぁ〜・・・・・・
 ------影薄かった・・・・・・って?
 ------そや!Rヤン(←大将のおれの呼び名)、何で分かるん?
 ------すんません、言うとややこしかなぁ〜、思て言わんかったんですけど、一回T次郎の部屋で会うたコトあるんですわ。
 ------そやったんか・・・・・・そうなんや。アイツ、T次郎にちょっかい掛けに部屋に来てたんやてな・・・・・・寂しかってんな。

 T次郎は、高知から出て来て唯一の、そして憧れの暴走族への道を作ってくれそうな知り合いを、その単車が原因で喪ったことでひどく落ち込んでいた。その日以来、話し掛けても殆ど彼は口を開かなくなった。大将もおれもそのうち元気取り戻すかな?と、何となく腫れ物に触るようにしてたのが、ナンボもしないうちに彼もまた、下駄屋の息子同様に遁走してしまったのだった。
 その後の行方はサッパリ分からない。どだい国元に連絡したって唯一の身寄りは塀の中なんだし、厄介払いができた教護院はもう関わりたくなさそうだし、それに非行少年のガキが一人、フッといなくなるなんて日本中どこにでも転がってる話なのだ。

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 それにしても、冒頭に書いた通りで名前さえも忘れてしまった下駄屋の息子である。17か8かそこいらで実に儚くもしょうむない人生であったことは間違いなかろう。おそらく念願の暴走族デビューしたてのホヤホヤで、それも自分で運転してたんならいざ知らず、ケツに乗っててトバされて、道路に脳漿ブチ撒けて死んでりゃ世話ない、っちゅうねん。何だかその頃ハマッてたTGの”2nd Annual Report”に収められた”Maggot Death”ってタイトルを想い出した。ホント詰まらなくも惨めな死だ。

 しかし、気の毒ではあるけど、あの部屋で会った時、ちょっとでもおれが年長者らしく止めておれば・・・・・・なんてその時も今もこれっぽっちも思ってない。冷淡なようだけど遅かれ早かれ彼は必然的にああなる運命だったように思えたからだ。だって彼は影が薄かったのだから、とても。

 いずれにせよ影が薄い、ってーのにはやはり何かしら共通するパターンがあるように思う。人相や風貌だけでなく姿勢、歩き方、視線、漂わせるオーラや雰囲気、性格、話し方・・・・・・etc、それが具体的に整理できればおれも八卦見で食って行けるんだろうけど、能力不足でそこまでには至らないまま今に至ってる。

 とまれ、そんな漠然とした思いが確信に変わるようなヤツに出会ったのはさらに数年後、社会人になってからのことだが、そのことについてはまたいつか。 


これもかなり忠実に当時の雰囲気を再現してる。

2014.12.02

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