「通知簿」っちゅうてたっけ?「通信簿」っちゅうてたっけ?はたまた「通知表」やったかな?・・・・・・おれの記憶では「通知簿」なんだけど、判然とは思い出せない。ともかくあの、学期末ごとにおごそかに渡された、成績や行動についての評価シートみたいなモンだ。
おれはコイツが大キライだった。成績が悪いからではない。学業成績については、ヘタな謙遜はよけいやらしいので端的にゆうと、メチャクチャに良かった。
学業だけではない。知能指数なるものがあるけれど、小学校に入ってすぐ受けさせられたそれで、なんでもおれは150だとか60だとか、周囲がかなり驚くような結果出したらしい。ガッコでセンセからそぉゆう話を聞かされたと、おれはオカンから半ば困惑したような表情で聞かされた。その困惑の根拠は詰まるところ、それまでの日常のおれの奇矯な言動にさんざん悩まされてきたゆえのものであったので、母親の直感は極めて正しかったような気がする。
犯罪者に知能指数の高い者がひじょうに多いのは、統計的に事実なんだそうな。高い理解力や記憶力、計算能力、直覚力と引き換えに、公徳心やモラル、社会常識といった面での能力を欠落させるのだろう。そこに到る回路は案外単純で、畢竟「デキる」がゆえの選良意識・達観・虚無・疎外感・孤独感のなれの果てだ。ミもフタもないけど、そんなところだ。
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それで通知簿。
今から思えば、ありゃまことにケッタイな代物で、そもそも評価の体をなしていなかった。最初の頃はそれでも、良〜普通〜ダメの三段階だったから、まだちょっとは評価らしくもあったのが、小学校3年あたりからだろうか、二段階になってしまったのだ。
建前こそリッパで、「できています・もう少し努力が必要です」などの評語が添えられていたように思うが、おためごかしはともかく、実態は「○」か「×」なワケですよ。オール・オア・ナッシング。そんなのは烙印」と呼ぶべきものだろう。少なくともガキ共はみんな、上手く言葉にはできないにせよ、そうゆう風に思ってた。
左半分を占める学業は前述の通り優秀だったのだけれど、右半分の上2/3ほどにある、生活態度やったっけ、要は行動評価、あれがおれは最悪だったのだ。み〜んな「もう少し努力が必要です」ばっか・・・・・・つまりは「×」。
どんなやっちゃねん!?と自分でもツッコミを入れたくなるような惨澹たる結果なのだ、いつも、いつまでたっても。何かいい方に○ついてたのは、2項目くらいしかなかったような気がする。
おれは学期末の度に、己が人格の偏頗をトコトン思い知らされ、傷つくのだった。
問題があるなら治さなくちゃいけない!!
理の当然であり、フツーはそう思うだろう。おれもそう思った。しかし、そこはほれ、人格の問題。「三つ子の魂百まで」「栴檀は双葉より芳し」っちゅうヤツで、治るワケがない。
・・・・・・と、今ならそう思うが、当時はそこまで思いが及ばなかった。だから一応はいろいろ努力(?)しようとしてみたのだが、そもそもどう努力すれば治るのか分からないし、あがくだけで結果が出ないと何ともストレスがたまる。勉強には教科書やら問題集やら参考書があるのに、こっちの生活態度についてはテキストの一冊もない。努力してダメなら開き直るしかない。したがって、いつまでたっても「×」だらけ。
おれは不思議だった。何でみんな易々といい方にばっか「○」がついてるのだろう?否、不思議どころではない、むしろそれは恐怖に近い感情だったように思う。
自身の社会性のなさの根本が、そこで、みんなが「演じてるんだ」って当たり前のことにちっとも気づかない点にあったのは、無論、言うまでもない。
裏表のある性格は少しも悪いことではない。社会生活を営んでいく上で必要不可欠のものだ。裏表なしにいい方に「○」ばっかつくヤツがいたら、それは歴史に残る聖人君子か、単なる痴れ者のマヌケに過ぎない。その簡単な事実に思い至らなかったのだから、やはりおれは一面においてとことんバカだった。平衡を欠いていた。
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あの頃にもう少し正しく気づいて、裏表をシッカリ涵養し、演技を覚え、社会や人付き合いにおけるストレス耐性を上げて、ついでに腹芸の一つでもマスターできてりゃ・・・・・・平たく言えば「我を抑えてウソをつく」訓練をしておれば、ここまでの来し方もう少し苦労しなかったに違いない。しかしいかんせん貴重なチャンスを、上に述べたとおりのまことにズレた発想で喪ってしまったおれは、肥大した自我を抱えたままで相当いびつな大人に育ってしまったようだ。一言で言えばコミュニケーション障害者だ。
長じて運転免許を取りに行くと、運転適性検査、なんてモノを受けさせられる。結果はもう言わずもがな。おんどら!ボケ!コラ!わしゃ吉外かよ!?ってカンジ。要領の悪いことに、原付〜自動二輪〜普通四輪と愚直にステップアップしたものだから、何度もおれは国家権力から念入りに狂人扱いしていただいたことになる。ったく、ありがたくって涙が出らぁな。
会社に入ると今度はSPIとかゆう知能検査だ。おれは入社して何年か後にその結果の中身をコッソリ教えてもらった。実はちょっとは改善されたかな?などとゆう甘い期待もあったのだが、これがもうまったく見事なほどに小学校の延長線。ちょっとも進歩してない。
言語能力がどぉの、数理能力がどぉの・・・・・・と、要するに学業面は全部出現率が2%の枠の中に納まって、数百名の被験者中で1位な一方で、性格検査の偏差や文言を読んでわしゃ泣けました。小学校の通知簿の生活態度の記述より、表現がまとまった文章になって精緻な分、何だかもうボロクソに書かれてる。要するに「変人で組織に向かない」みたいに・・・・・・はぁ〜・・・・・・当たってるやんか(笑)。
その後も似たような検査を受ける機会は何回もあったが、結果は推して知るべしだ。そうこうしてるうちに不惑も過ぎた。孔子先生の言うとおり、惑ってちゃ、もうダメなのだ。諦めて折り合いをつけて行くしかない。
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子供たちがもらってくる通知簿を見ると、今でもあのクダらない「生活態度」ってヤツは、手を変え品を変えシッカリ生き残っている。牛点描法よりもしぶといかも。
兄妹それぞれ評価はバラバラだ。「×」の方についてたからっちゅうて、当然おれは「治せ!」なんてことが言えた義理でもないし、また、言うべきでもないので、「ま、正直なだけやったらアカンねんで〜。それに、上手いことやれば悪い言われてるんもエエ風に取ってもらえるねんで〜。」くらいにしてる。
・・・・・・豚児共がその真意を理解してくれてるかどうかは分からないけど。 |