パクリ、田舎の商店の光景 |

煙硝とはこれのことです。2B弾についての画像は発見できず。
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http://www.tnc.ne.jp/oasobi/index.htmlより
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カミュの代表作「異邦人」は不条理小説であると言われる。
有名なくだりはやはり、主人公のムルソーだったかな?男が「太陽のせい」とアラブ人の男を射殺するトコだろう。読んだのがずいぶん昔なので、細かいストーリーを忘れてしまったが、実際はちょっと正当防衛っぽくなかったかしらん?それに理由は法廷での陳述に出てきたような記憶がある。
ともあれ中学生くらいだったおれの読後感は「な〜にが不条理やねん!?アホ」だった。不条理、っちゅうのは論理的な整合性がない、っちゅうこっちゃろ?つまりリクツが通らん、っちゅうこっちゃないか。どこが通ってないねん!?どこが!?みたいな。
夏の太陽のクラクラする陽射しの下の倦怠と殺意の間の関係は、当時のおれにとっては自然に了解されることだったのだ。
根っこの部分でおれは犯罪者体質なんだ、ってどこか諦念に満ちた自覚がいつからかある。教えられたわけでもないのに、「禁忌は破るべきものだ」と幼い頃から思ってたし、向上する努力の苦しみと快楽と、堕ちて行くそれらは実は同質のものであることも感覚的に何となく初めから分かっていた。ベクトルは違えど量はいっしょだ、と。
ただ、こういった性向は殊更おれにだけ備わった特別なものではない。前頭葉が未発達な子供においては、善悪判断よりも快楽原則の方が優先されることはさほど驚くには当たらないことだからだ。問題はむしろ、そのことをおぼろげであるとはいえ自覚的に捉えていたあたりにあるような気がする。
これまでもちょっとしたガキの頃の悪事については、懺悔の意味も込めつつ触れてきた。で、今回はいわゆる「万引き」っちゅう行為についてだ。
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どっちが最初に誘ったのかはもう忘れた。小学校3年のときに同じクラスになったOとおれは仲良しになったのだったが、川で魚を釣るのにも、カエルをつぶして餌にしてザリガニを取るのにもじきに飽きてしまった。おれたちはとにかく刺激------いわば良く言われる「ひりつくようなスリル」を欲っしていたのである。
旧街道に沿って細長く開けた村には2軒の商店があった。1つは軒の重い古い田舎造りで、酒や灯油なんかも商う大き目の店で、暗い店内の片隅に菓子類や2B弾、煙硝(赤くて細い紙の短冊にツブツブと火薬をつけたもの)なんかが並べられていた。もう1つは食料品店で、アイスクリームと一緒にラップの内側にビッシリ霜が張った文化サバのパックが冷凍ケースの中で同居してるような、いかにも野暮ったい「総合食料品店」だ。そこも入ったところに駄菓子その他が一通り並べられていた。
つまるところ申し訳ないけど、まぁ、何ひとつ所有欲を誘う商品は置いてなかった店、ってことだ。世の消費は個人商店からスーパーにシフトし始めてた頃で、どっちの店もやや衰退気味だったのだと思う。
手口はカンタン、っちゅうか素朴そのもの。店に人がいることなんてめったにないのは初めから分かってる。一度前を通り過ぎながらさりげなく店内を覗いてそのことを確認すると、一人が店の前で見張りをし、もう一人が手当たり次第に駄菓子その他をポケットやカバンに詰め込む、と、それだけ。あとは一目散に逃走。以上・・・・・・手口にもなってないな(笑)。
犯罪者は犯行現場に舞い戻るの鉄則か、小1時間後、おれたちは大胆にも店からさほど離れていない村の小さな寺の境内でぞんざいに菓子類の袋を開けて鳩に食わしたり、火薬関係を束にして火をつけたりして、大半は投げやりに捨てられるのだった。
不思議なことに、やってることはただの万引きなのに、おれたちはそう呼ぶことに抵抗があった。だから「パクリ」なんて隠語まがいの呼び方をしていた。当時は上手く説明がつかなかったけど、今なら分かる。そのコトバに付きまとう前時代的な「貧困」のイメージや、そして貧困⇒窃盗、っちゅう「雨の降る日は天気が悪い」と大差ない平板な二段論法の論理性といったものに、たまらないほどの鬱陶しさを感じ取っていたのだ。
おれたちは盗るために盗った。それは遊びの一環だった。2人とも金持ちの子供とはお世辞にも言えないものの、別にモノに不自由しているワケではなかったのだから。
