7月31日 |
昼頃から部屋を片付けて3時半に酷暑の京都脱出。途中八幡市の橋の上でガス欠起こして半泣き。それでもともかく会社に到着。荷物を降ろし、そのまま紹介してくれた人に連れられて酒飲ましてもらうわ焼肉食わしてもらうわ、で、すでに11時。
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8月4日 |
初日、桜ノ宮近くの環状線が見える小さいビル。その屋上で私(※註 当時は「私」と書いていた)は、「舟」と呼ばれる大きなバットで一日中セメントをこねては、それをロープに結びつけたバケツに取って、屋上から壁にぶら下がる職人さんに降ろして渡していた。彼はザイル一本で足場もないところを器用に下りながら作業をしている。強風のときが非常に怖いそうだ。「壁の上を走るんや!」と聞かされた。
次の日、南海の堺東駅前通りの眼医者。ドリルで穴あけ。その足で本町の10階建てのビル。屋上の一番端でゴムシートを押さえさせられて足すくみましたわ。
そして今日は泉佐野駅近くの産婦人科のビル、天気悪く仕事はほとんどなし。その足で午後は芦屋の小さなマンションへ・・・・・・ずっとこんなんだったら1日8千円はボロ儲けだろうな。
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8月6日 |
昨日・今日と私の卒業した高校に近い堺市内の中学校の外壁工事。明日もそこのはずだ。昼食の高くつくのがやりきれない。昨日はざるそばとサラダだけで700円もした。思うに「大衆食堂」とか「めし」の看板のある店の方が値段が高い上にまずい。京都の学生食堂の感覚で捉えちゃ良くない、と分かっていてもそれでも高い。
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8月7日 |
「O防水工業」の社員は社長以下十数名、3階が宿舎、2階が事務所と会議室(といっても、朝礼以外使ってるのを見たことがない)、1階が倉庫となっていて、小さいが、きれいな会社だ。
営業や事務担当は社長を含めて2人、あとは全員職人さん。ひょっとしたら出払ってる時間に女子の事務社員とか来てるのかもしれない。
みな、よく働くことこの上ないし親切にしてくれるので、私は楽な仕事ばかりであるが、拘束時間自体は長い。だいたい7時前に出発して7時過ぎに帰ってくる。そっから片付け。残業代とかややこしいものは一切なしの一日ナンボ。夏はかきいれ時なので今の休みは月に2日。仕方ないとはいえ、よく文句が出ないものだ。完全に日給制なので、冬はヒマで給料が減るのだそうな。
かなり歳を取った職人さんがいる。夕方、現場から戻って作業道具についた樹脂をバーナーで焼きくのを手伝ってると、色々話をしてくれた。とにかく篤実、というか温厚な人で、独特の訥々とした調子で語る。話の内容がスゴい。昔、オンボ焼きをやってたのだという。つまり火葬場だ。・・・・・・で、死体を焼いたときにどーしたこーしたといったことを、淡々と、驚くほどの静かな調子で聞かされた。オンボは普通人から忌み嫌われる商売だ。それが証拠に、瓜破に行くと大きなマスクと黒眼鏡、深く作業帽をかぶって彼らは仕事をしてるではないか・・・・・・まぁそんなヘヴィな話を、別に威張る風でも奇を衒う風でもなく話してくれた。
も一人、年寄りの職人さんがいる。牧冬吉を押しつぶしたような顔と体型で、頭は見事に禿げている。動作や仕事が少し鈍く、何を言ってるのか良く分からないが、親切な人である。でも、ちょっと他の同僚たちから軽く扱われてる気がする。
この2人は、毎日誰よりも遅くまで残って仕事をしてるのに、少しも目立たず、注意してないと居るのか居ないのか分からない。世の中とは、当然ながら、不公平なものだ。人が集まればそこには階級が発生する。 |
8月10日 |
昨日・今日と現場で2日続きの鉄板事故があって怖ろしい限りである。タタミ一枚くらいの大きさの7〜80kgのヤツが振ってくるワケだ。当たれば100%確実に死ねる。ヘルメット(あのドカヘルね)、あれって「へっちん」と呼ぶのだけど、アレは要するに足場を歩いてて、鉄骨等にコツンと頭をぶつけてケガをしない、そんな役にしか立たない。
太陽のカンカン照り付ける現場での作業、軽作業ではあるが相当のエネルギーの消耗を伴うらしく、どんなに食べても体重は68kgのままである。1日が終わると、ズボンにもシャツにも真っ白に塩が浮いている。使用するのがたいてい有機溶剤なので、肌に直接付こうものなら一発でかぶれる。エポキシは強いのだ。加えてアスベスト、石綿ですな、これがまたえらく発癌性の強い物質らしいが、粉末状の物を使うから吸い込まないようにするのが大変。さらにはドリルでの壁へ孔あけて、エアガンでコンクリート粉を吹き飛ばしたりもするから肺がやられそうだ。もう、プロレタリアートそのもの、って感じ。 |
8月11日 |
