鳩山法務大臣が死刑執行を粛々と行っていることに関し、朝日新聞が社説だかコラムだかで「死神」呼ばわりしたことが大きな波紋を広げている。おれとしては法に定められたことを塩漬けにして行わず、こんなにもたくさんの死刑囚に拘置所の中で馬齢を重ねさせた過去の歴代法務大臣の職務怠慢の方がむしろ厳しく批判されるべきではないかと思うのだが、どうやらそうは思わない人が結構いるらしい。
ともあれかくも珍妙な「グニャグニャ人権派」とでも呼ぶしかないような社説を掲げ、そこを遺族団体とかに突っ込まれても明確な謝罪一つ寄越さ(せ?)ず、なりふり構わず身内を庇いだてし、負け惜しみみたいなことを呟くだけで至って歯切れの悪い朝日新聞をおれは大嫌いだ。いやいや、朝日は一つの例に過ぎない。おれは何一つ失うことなく、汚濁にまみれず、進歩的だとか人権派だとか何だとかに与して澄まし顔でいる連中が嫌いなのだ。
----一生腹ペコの
着のみ着のままで
陽気にブチ殺せ
ガセネタ〜タコ(あ、至福団なんてーのもあったな〜)に至る山崎春美の活動をおれは実はさほど評価してないのだけど、ピナコテカから出たアルバムの中にあった曲のこの歌詞にだけは大いに感心したものだ。その通りだ。
貧しくない左翼なんて嘘だし、罪だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おれが昔やってたバンドの初代のベーシストだったMは、元々は大学で同じクラスとなったのが縁で知り合ったのだった。
身長は170cm半ば、とおれと同じくらいなのに体重が40kgそこそこという痩身に加えて、巻き毛、そして女の子がうらやましがるほどの大きな目と長い睫毛っちゅう、見るからに繊細かつ華奢で文学青年を絵に描いたような印象を与える男だった。唯一、人並み外れて太い眉がその強靭な精神力を表していた。寡黙なヘビースモーカーで、話すときはニコリともせず冷静な断定口調で舌鋒鋭く話す。一浪してたから歳はおれより一つ上だった。
仲良くなったのはやはり、音楽の趣味が近かったせいだろう。ポップグループやワイア、キャブスなんかは彼から貸してもらったのをカセットにコピーして聴いたのが最初だ。そぉいや、あぶらだこやギズムに目を付けたのも彼の方が一歩早かったと思う。ま〜、あの頃はみんなで競ってなけなしの金でLP買っては(レンタル屋にないようなのばかりだったから買うしかなかったのだ)アタリだハズレだってやってたな。
そんなMではあったが、入学早々、当時すでに下火になってた学生運動に身を投じるような男でもあった。聞けば早くに亡くなったトーチャンもガチの活動家だったらしい。母一人子一人で育って、フツーならばせっかく大学行ったんだからチャンと卒業して、ほんでもってエエトコに就職して・・・・・・ってなるのが、そうならなかったのは親子二代の血筋ってモンだろう。
彼がどのような宗派に属してたのかは、興味がなかったんでよく知らない。赤ヘルだったから、昔ながらの全学連の流れを汲むどっかだったんだろう。なるほど、内ゲバに次ぐ内ゲバで素人目に見ても陰惨なだけの袋小路に陥ってる白ヘル系や、単にソフトな印象だけで学生におもねる代々木系、あるいはマル青同だったかな?街宣車に乗って「党中央本部に向かって敬礼〜!」なんてやってる意味不明のモノまで、他にも百鬼夜行のようにいろんなセクトがある中で、賢明な彼としてはプロの活動家になるステップの第一段階として、最もアバウトでクセのない(?)ところを選んだワケだ。
実際、彼はすぐに学内の、単にサボりたいだけの口実のような学部ストなんかとは距離を置くようになり、世の中のいろんな労働紛争や争議に加わるようになって行った。まぁ、いささか面白みに欠けるきらいはあったけど、極めて頭脳明晰で弁の立つ彼のことだからきっと重宝がられたに違いない。
おれは一文の銭にもならないそんな活動に打ち込むMに、何でそんなことに一生懸命になるんだ?と、訊ねたことがある。たしか彼が関西の名門コンフェクショナリーだったタカラブネの労働紛争のときに動員され、クリスマスセットの残りだか何だか、真空パックになった鶏モモ肉のローストを大量にもらったらしく、そのおすそ分けを持って来た時のことだったと思う。
Mは相変わらず、あまり感情を込めない、冷静かつ真面目な口調でこう言った。
----世の中の人間はつまるところ2種類しかいない。働いた以上に稼ぐヤツと働いた分だけ稼げないヤツだ。それは仕方のないことだが極端なのはいけない。
----それが資本家と搾取される大衆っちゅうことか?
----いや、それほど今は単純ではない。国家間や産業間での搾取もある。
----・・・・・・で、おまえはどないしたいのん?
