「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
給食記


あの時代の象徴ですわ。使いにくかったなぁ〜。

 読売新聞に食生活の乱れがどーたら、って記事が出てた。別に一汁三菜だけが絶対的に正しい献立の構成とは思わないけれど、それでも取り合わせ、っちゅうモンがあるやろ、とは少なくとも思う・・・・・・で、その中で食生活の崩壊の原因の一つとして学校給食が挙げられていた。なるほどその通りだ。今思い出してもあれは子供でさえ理解に苦しむ途轍もなく珍妙なものだった。

 今日はそんな話を。

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 サバの龍田揚げ、豚汁、ミカン、食パン2枚、マーガリン、牛乳
 きんぴら、魚の中華風あんかけ、コッペパン、ジャム、牛乳
 鶏のくわ焼、味噌汁、食パン、牛乳
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 教室の壁に貼られた「1ヶ月の献立」にはそんな内容の、栄養学的には極めて正しいのだろうけど食文化的には完全にトチ狂った組み合わせの素敵にシュールなメニューが小さい字で並ぶ。もちろん紙はわら半紙、ガリ版刷りだ。確か月末近くになると一人一人にも配られた。

 お昼のチャイムと共に給食当番は1階の職員室近くにある給食室に食器や食事を取りに行く。まだ白衣や帽子なんてなかった気がする。皿とお椀は薄黄色いメラミン、お盆は何だったかな〜?アルマイトだったような記憶があるな。無論、手に持つのはあの悪名高い「先割れスプーン」だ。
 1本でナイフとフォークとスプーンの3役をこなせる合理的なスグレものです、ってな触れ込みだったが、どんな道具にせよえてしてそのような代物が中途半端で使えない存在であるのは言うまでもない。それにそもそも1本ではどうにもならないから、長い西洋文化の中でナイフとフォークとスプーンっちゅう3種類のカトラリーが成立したんだしね。マトモに刺すこともすくうことも切ることもできないこの出来損ないの本音が、洗う手間を省きたいだけなのはすぐに分かった。
 こんな使いにくいモンで意味不明の取り合わせのモノ食わせといてマナーもへったくれもなかろう。そりゃ〜犬食いにもなるって。唯一、「合理的」って言葉が、「何か大事なものを誤魔化してうやむやに葬り去るとてもいかがわしい表現」であるってコトを、年端の行かないガキにおぼろげながらも学ばせてくれた・・・・・・ただもうその一点でそれなりに有意義ではあったかも知れない。

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 おれの住んでた町で学校給食が始まったのは小学校4年の時だった。団地建設と郊外型の新興住宅地で急増する生徒数に給食センター建設が追いつかず、3年生まではまるでロンパールームのような「牛乳給食」と呼ばれる言い訳めいた制度が実施されていた。お弁当は各自が家から持って来るのだけれど、なぜかビンの牛乳が1本配布されるのだ。

 当時は牛乳に対する半ば信仰に近い考え方があったように思う。どぉ考えたって黒ゴマが振りかけられた梅干しご飯に玉子焼に焼魚にウインナー、みたいな内容の弁当に牛乳が合うはずもないのだが、とにかく牛乳は栄養があるからってコトで無理にでも飲まされたのである。何だか食物っちゅうより、肝油とかに近い存在だった。今で言うサプリメントだな(笑)。
 しかし栄養栄養、っちゅう割に、供される牛乳が白い絵の具を水に溶いたかのような、えらく薄い代物だったのは事実だ。牛乳をおれはそんなに嫌いではなかったけれど、それでもこの給食に出てくるヤツだけはどうにも水っぽく、それでいて変なクサみがあって苦手だった。

 ともあれそうこうするうちにめでたく給食センター建設は完了し、市の小学校全体が本格的な集団学校給食に移行したのだった・・・・・・それが「近代的」で「衛生的」なことであると盛んに喧伝されながら。「市政だより」みたいなんにも一面にデカデカと写真入りで取り上げられていたのを思い出す。オイルショックを経験し、そろそろ戦後の経済発展の弊害や矛盾に皆が気付き始めてたけれど、まだまだみんなそんな言葉にコロッとアテられて騙される呑気さも持ち合わせてた長閑な時代であった。