貧しいから奪う、盗む、騙す、あるいは春を鬻ぐ。
憎いから暴力を振るう、陥れる、あるいは殺す。
・・・・・・バカバカしい。そんなの当たり前ではないか。話は脱線するが、「夫婦が不仲だから不倫に走る」なんてーのも似たような思考回路だろう。実にクダらない。
論理的な目的や理由のない悪事だからこそ快楽だったのだ。後年に到って、オスカーワイルドだったっけ?「幸福はいらない。快楽が欲しい」ってアフォリズムを知った時、おれは激しい共感を覚えたものだ。
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ともあれ、この退屈しのぎのパクリは断続的に1年半ほど続いたと思う。狙うのはほとんどその2軒の店ばかりだった。他に監視の目が光っていない店もナカナカな見つからなかったのである。だから獲物はまったく変わりばえしなかった。シケた話だな。
おれたちの犯罪欲(?)はだんだんエスカレートして行った。無賃乗車であちこちに出かけてたこともあって、一度「スリ」ってヤツも試してみたいもんだな〜、などと呑気に相談してたのだからしょうがないガキ共だ。それを実行に移すことなく済んだのは、技術的にそんな簡単に出来そうにもないってコトが分かったことに加え、やれなくなってしまったからである。
要は捕まったのだ。
終わりは呆気なかった。大体何事もそうだが、同じことを繰り返すと次第に慎重さが欠け、やり方が手抜きで雑になってくる。「初心忘るるべからず」っちゅうこっちゃね。
基本は走って逃げることなのにその内、チャリを店の前に停めるようになっていた。小学校の名札を外しておくこともしばしば忘れるようになった。入る前の確認も見張りもおろそかになっていた。そうして、ある日いつものようにお菓子だの2B弾だのパクってる所を店の奥から出てきたオバハンに取り押さえられたのである。名札見られたら観念するしかないわな。
センセが呼ばれ、親が呼ばれ、ひとしきり大騒ぎになった。おれたちは刺激的なゲームが終わったことを思い知らされた。幸い警察に通報されることはなく、うなだれながらおれたちはその日、それぞれの家に戻ったのだった。
帰宅した父親にはてっきりブン殴られると思っていたら、意外や意外、何も言われなかった。ただ悲しげな顔していた。無論、ドツき倒して言いたいことはいっぱいあったに違いない。
おれは父親のことをかなりボロクソにエッセーで書いてるし、実際どうしようもないところがたくさんあるけど、ひじょうに謹厳実直で生真面目な性格であることは間違いない。そんな彼にとって、自慢の息子(笑)が悪事を働くなんて!・・・・・・と、よほどのストレスだったのだろう、その時を境に急に白髪が増えてしまった。
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あれからもう30年以上が経った。
今のおれはもう自覚的に悪いことをしでかすことはない。そんな気が失せたのだ。仕事自体が常識や規範を破るようなことを求められる(・・・・・・ったって、いずれも小さなものだけど)性質のモノであったことも救われた一因と思ってる。幸いなことだ。また、以前に書いたかもしれないが、社会から遊離したい、ってどうしようもない気持ちを、何とか「旅」って代償行為で抑制する術も知った。ホームページの作成も肉体的にはキツいが、メンタリティに対しては同じような作用があることを感じる。もちろん、理性がガキの頃から較べりゃそれでも少しは発達して、間尺に合わないことを判断する能力ができた、っちゅうのもある。
だから今は落ち着いたもんだ。
数年前、息子が友人たちとツルんで万引きやってとっ捕まった。血は争えないというべきか(笑)。ただ話を聞いてみると、7〜8人の仲よしグループで首謀者数名に付和雷同してついて行っただけらしい。カーッ!いささかそれってシャバいよなぁ〜。
ともあれ、どうしておれに叱り飛ばす資格があろう?てっきりドツかれるものと思ってそわそわと上目遣いでおれを見る息子の姿に、昔の自分の姿がダブって重なるような気分を味わいながら、おれは、禁忌を破ることの快楽を認めつつ、社会秩序の遵守の重要性について諄々と話すしかなかった。
ちなみにおれの白髪は一向に増えなかった。相変らずどぉしようもねぇオッサンだな、おれは。 |
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2007.03.10 |
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