「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ロン毛の時代


昔はおれ、「Child In Time」歌えました。


「アッと驚く為五郎」と言われた日にゃぁねぇ〜・・・・・・(笑)

 実の所それは60年代から70年代半ば過ぎくらいまでが全盛期であって、おれが大学生になった80年代初頭、「石を投げれば学生に当たる」とまで言われた京都の町においても、長髪は既にけっこうアナクロな存在となりつつあった。それでも晴れて大学生になって鬱陶しいこと極まりない家から出たおれは、早速思うさま髪を伸ばし始めたのであった。それがいわば「開放」の証であった。

 今日はそんな話だ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 おれは中学の数年間をとあるモーレツ進学塾に入れられ、そこの摩訶不思議な方針で丸坊主にさせられていた。それもいっちゃん短い2ミリ。一枚刈り、っちゅうやっちゃね。親も子供からファッションとか趣味を取り上げることが自分の威厳の顕れであり、正しい教育であると固く信じて疑わないような人間だったので、丸坊主を大いに歓迎してた。
 おれにとっては望んでもいない坊主頭なんて理不尽な規制・抑圧そのものであり、その反動からロン毛に強く憬れていた。

 高校の頃はさすがにもう坊主頭でなくなってはいたが、それほど長く伸ばしていたわけでもなかった。つまりは普通、ってことだ。もちろん床屋に行くことを可能な限り忌避することで伸ばそう伸ばそうとはしていたが、いかんせん親がギャーギャーうるさい。それでも、ギターについてもそうだったけれど、ここで要らぬ悶着を抱え込むよりはネコ被っておいた方が何かとやりやすかろうという打算で、おれは高校の3年間を過ごしていたのである・・・・・・まさに雌伏だな。クダらない確執によるものではあるが(笑)。
 髪の毛は放っておけばひたすら伸びる。それも若いうちは成長力も旺盛だ。大学入って夏も過ぎ、秋も終わる頃には、強めのパーマかけてるにもかかわらず肩より下まであった。最近では女性でもそこまで長いのは少ないよね。

 冒頭に書いたとおり、ロン毛は学生の町・京都においても下火になりつつあった。とはいえフツーでもみんな今よりはかなり長かった。具体的に言うと襟足を短くしてるヤツなんて誰もいなくて、みんなジャケットやジャンパーの襟に被るくらいには長かったのだが、おれの長さはそんな中でさえかなり異彩を放つものになりつつあった。
 おれとしてはもっと伸ばして腰くらいまで伸ばしてやろうと思ってた。ところが悪友どもは散々な言い方をしよる。元来おれは骨太の中肉中背の体型で、いささかどころか大いに華奢さに欠けるのだが、「オマエはイアン・ギランか!?」くらいはまだいいとして、「オマエは『アッと驚く為五郎』か!?」ではいくらなんでも凹む、ってモンだろう。
 アッと驚く為五郎・・・・・・ある年代以上の方なら当然ご存知だろうが、60年代末から70年代初頭にかけてカルト的な人気を誇った番組・「ゲバゲバ90分」の中でハナ肇が演じた怪しいヒッピーオヤジのことである。アッとお〜どろぉ〜くためごぉ〜ろぉ〜!!って・・・・・・トホホ。

 周囲の揶揄はともかく、さらには当時のめりこんでた音楽もロン毛への熱意をそぐものであった。70年代のハードロック・プログレからパンクを挟んで80年代、流行は完全にニューウェーヴ/オルタナティヴにシフトしていたのである。
 パンクは言うまでもなく短めのツンツン頭だ。そのうちハードコア/オイが出てくるとモヒカン、それも孔雀が羽根を広げたように見事なモヒカンが主流になってきた。一方ニューウェーヴ/オルタナは一概にどれ、とは言えないところもあるものの、押しなべてどいつもこいつも往年の正統派(?)ロン毛ではない。

