カツミ・エンドウ・天賞堂 |
左が正しいスケールモデル、右がいわゆる自由型。見事なデフォルメ。
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http://www.imon.co.jp/、http://caz77610.hp.infoseek.co.jp/より
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アプト式から粘着運転に切り替わったばかりの信越本線の真新しい線路の上を列車がすれ違う。片や華々しく非電化区間の近代化の象徴として登場した82系ディーゼル特急「はくたか」、もう片方は横川〜軽井沢間の急勾配をクリアするためだけに生まれたEF63だ。
大きな箱にはそんな写真がプリントされていた。幼稚園児だったおれはワクワクしてズッシリ重い箱を開ける。中に入ってるのは直線レール4本、曲線レール12本、パワーパック(当時はトランス、って呼んでた気がする)、そして電気機関車と客車が2両。いずれも自由型といって、実在する物をデフォルメしたものだ。たしか「ED100」なる架空の名前の付いたEF65に似せた4軸の機関車は真鍮製で非常に重く、その重さは何となくリアルの象徴のように思えるのだった。静かにレールの上に置き、元祖ブルートレインである20系もどきの客車もつないでトランスのノブを回すと、ヘッドライトを灯してそれは走り出した。ハトメのようなものを外すと上がる細い鋼線で組まれたパンタグラフ、結構やかましいメカニカルノイズ、オイルの焼ける匂い・・・・・・今でもハッキリ覚えている。
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まず最初にこれだけは声を大にして訴えたい。
----かつて鉄道模型はムッチャクチャに値段の高いものだった!!----
今だって決してお安くはないけど、そんなんとケタが違う。いやもうフツーのガキが小遣い貯めて買えるような代物では到底なかった。どれくらい高いかっちゅうと、上の入門用セットでも当時の平均的な給料の半月分以上に相当するくらいの値段だったらしい。プレステ3が売り出された当初、ソニー側が逆ザヤ承知の値付けをしてなお高い高いと騒がれたけれど、あんなんより遥かに高かったワケだ。小判型のエンドレスの上をクルクル回るだけの鉄道模型が、だよ。
当時はHOゲージといって縮尺80分の1(日本は狭軌なので、線路を共通にするため欧米の87分の1より大きくなってた)でレール幅16.5mmのものが一般的だったのだが、この世界でそれでもコストダウンに努め、比較的大衆向けだったメーカーが今回のタイトルの初めの2つ、カツミとエンドウだろう。冒頭に記したおれが買ってもらったセットもカツミ製だった。スケールモデル(実物を正しくスケールダウンしたもの)単体の値段は忘れてしまった。そもそも60年代末期から70年代半ばにかけて、物価も生活水準も毎年ドンドコ上がってった時代だから金額を挙げても詮無かろうが、細かいことは抜きにして金のかかる趣味であったことは間違いない。そんな中でこの2社が日本の鉄道模型の普及にはたした功績は大きい。ただし、その分細かい作り込み、っちゅう点ではいささか劣ったのも事実で、3つ目に挙げた天賞堂などと比べると、特にメカニカルな精密さが要求される蒸気機関車等での差は歴然としていたのだけれども。
天賞堂・・・・・・いうまでもなくあの、銀座の銘店の一つである天賞堂だ。本業は時計屋。クオリティの高いオリジナルウォッチでも有名な店だが、ここは昔から鉄道模型も生業にしており、そして昔からビックリするような値段で売られているのが特徴だ。ただしその出来栄えはレディメードの製品としては最高峰だったと思う。
ともあれ、そんな状況だから勢い自作がもてはやされるようになる。手先の器用さと根気、あとは少々の材料と道具があれば市販品を凌ぐものが作れるのだから。
当時は電車や客車についてはペーパーキット、なんちゅうのも存在した(今でもあるのかな?)。紙といってバカにしたものではない。極めて薄手でコシのある硬い上質紙と角材やバルサがベースのそれは、上級者が技術を駆使して作ると恐ろしく精巧なものに仕上がったのだ。欠点は経年変化と衝撃に弱いことくらいだろう。
本格的なのはやはり真鍮とか洋銀で作ったものだ。ディープにハマって行くと自分で真鍮板に図面をケガいてエッチングして作る、なんちゅうツワモノも現れるが、たいていは、あらかじめ切り出された部品を半田ゴテで組み立てて行くのが一般的だった。
元来そんなにマーケットの大きい世界でもなく、キット系では多数の零細なメーカーが次から次に現れたが、今でも残ってるのは一体どれくらいあるのやら・・・・・・。
ああ、この辺の話は当時の世間の一般論ね。おれ自身は結局、そこまでディープな世界に足を踏み入れることはなかった、いや、したくてもできなかった。
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個人的な話に戻る。
実のところ、そもそもおれは鉄道模型を買って欲しいなどとねだったワケではない。なんぼソリの合わない親とはいえ、ひどく冷たい言い方になってしまうのを承知の上で書くと、要は「父親が勝手に買ってきた」のだ。盛んに自慢げに「これは精密なんや」とか「他の家の子、こんなん持ってへんぞ」とか言ってたけど・・・・・・所詮、自宅は五軒長屋である(笑)。「良い玩具」と「高価な玩具」の区別がついてなかったのだろう。
最初は嬉しかったけど、そのうちそのセットにはスッカリ飽きてしまった。だって、回るだけで芸がないし、自分で線路をつなごうにもけっこう難しいし、そもそも一人で出そうとするとビービー口やかましく言われるのだから少しも面白くない。でも、まだちょっとは素直だったから「他の家の子が持ってない」ってコトがすごいことなんだと思い、優越感も抱きはしたが・・・・・・そんなことより他の子がフツーに持ってる、当時大ヒット商品に育ちつつあったプラレールの方が一緒に遊べて楽しいだろうな〜、という自然な思いの方が勝ってきたのだ。