阿倍野斎場の交差点をやや下って西に入ったところの女子高。当たり前だけど女の嵐。男1に対して女100くらいいた。夏休みだというのにクラブで来てるのだ。右向いても左向いても中1から高2までの少女だらけ。頭がクラクラする。大体私が塾で教えてるのと同世代なのに、ナゼかみんなすごくガキに見えた。
で、今日の現場は校舎の屋上の周囲。下見ると今書いたとおりで、上は私を含めて3人。生まれて間もない娘と妻を抱えた元ヤンキーで暴走族(今でも見た目はモロヤン)の20歳の職人と、最近はいつでもいっしょに仕事させてもらってる、若い時分は魚市場でマグロ運んだり、タコ茹でたりしてたという30過ぎの職人さんである。若いニーチャンは、女子が着替えてるのに見とれて落っこちそうになってた。
必要量の3倍も材料持ってってしんどかった。日々はもはや区別のつかないほどに8月の暑い陽射しの下でかすんでいる。 |
8月12日 |
昨日書いた20歳の職人さん運転のクルマで行ったのだが、さすがは元暴走族(本人曰く、日韓連合の門真支部長だった、とのこと)、ものすごい運転をする。後ろ向いたままハンドル切る。ムチャクチャなギアミート、割り込み、蛇行の実演・・・・・・。いっしょに乗ってて少しも退屈しない。いつか事故りそう。くだらないジェットコースターよりよっぽど面白い。停まり方でも気合が違う。カクン・カクン・ガッコーン、って。
しかし、親切で面倒見の良い人で、私の失敗や仕事をすごく助けてくれて申し訳ない。顔はいかついけど。
彼には特技がある。とにかくもうパンツ見えてる女の子を見つけるのが上手いのだ。いやもうそれしか考えてないのではなかろうか?日に最低2人は見つける。これはどう考えてもスゴい。「お!アイツ見えとるど!!」・・・・・・本当に見えてる。そしてやおらクルマのウィンドウを下げると、「おい!ネーチャン、パンツ見えとんどぉ〜っ!!」渋滞してようがなんだろうがお構いなし。そういやパンツに見とれてチンチン電車に接触したな。 |
8月18日 |
盆前に近所の焼肉屋で会社一同で飲んだ。そのまま実家へスクーターで帰省。昨日の夕方こっちに戻ってきた。盆までの給料、96,000円也。梅田の楽器屋で10万円のタルボの新品がナゼか12,800円で売られてたので購入。不思議なギターだ。
今日から多分8月末まで入る現場は、市バス守口車庫近くのマンション。何と15階建て。阪神高速や淀川、京阪電車が細く見え、遠くには大阪城も望まれる。屋上はおよそ3,000u、これを3人だけでやろう、ってんだからパワーやな。 |
8月23日 |
非常に天気が悪く、「これなら仕事はラクやろう」と思ってたら、予想(期待?)に反し、シルバーコート20缶屋上まで上げさせられた。重かった。明日も20缶、イヤになるね。 |
8月24日 |
未明、土砂降りの雨の音で、「今日は休める」って気持ちと、「あ〜、8,000円が・・・・・・」という相反する気持ちが、ウトウトしながらも湧いてきた。
同じ現場に続けていくのはダルくて、勤労意欲も失せるというものだ。 |
8月26日 |
先日までは黒くて汚かった屋上は大方、スキー場のゲレンデのごときギンギラギン。強烈な照り返しのために所謂「土方灼け」が一層進み、手と顔だけ真っ黒。サングラスかけてないとほとんど眼も開けていられない。私は一斗缶に入った塗料をミキサーで混ぜては運び、合間に塗り忘れとかムラとかをチョコチョコと小さな刷毛とローラーでもって塗る。しんどくて面倒で退屈。
仕事が済むと、手や顔には銀色の飛沫がいっぱいでシンナーでないと落ちない。真っ直ぐ歩けないくらいに疲れる。食事のパターンも決まってて、朝は吉野家の朝定食(納豆)、昼はうどん、夜は会社のすぐ近くの大衆食堂(ここはナカナカに安くてウマい)でおかず3皿に中ライス。それから風呂行ってビール飲んで、タルボ抱えて思わずP−Model弾いたりして、後はこの日記書くだけ。
ちなみにこのメシ屋の3軒となりが酒屋で、ひどく立ち飲みスペースが大きい。そこがまぁ、これもう、全体から「場末の匂い」を漂わせたような店で、実に渋い。店内はすすぼけて、非常に雑然としてる。何でか知らないが、ちゃーんとチャチではあるけど一品料理が色々あって(メニューやお品書きなんてない)、枝豆、ゆで玉子、イカ天、イカの造り、スジ煮、イワシ煮、カシワ等々、これまた泣かせてくれる。以前バイトしてた酒屋も無論、立ち飲みはできたけど、さすがに一品料理まではなかったな。ともあれ本当に、「日々の労働」と表裏一体になって、その店はある。 |
8月30日 |
とうとうアルバイトは終わった。手許には10万と少しの金がある。食った食った飲んだ飲んだ。10分前まで1号線を西に行ったうどん屋で、私の全然知らない某氏の送別会とかで刺身は食うわ、うどんすきは食うわ、ビールは飲むわで、挙句、私まで一言挨拶させられた。
何か、バイトもなんも分け隔てなくていいなぁ、と思った。 |
8月31日 |
起きると頭がガンガンした。洗濯を済ませ、部屋の中をチョネチョネとコピー刷毛で掃いて片付け。白々した陽光の入るただの空間に戻った部屋を後にした。 |