----・・・・・・。
間髪入れず答える彼にしては珍しく、その答えはなかった。しかし、彼が少し恥ずかしそうな表情を浮かべたのをおれは見逃さなかった。
また冬の釜ヶ崎越冬支援だったかな?有名な西成のあいりん地区にしばらく行って来た後には面白いことを言ってた。
----若いうちは日雇いはそれほど悪くない仕事だ。
----ほぉ!珍しいな。おまえがホメるなんて。
----いや、いいことばかりではない。ヤクザのピンハネもある。
----???どこがエエねん?
----それでもさほど実入りは悪くないし、あの辺の物価は安いから十分食って行ける。それに自由だ・・・・・・ただ、元気で体力のある内は、だけどな。歳取ってからは悲惨だ。仕事にありつけなくなったらそれっきりだ。
恐らく彼には何かしら思うことがあったのだろう。無論、老人の棲家を失った路上生活者だけでなく、止むに止まれず落魄してそこに流れ着いたのではない若い労働者についても彼はつぶさに見てきたに違いない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミュージシャンとしてのMは、まったくの楽器初心者だったにもかかわらず、天性の器用さとセンスの良さで立派にリズム隊としてやってくれたし、堅苦しい活動よりはやはり楽しさもあったのだろう、とても練習熱心だった。唯一の問題は体力がないことで、30分ほどで息は上がり、弦のテンションにだんだんピックが負けてきて音が飛んだりすることもままあったが、まぁ、それはそれでパンキッシュで、バンドの色を決める重要な要素になっていた。
----イギリスではバンド作ってライブハウスに出て、それでバンドが解散すると失業保険が出る。
----ほぉ!それやったら、保険切れそうになったらまたバンド作ったら遊んで暮らせるがな。
----そんなには支給されない。
----何や〜・・・・・・でもライブ1回やってビール飲んだらギャラ終わりのおれらよりはエエな。
----そう、そんな仕組みがあるから面白い才能がイギリスからは出てくる。でも、もうすぐ改正されてなくなるから、イギリスがムーブメントの発信地となることは今後少なくなる。
音楽やってても口調だけは相変わらず面白くも可笑しくも何ともないものだったな・・・・・・(笑)。たが、彼の御託宣どおりイギリスはその後、だんだん新しい音楽の発信地ではなくなって行ったのは事実だ。
バンド初めて1年ほど経った頃、運動家として活動の方が本格的に忙しくなって十分な練習時間が取れないとかで、彼はバンドを去った。たしかすぐに後任のベースが決まらず、すでにブッキングしてた拾得でのライブを、リズムトラックを打ち込んだテープをバックにドラムはシモンズか何かを借りてスタンディングでやらせて急場を凌いだ記憶がある。
デカいことしでかして居れなくなったのなら、おれたちのバンドもあるいは裸のラリーズみたいに勇名を馳せてたかも知れないが、そうコトはドラマチックには運ばなかったのだった(笑)。
ともあれそれで別にMと疎遠になったワケではなかったので、脱退後もヒマな時にはたまに呑んでた。たぶん、それからさらに1年半ほど経った頃だと思う。おれの下宿で飲んでた時に彼はいきなり切り出した。
----今度、フィリピンに行く。
----フィリピン〜!?NPAの支援でもするんかいな?
----そうではない。
----何するねん?フィリピンくんだりまで出かけて?
----具体的には言えない。
----アブないことか?
----今は何とも言えない。
----その細いカラダで行ったらオマエ、すぐにマラリアとかコレラとかで死んでまうど。
----ハハハ、それはない。これで意外に大病したことはない。
----・・・・・・それにしても何でオマエ、フィリピンなんや?日本でまだやれることかてよーさんあるやろ?
----日本にはもはや絶対的貧困が存在しない。
やはり即座に、しかし、いつもと変わらずあまり感情を込めない、冷静かつ真面目な口調でMは答えたのだった。
「日本にはもはや絶対的貧困が存在しない」・・・・・・この言辞が撃つものは多い。国全体の中産階級化、救うべき労働者の不在あるいは怠惰、労働運動の行き詰まり、そこにぶら下がる連中の現実からの遊離と高慢・偽善、高度にシステム化して入り組んだソフトな搾取・・・・・・そんなもの一切合財に彼は失望もしくは絶望したのだと思う。
それからほどなくしてMがホントにフィリピンに行っちゃったことは間違いないが、その後は知らない。行ったっきりなのか、再び日本に戻って来たのかも知らない。もう20何年も前の話だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ザッと書いたのは単なるおれの思い出話に過ぎない。
しかし、朝日新聞に代表される、少しも自分の手を汚さずぬくぬくと資本主義の繁栄を謳歌しながら、パセティックな心情に訴えかけるだけの似非左翼をおれが大嫌いなのは、つまりそぉゆうワケなのだ、ってコトは少しはおわかりいただけたかと思う。
※附記
これを書きあげてアップしようとして、件の件がようやく解決したとの記事が出ているのに気付いた。まんの悪い話ではあるけど、それなりに奇遇のような気もするのでそのままアップする。 |