引っ越すのと前後して小学校に上がった辺りから、大きな箱は押入の奥にしまわれたままとなって行った。
小学校も高学年になってくると、鉄道に興味を持つ子供もだんだん増えてくる。ちょうどその頃、国内から蒸気機関車が全廃になるってコトで、猫も杓子も鉄道に目が向いていたころとも重なる・・・・・・で、実際に模型を所有してる子も現れてくる。そしておれは彼等の家に遊びに行って愕然とする。
・・・・・・みんなそれなりにちゃんとしたスケールモデルを持ってるのだ。本物もどき「しか」持ってないヤツなんておれだけだった。そしてみんな大阪弁でゆうところの「ええしの子」だった。祖父が市会議員か何かのSはそれこそカツミやエンドウの電車やディーゼルカーを何両か持っていたし、叔父さんが学者でベストセラーの本を書いたとかゆうTはNゲージだったけれど、カラフルな電車を中心に驚くほど多数持ってる。
鉄道模型は欧米で「King of Hobby」と言われるそうだが、それも頷ける。ようやっとの思いで分譲の団地を買ったくらいの経済力の家の子が初めから手を出すべき世界ではなかったのだ。この点で、分不相応とも言えるセットを買い与えられ、ヘンな価値観植えつけられてたおれは、いつの間にか何ともどっちつかずな立ち位置にいたワケだ。
ここでおれも、貧しくて鉄道模型そのものを買いたくても買えない連中のように、とっととそんな金食い虫な趣味に見切りをつけ、もっと金の掛からない別の楽しみを見つけりゃ良かったのだが、ところがここからが何とも諦めの悪いところだ。ちょうどプラモデルを親から禁じられてしまったこと、また精密なレイアウトには車両よりも駅等の建物が重要なこと、そして何より安上がりなことから、自作のストラクチャー作りに熱中するようになる。駅、貨物上屋、信号所、踏切番の小屋・・・・・・いろいろな物をいろいろなスケールでせっせと作った。元々手先は器用だし、戦車のプラモデルで鍛えたウェザリング(ワザと汚してリアルにすること)はお手の物だ。
おれの作品は座敷にレール並べて走らせつつ、いつかは本格的なレイアウトが欲しいと思ってる彼等にはかなりの衝撃だったようで、その後、みんな一斉にストラクチャー作りにハマって行ったのだった。おかげでみんな近視がひどくなった(笑)。
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しかし、死ぬほど金のかかる趣味としての鉄道模型はこの頃から急速に退潮して行く。大きさ約半分で比較的安価なNゲージ(150分の1、レール幅9mm)の急速な普及である。
鉄道模型はそりゃ飾って楽しむっちゅうのもまぁあるけど、やはり走らせてナンボ、それもリアルに作られたレイアウトを走らせてナンボ、である。そうなって来ると1両が25cmもあるHOゲージでは、よほど大きな家に住んでないとマトモな大きさのレイアウトを作ることができないのだ。最低でも6畳一間をすべて費やすくらいの覚悟が必要だ。
一方で世の中は核家族化が進み、団地やマンションが増えた。間取りなんてせいぜい4LDKだ。いくら高所得な家でも転勤族だったりすると、そんなモノにうつつを抜かせるだけのスペースを確保することは無理な相談だろう。
加えて、小さいがゆえにあまりHOほどに精密なディティールを求めるべくもないから、プラボディの一体成型でもそれなりのものが作れる・・・・・・つまり安い。上記Tはお金持だったけど、それでもNゲージだからこそ、かくもたくさんの車両を買ってもらうことができたワケである。
所謂ナローゲージ(HOn1/2、小さなトロッコ等をモデルにしたもの。Nゲージを流用しながら縮尺はHOゲージ)がこの頃から大流行したことも、日本の住宅事情が大きく横たわっていると思う。精密に作り込まれたディティールで、省スペースなレイアウトが作れちゃうのだから。
こうして重厚長大なHOゲージは、本当に限られた一部の財力ある好事家たちのものとなって行った。実はこれが本来の姿なのだろう。
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再び個人的な話だ。
中学に上がると同時に猛烈な受験勉強が始まったことで、おれの鉄道模型熱はそこで終わる。とにかくこれに取り組むには、財力と手先の器用さに加えて、多大な時間も必要なのだ。それにおれはかなりの鉄道好きだけど、どちらかっちゅうと実際の風景を見たりする方が好きだし、家に籠ってひたすら緻密な作業にばっか没頭するのが正直しんどかったことも白状しておこう。
その後忘れた頃に、散発的に鉄道模型への情熱は甦るが本腰を入れて取り組んだことはない。
思えば今こそが・・・・・・すなわち実際の鉄道風景からおれの大好きな事物が、いや、それどころかそれ自体も失せ、一方でちったぁ高価なものでも何とかやりくりして都合がつくようになった今こそが、たぶん鉄道模型にハマるべき好機なのかも知れない。しかし、相変わらず自由になる時間は少ないし、眼も近くがおぼつかなくなってきた。それに他にやりたいことが一杯だ。
つまり、これから先も時機は到来しないってこっちゃね(笑)・・・・・・何やねん、オチになってへんやんか。
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手先の器用さはウソぢゃありません。東京に越して来てからふと思い立って作った、温泉をテーマにしたHOn1/2のパイク。完成直前の様子。
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2008.04.28 |
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----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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