京ノ河原ニテ死ニカケタルコト |

たいへん貴重な1950年代の出町柳駅前の画像。
ちなみにおれが京都にいたのは80年代半ば頃っす。念のため。
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http://www.nihonkai.com/onokoho/index.htmlより
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夏ともなればカップルがずらぁ〜っと等間隔で並ぶ鴨川は、今出川通の北方で賀茂川と高野川という2本の川が合流して名前が変わったものである。その合流点を出町柳という。2本の川をまたぐ橋がかかっており、その下の河原はちょっとした公園っちゅうか緑地になってる。今でこそ京阪電車が延伸されて結構拓けてきたが、昔は終点が三条だったので、鞍馬や八瀬に向かう叡電、こと叡山電鉄のちっさな駅だけがぽつんとあるところだった。
どぉゆういきさつでそぉゆうことになったのかは忘れてしまったが、まぁ、受験から開放されたのと、全国から集まった連中が縁あって同じクラスになったってコトで、平たく言うと親睦を深めよう、ってことだろう。大学に入った年の6月、その河原でバーベキュー大会が催された。クラスのほぼ全員が集まったので参加者は40名近くいた気がする。
当時は今みたいにバーベキューコンロなんてないし、ディスカウントショップで炭が山積みになってるってこともなかったので、下宿の大家さんあたりから借りてきた七輪が数台、米屋で調達してきた30kgの炭、あとは一人当たり500gなどと、経験不足モロばれの見立てで買い込まれた膨大な量の肉、それに野菜、そして尋常でない量の酒が河原に運び込まれたのだった。
尋常でないって、いったいどれくらいあったのかっちゅうと、ロング缶のビールが5ケースつまり120本、日本酒が7〜8升、ダルマが2本・いいちこが2升に、あとは樹氷かなんかくっさい酒が2リットルほどと無数のジュース・・・・・・大体そんな感じだったと思うが、たとえ40人で均等割りで飲んだとしても、これはかなりの量である。
それもこれも、ついこないだまでは受験勉強にいそしんでた青臭い高校出たてゆえの、アタマでっかちの無知によるものではあった。無論、おれ自身も含めてだ。いや、おれが一番のアタマでっかちの無知だった。
6月の関西は夕方になっても明るい。梅雨時だったにもかかわらずお天気にも恵まれた。宴は定刻どおり始まり、和やかに進む・・・・・・ワケもなかった。この酒の量で飲みなれてない連中ばっかしだ、あちこちで泥酔者が続出したらしい。らしい、っちゅうのはおれ自身も途中からさっぱり記憶がないのだ。
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眼が覚めると、ぜんぜん知らない部屋にいた。夜明け前らしく薄暗いその部屋の中には、机や本棚、ビニールの衣装ケースといったいかにも学生下宿といった感じの調度が並んでいて、床には毛布を頭からかぶった男が寝ているのが分かった。自分の体が何だか全身湿っていて、ドブのような異臭がするのも分かった。そういえば川に入ったか落ちたかしたような気がするが、すさまじい二日酔いの不快感と睡魔で、ここがどこか、寝てるのは誰なのかさえ考える気が起こらず、そのまま再び眠ってしまった。気絶に近かった。
次に目覚めたのは猛烈な吐き気によってだった。起き上がってはみたものの、トイレに駆け込もうにも、まったくここの下宿屋の間取りが分からない。待ったなしのおれは窓を開けた。
ド近眼のおれにも鴨川べりの二階にいることが分かった。下はおそらく川端通だろう。しかしそれより先に気づいたものがある。下の瓦屋根の上にぶちまけられた、カラフルな焼ける前のお好み焼き、っちゅうかもんじゃ焼きみたいな吐瀉物だ。よけいに気分が悪くなっておれはその上に吐いたが、胃液しか出なかった。喉が熱い。
セルのでっかいメガネは寝ていた枕元に転がっていた。部屋の戸を開けると半畳ほどの踊り場で、正面にも扉がある。おそらく2階は二間だけなのだろう。ハシゴのような木の階段が階下に続いていて、とりあえず水を飲みたいおれはワケの分からないまま降りていった。相変わらず全身湿っぽく、藻のような匂いがする。
階下の水道で水にありついて、一息ついて部屋に戻ると、物音に男が起きていた。細身で、だいたいおれと同年代だろう。全然知らないヤツだ。おれは言葉に窮した。どう考えたって、おれは酔いつぶれてこの男の世話になったことは間違いない。オマケに全身ドブの臭いのするずぶ濡れのままで、ベッドを独占していたのだ。
バツが悪そうにしているところに、最初に声を発したのは男の方だった。
--------お〜、生きてた〜?ダイジョーブかいな?