 おれはロン毛を止めた。次に目指したのは、強いて言うならポジパンと言われた連中に近い辺りであった。ポジパンとはすなわちポジティヴ・パンクの略であって、冷静に考えるとネガティヴなパンクなんて本来的にはないワケだから実に矛盾した奇妙な言葉なのではあるが、要は「割り算の余り」みたいな存在で、パンクでもなければテクノでもなければインダストリアルでもなく、かといって全然違うかと言えば違わなくもない、基本はやっぱパンクかな?みたいなのを仕方なく一纏めに括る感じで生まれてきた。共通してたのは、従来のパンクの根のない明るさとは対照的に、おどろおどろしい暗さみたいなものを全面に出してたことくらいだろう。ヴァージン・プルーンズが一歩先んじながら、スペシメン、サザンデスカルト、クリスチャンデスなんてぇ一群が嚆矢だな。
 視覚的には今のゴスやヴィジュアル系の源流となるものである(余談だが、源流をグラムなどという人がいるがそれは完全に間違いでっせ)。

 ・・・・・・で、実際どないしたかというと、一言で言って前髪をひたすら伸ばしたのである。後ろ頭はドバーッと刈り上げたり、あるいはツーブロックで耳の辺りまではほとんど一枚刈りにしておいて、上から髪の毛をかぶせるのだが、それもそんなに長くはない。んでもって前髪は胸の近くまで伸ばす、と。あくまで前髪は真っ直ぐに長く、だ。今のヴィジュアル系でも似たようなのはいるよね。
 このヘアスタイル、そのままだとゲゲゲの鬼太郎みたいで当然ながら前が見にくい。だから、普段はサイドに流したり、オールバックみたいにしておくのだけれど、それだとひじょうに見た目的に収まりが悪いのが難点だった。

 思うにただもうおれは「傾奇者」でありたかったのだ・・・・・・とは申せ、周囲の意見や音楽の流行に右顧左眄してゴーインマイウェイが貫けない程度のずいぶんハンチクでお寒い状況ではあった。おれは「傾く」の意味をちっとも理解していなかったと言える。「傾く」とは、結果として表される「カタチ」の程度の大小にあるのではなく、その姿勢と継続性にある。今回のヘアスタイルのケースで言うなら、初志貫徹で腰まで伸ばすのがおそらくは最も正解だったろう。

 ともあれ、あーでもないこーでもないの試行錯誤は数年間続き、結局、めんどくさがりのおれは最終的に「無造作に長い」に落ち着いたのである。尻すぼみっちゃこれほどの尻すぼみもないが、外面的なところでばっか奇矯を演じても仕方ないことに薄々気づき始めていたのは事実だった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 敢えて申し上げるまでもなかろうが、不惑も半ばを過ぎた今のおれはもう伸ばしたくても伸ばせない。仕事柄っちゅうのもあるし、歳のせいで伸びなくなって来たっちゅうのもあって、何の変哲もないアタマである。無理やり伸ばすと中途半端に月代の伸びた落ち武者の打ち首状態になりかねない。河童とかフランシスコ・ザビエルになってないのはまだせめてもの救いだが、それとても後何年続くかは分からない。悲しいことにおれは元々猫っ毛で毛足が細いのだ。

 先日、統計結果をニュースで見て驚いた。今は自発的に丸坊主にしてる人間の率がひじょうに高いのだそうな。なるほど音楽番組でもスポーツ番組でも、坊主頭のヤツを見かけることが多い。ただ、床屋でバリカン掛けただけの何の芸もない丸刈りとは異なり、美容室でやるもんだから微妙にスタイリッシュだったりする(亀田兄、あれだけは床屋だろうなぁ、笑)。しかし、それでも丸坊主は丸坊主である。

 かつて坊主頭とは、兵隊とか親とか学校とかクラブとか塾とか、人によって事情はそれぞれ違えども、何がしかの権力からの被抑圧の象徴に他ならず、いつかそこから抜け出すべきものだった。しかし、最早そんな理屈はもう通用しないみたいである。一方、ロン毛にしたって、それが反体制の象徴のようなものだったのは昔日の話で、今はそこに何の意味もない。仕事柄、なんて書いたけど、業界によっては一切制約なし、どんなヘアスタイルだってOKみたいなのはいくらでもある。
 つまりはヘアスタイルが良いも悪いも「社会的・政治的」な意味を喪失して、純粋にファッションの世界のものになったってことだ。いやもうヘアスタイルなんて甘い甘い。タトゥーやボディピアスさえもが特段の意味を持たなくなってしまった。

 いい時代ではあるが・・・・・・何だかそれぢゃちょっと張り合いねぇな(笑)。

2009.11.14

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved