しんちゃんの紙芝居 |

今回、かなり画像は探したんですが、直接関係するものはどうしても見つかりませんでした・・・・・・。
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ガランガランガランガラン・・・・・・遠くから手持ちの鐘の音がする。豆腐屋の鐘の音と同じだけど、ここは団地なので以前暮らしてた下町のように自転車に乗った豆腐屋なんてやって来ない。立ち並ぶ無機質な5階建て、1棟30戸の団地の方がよほど豆腐みたいだ。
------良い子のみんなぁ〜、楽しい楽しいしんちゃんの紙芝居だよぉ〜。
いささか間延びしてはいるものの、良く通るちょっと塩辛声で公園で遊ぶ子供を集めるのは、ハンチングにジャンパーの・・・・・・ではなく、少し着古してヨレヨレとはいえそれなりにキチンとスーツ姿でネクタイを締めた丸顔で温厚そうなジーサンだ。歳の頃は60半ばくらいだったろうか。
ゴツい黒塗りの自転車の後ろには紙芝居の箱が載せられており、10人ほど集まった子供たちを前にそのしんちゃんなるジーサンはおもむろに紙芝居を始めるのだった。無料なもんで水飴くれたりとかは、ない。
お話の内容は?っちゅうと、黄金バットとかそぉいった往年の定番ではなく、原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さ、そして平和の大切さを訴えるといった創作物ばかりだった。また、商売の紙芝居なら盛り上がったところで「続きはまた今度のお楽しみぃ〜」となるけれど、しんちゃんの紙芝居はいつもキッチリ一話完結だったと思う。
ぶっちゃけ絵は稚拙だったし、「楽しい楽しい」って口上とは裏腹の、いささか道徳臭い内容が流石に子供にも鼻についたとはいえ、それでも色んな声色使い分けながら声張り上げて、身振り手振りを交えた語り口の一生懸命さが何だかとても面白くて、15分かそこいらの話をおれも熱心に聞いていた。月に1〜2度くらいのペースで近所の公園に現れていたと思う。
そのオッチャンが「しんたにさとし」っちゅう名前で「しかいぎいん」やってる存在であることは、その内オカンから教えられた。今から思えば紙芝居はいわば「地域に根差した政治活動」の一環であり、反戦平和についての草の根的な啓蒙活動として随分昔からコツコツとやってるらしかった。党派については良く覚えてないけど、たしか社会党だったように思う。
今ではあまりにひどい体たらくにもぉそんな自治体はほとんど無くなっちゃったが、当時は革新系の方が強い市区町村なんて日本中にいくらでもあった。大阪府にしたって、黒田了一って府知事は社会党と日共、両方の支援を受けて当選したんぢゃなかったっけかな?まぁ、冷静に総括するならばどぉでもいいようなバカ高校ばっかボンボン建ててどぉにもならん人だったけど。
ともあれこういった日々の地道な活動の甲斐あってか、しんちゃんはいつでも選挙にトップ当選してるらしかった。
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しんちゃんの紙芝居を見てたのはそんなに長い期間ではなかったと思う。せいぜい小学校2年くらいまでだったろうか。2年の夏休みに入るのと同時におれは自転車を買ってもらい、すぐに補助輪は取れて行動半径が一気に広がったことで家の近くの公園で遊ぶことが減ったのだった。自転車はその内、5段変速の付いたミニサイクルに替わり、さらに行動半径は広がって行った。
ちょっと遠くに出かけた折にしんちゃんに出くわすことはけっこうあった。相変わらず少々ヨレッとしたスーツを着込んで一生懸命自転車を漕いでたり、遠く離れた公園でも同じように年端も行かない子供たち相手に紙芝居やってたり、あるいは夏の暑い日に木陰で自転車を止めて、タオルで汗を拭いてる姿を見かけたこともある。狭いようで意外に広い市内を走りまくるのは、実際、老体にはかなりキツいことのように思えた。まぁそれでも、兎角金が掛かりがちな選挙をこうした普段のコツコツした活動でカバーできるならいくらでも頑張れたのかも知れないが・・・・・・って、ジーサン、ちゃんと市議会に出席してたんかな?(笑)
だんだん学年が上がって要らぬ小知恵も付いて来ると、しんちゃんの活動についてちょっと斜に見るようにもなって来るのは、別段おれに限ったことではなかったろう。そもそもあまりにベタな反戦とか平和はちょっとクサい・・・・・・っちゅうか子供ならではの直感的な鋭さで、そこに漂うある種の偽善、あるいはウソの清浄があるように思えたのだろう。だってさぁ〜、いくら仲良しの連中だって、たまには諍い起こして本気のドツき合いの喧嘩になったりするんだもんな。個人対個人でそうなんだから、国対国で仲良くしましょう、戦争は止めましょう、っていくら口当たりの好いコト並べたってそないにカンタンに行くもんかい、って思えたのだ。また、暴力が一方で大いにカタルシスであることも本能的に子供たちは知っていた。それにガキとはいえ、ベトナムとかイスラエルとかどっかの遠い国で戦争が今でも続いてることも知ってた。
もう一つ、しんちゃんの孫が小学校にいたこともしんちゃんの活動に対しておれたち悪童をいささか鼻白ませる要因となっていた。端的に言って、その孫の住む一戸建ての家は公団の3DKの団地住まいの庶民のガキとは違い、とても立派で金持ちそうだったのである。石積みだってすごく大きかった。服装だって延びたTシャツなんかではなく、ちょっとお坊ちゃんみたいな服着てたから、実際それなりに豊かな家だったんだろう。
そこにしんちゃんが住んでたのかどうかは定かではないけれど、何か普段のちょっとみすぼらしい感じと違うなぁ〜、ってーのが偽らざる気持だった。売名行為なんて言葉はまだ自分のボキャブラリーにはなかったものの、もしその時に知っておればガキならではの精神的未熟さ丸出しで言下にそう吐き捨ていたかもしれない。
しんちゃんの姿はいつの間にか、見掛けたって特段の感慨を催すことのない日々の生活の中の点景のような存在になって行った。
そんなしんちゃんも寄る年波には勝てなかったのか、そのうち若い弟子みたいなんとコンビを組むようになった。おそらくは同じ党派でしんちゃんの票田を受け継いで市会議員を目指す人だったんだと思う。「しんちゃんの紙芝居」はいつの間にか、「しんちゃん・ながちゃんの紙芝居」になっていた。ながちゃんというのはたしか弟子になったのが永原って苗字だったからだ。おれの住む団地で近所に住んでたフツーのオッサンだったのが、いつの間にかコンビ組んでるんで大層驚いた記憶がある。
そしてさらに数年、しんちゃんは紙芝居から完全に引退した。市会議員も同時に引退したのではなかったか。その頃にはもうおれは高校生か大学生くらいになっており、そういった情報を新聞記事の片隅で見たように思う。ソロ活動でのながちゃんは見かけた覚えがない。おれ自身、そんな歳にもなって市内をチャリでウロウロすることなんてなくなってたのだ。
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あれから何年経ったんだろう?いずれにせよ世の中は相変わらずだ。
戦争は悲惨だ。それはもう間違いない。
でも相変わらず世界には平和なんて訪れてない。それもまた間違いない。
そかし永らく戦争状態に陥ったことのないヌルい国家は、爛熟の中で既に耐え難いまでの腐臭を発している。
思い上がったバカな国が古臭い覇権主義で、領土を主張する。それもまた戦いだ。
慈しみ育んできた農業が大味な大国のエゴで蹂躙されようとしている。これもまた戦いだ。
雁字搦めの利害関係の中で、誰も一人として思い切ったことも言えず、施策も出せず、手を拱いてるだけだ。
そして日々の怠惰な平和に倦んだ若者が、ロクな大義もないままモノ好きにもシリアを目指したりする。
当時であれだけ歳取ってたんだから、しんちゃんも今はもうとっくに鬼籍に入ってると思われる。おれだってもう干支を何巡もした。いい加減大人の知恵と分別が付いた今、彼のやってた地味な活動をただの票集めの売名行為と嘲って切り捨てる気はない。ホントに損得抜きで純粋な気持ちに衝き動かされ、恐るべき情熱で誠実に粘り強くやってた部分も大いにあったんだろう。そう信じたい。
そんなしんちゃんに今の世を紙芝居にしてもらったら、一体どんな風になるのだろう?最近そんなことをしばしば思う。 |
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2014.11.20 |
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