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 その後のコメ余りとあまりの献立のシュールさに批判が起きて米飯給食が導入される遥か以前だったので、どんなオカズだろうがとにかくパンと牛乳。かくして取り合わせは奇妙奇天烈で、たまにカレーやクリームシチューだったりするとホッとしたけれど、実はどれも一つ一つの味そのものはさほど食えない内容ではなかった。いや、もちろん炒めものなど水気が出てベチャベチャだったり、煮物は崩れてたり、どこか一味欠けてたりでさして美味くもなかったが。

 学期末等、ただでさえ難解な献立は一層そのアヴァンギャルドさを増す。あくまで一例だけど、小さな袋入りのインスタントラーメンのようなものが配られ、それをお椀の八宝菜様のデロッとしたものに混ぜ入れて食う。揚げソバなのだ。それでもやはりパン、特別な日だからってコーヒー牛乳、ちょっと上等のジャム・・・・・・中華のあんかけに合うかぁ〜〜っっ!!(笑)

 でも、文句言いつつもみんなそんなことはどうでも良かったのである。給食は楽しかったのだから。デブでいっつも食い足らん顔してるヤツ、あるいは逆にいつも残してばかりの腺病質で癇の強そうな虚弱児童にはテンコ盛りにし、澄まし顔の割になかなかフタがめくれずイラつく女子を尻目に、悪童どもは牛乳瓶を咥えて蓋を吸い出す、なんちゅうしょうもない遊びに熱中し、冬ともなれば横から煙突の突き出した小汚い筒型の石油ストーヴの上でパンを焼き、どこそこの小学校でハンバーグん中にハエが入ってたんやて〜、なんて露悪的な噂話を大声でして真面目な連中をイジッたり・・・・・・と、それなりに遊びを見付けて、このワケの分からない平等システムを笑い飛ばしていた。

 そういや少し前、給食のパンを早食い自慢で喉に詰めて死んだどっかのガキがいたが、おれにそいつをバカにする資格はない。似たようなことはしょっちゅうやってたのだから。牛乳の蓋の吸い出しと一気飲みでむせて鼻から牛乳、な〜んて別に珍しい光景でもなんでもなかったし、それどころか噴き出して向かい側の大人しい女の子を牛乳まみれにして泣かす、なんてことさえあった。ハハハ、まるでAVのWAMとか顔射だな(笑)。

 でも、それらの遊びは給食の正しさの証左にはならないのは言うまでもないことだろう。今から30年以上前、大人たちは騙されたかも知れないが、おれたちはハナッから給食にまつわる色んな美辞麗句の下の欺瞞と腐臭を本能的に嗅ぎ取っていたのだと思う。給食そのものが退屈で味気なくありがたがるべき点なんてどこにもない代物だったから、無聊をかこつなんてファックオフな悪童たちはそれらの遊びを編み出したのだ。

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 今の時代、学校給食に対する一切の意義も幻想も消えうせた。

 しばらく絶食させた方がいいような肥満に苦しむ子供は掃いて捨てるほどいるが、欠食児童などどこにいるというのか?いたとしてもそれは親のネグレクトのせいだろ?食わしたやりたくとも食わせてやれないんとちゃうやろ?やれアレルギーだなんだと、特別メニューまで用意してまで学校給食制度を堅持する必要が一体全体どこにあるのか。おれにはどうしても分からない。ちゃっちゃと廃止してしまっていい。
 片や給食費を払わないバカ親が山のようにいるとも言われる。別に大した金額でもなし、それに悪法であれ法は法なんだからチャンと払うべきだとおれは思うのだが、いい歳ブッこいてそんな道理も分からない人が増えてるみたいなのだ。でもまぁ、あんな意味不明の給食で育った世代ゆえ、金払うのがバカバカしくなるのだとしたら、その気持は分からないでもないが(笑)。

 それでも数にすると恐ろしい数の給食は今日も日本中の小中学校で出されている。想像するに、おそらくはその巨大な原料調達に伴う利権にぶら下がる人たちが沢山いて、止めようにも止めさせてくれないのだろう。 

2007.11.16

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