--------あ、ああ、オカゲさんで・・・・・・で、え〜っと、ジブン(大阪弁で「アナタ」のこと)はどちらさんでしたっけ?
--------覚えてないん?
--------あ〜、ま〜、申し訳ないけど、全然・・・・・・スマン、何かこんなんで泊めてもうたみたいで。ベッド、濡れてもたと思う。
--------いや、それはエエんやけど・・・・・・ま〜、ムチャクチャ酔うてたもんなぁ。ジブン、もちょっとで死ぬトコやってんで。
--------はぁ〜!?
--------いやな・・・・・・
・・・・・・話を総合するとこうだ。
男の名はM君、学部こそ違うが同じ大学で学年も同じ。たまたま昨夜、酔っ払って出町柳を通りかかったときに全員が泥酔してほたえまくる集団を見つけた。面白そうなので見に行ったら、たまたま高校が同じだった女の子がその中にいたので、そのままなし崩し的に合流しちゃった、と。
その時のおれたちはホント、キチガイみたいになってらしい。おれは、っちゅうと、これがもういっちゃんのキチガイで、手当たり次第にみんなを捕まえては大笑いしながら鴨川の中に入っていって暴れまわっていたそうな。まごうことなき阿呆の所業だ。
そうして動けなくなったおれは、何人かに引きずられてそこから最も近いM君の下宿に担ぎこまれたのだった。
ベッドで引っくり返ってるおれを尻目に、M君はM君で泥酔して一人で部屋の中で踊ってたらしい。そこにたまたまシラフの彼の友人が数名尋ねてきて、おれの異変に気づいたのである。
息をしてなかった。いわゆる「急性アルコール中毒」ってヤツだ。体温も下がり、脈もほとんどなかったという。人事不省、っちゅうか平たく言えば、九分九厘「死んでた」のだった。
その数名で毛布で包んで暖めながらしばらく人工呼吸をしてたら、急に意識が戻って、起き上がるなり窓辺に走っていって吐いたのだという。それから何杯も何杯も水を飲ませては吐かせ、で、ようやく「普通の泥酔者」に戻ったとのことだ・・・・・・。
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毎年、新入生の季節にはイッキのやりすぎによる死亡事故が跡を絶たない。いろいろ些細な幸運の積み重ねで、偶然おれは死なずに済み、三面記事を賑わせることもなかった。もし、同級の彼女が出席してなかったら、M君が通りかからなかったら、彼の下宿に友人たちが訪ねてこなかったら・・・・・・おれは間違いなく死んでいただろう。自分が何となく生かされた存在なんだなぁ〜、と殊勝なことを思い始めるようになったのはこの頃からかも知れない。
そうしておれはこの一件をキッカケに暴飲を止め・・・・・・ることもなく、それからも狂ったように飲んでは、あちこちでさまざまな不始末・迷惑・不義理・ご乱行の限りに及びながら今に到っている。決して人にネチネチ絡んだり、暴力とかを振るうタイプではないのがせめてもの救いだが、それでも十分に恥ずかしい話だ。へううう。
ちなみにこの下宿や、M君の出た高校というのを巡っては、まだ他にも面白い偶然があるのだけれど、そこまで書くといささかあざといので止しておこう。 |
2006.11.16 |
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