「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
タミヤ・ハセガワ・フジミにレベル(U)


ハセガワのメッサーシュミットの箱絵(残念ながら1/48のもの)


レベルのユンカースの箱絵(これも残念ながら1/48のもの)


フォッケウルフの箱絵(1/32だが、記憶と違うなぁ・・・・・・)


 プラモデルで戦車が一段落して、次に行く方向はいろいろなケースが考えられる。

 戦争モノの延長で船・飛行機、逆にミリタリーに飽きて城とかクルマ・バイクとか、あるいはプラモデルそのもを引退して鉄道模型やラジコン、模型作りそのものに飽きてモデルガンとか十人十色だ。しかし、おれはごく穏当に飛行機に向った。
 船はどれみてもいっしょに見えるのと、1/700とか、あまりに縮尺が小さいがためのディティールの甘さがどうにも馴染めなかったし、身の回りのクルマやバイクにはなぜか興味が湧かなかった。

 飛行機、といえば忘れられないブランドとして「レベル」がある。ドイツかどっかのメーカーだと思うが、精密なスケールモデルの元祖的存在らしい。飛行機では第一次世界大戦の複葉機だとか、帆船だとか、ハーレーの改造チョッパーだとか、国産にはないバタ臭いラインナップが特徴だった。
 しかし、おれが飛行機に向い始めた頃、すでにここは国産の技術水準向上の前にいささか押され気味で、小学生の眼から見てもバリの異常な多さや、噛み合わせの悪さ、ランナーへの部品の並べ方の芸のなさ等、かなり粗雑で大味な印象があったのも事実だ。
 特に、ランナーへの部品の並べ方はひどく、国産が箱の寸法一杯の四角いランナーに整然と並べているのに較べると、お話にならない状態。箱振るとガサガサ音がして、開けるとガシャッと隅っこの方に折り重なってしまってる。何だか、バリバリに割れたポテトチップの袋を開けるようなモンで、ちょっとガッカリするのが常だった。

 ちなみに今でもタミヤの「タミヤカラー」と並んで、プラカラーとして普及してる「グンゼカラー」っちゅうのがあるが、これは元々「レベルカラー」という名前だった。レベルが日本から撤退する際にグンゼが権利を買い取ったものと思われる。
 少々脱線すると、今のタミヤカラーは水性化されて品質が落ちた気がする。かつて、「パクトラタミヤ」っちゅう名前で売られてた有機溶剤を使うエナメル系のものは、値段は張るものの発色の素晴らしさと伸びのよさ、マニアックなカラー展開に感心させられたものだが、これもビンボな家の子供には縁が薄く、フツーのガキはレベルカラーの方を使ってた。言うまでもなく、パクトラよりは劣ってた。

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 レベルについてだけでも、ナンボでも書けてしまいそうだが、飛行機の話だった。

 戦車ほどではないにせよ、飛行機もやはりドイツだろう。メカとしてのカッコよさが際立っている。メッサーシュミット109やフォッケウルフ190といったレシプロの戦闘機、ユンカース87だったかな?固定脚で変わった羽根の爆撃機、実用度は疑問だがとにかく世界初のロケット戦闘機やジェット戦闘機だった、これまたメッサーシュミットの163や262。

 これらの全てではなかったけど、多くが大きなサイズで買えたのがレベルだったのだ。

 前述のとおり全体としてのデキはイマイチだったし、値段もそれほど安くはなかったけど、でも他社よりちょっと割安、高学年になってお小遣いも上がってたので、頑張れば大きなサイズで買えたのである。肝心の縮尺を忘れたが、たしか1/32ぢゃなかったかな?完成するとかなり大きなものだった。
 同様の大きなサイズで良く製品がそろってたのは、あとはハセガワだろう。タミヤに勝るとも劣らない緻密な製品作りが特徴で、メッサーシュミットの109などレベル・ハセガワ、両方こしらえたことがある。

 他社は1/48や1/72が主流で、そぉいやどこのメーカーだろう、1/144なんてーのもあった。最後のヤツなんて、めちゃくちゃ小さい。ちょっと離れるとどれがどれかも分からなくなる。なんだか、近所の田んぼで捕まえてくるシオカラトンボくらいの大きさで、メカとしての迫力も何もなかった。

 大小相当の数を作ったけれども、戦車ほどドイツ一辺倒だったわけではなく、イギリスのハリケーンやスピットファイヤ、アメリカのロッキードP−38、日本の隼やメッサーシュミット109をお手本にしたと言われる飛燕、爆撃機の飛竜・呑竜・一式陸攻・銀河・彗星・・・・・・ああ、書き出すとキリがない。
 ともあれ、いろんなものをこしらえては悦に入っていたが、ゼロ戦だけは何だか嫌いで作らなかったのは、我ながらホント、マイナー好きなのだな、と呆れてしまう(笑)。

 何で縮尺の記憶が曖昧かといえば、飛行機は単体でその流線型の美しさを愛でるもので、ジオラマにして愉しむのがむつかしいものだからなのと、自分自身が一つ一つの細部のできばえに心を砕くようになって、あまり大きさの微妙な差異に気を遣わなくなったからだろう。

 実際、レベルのデキの悪さもあまり気にならなかった。バリや噛み合わせの悪さは、紙やすりで丹念に削ればいいのだ。色にしたってピースコン(スプレーみたいに噴霧する道具)が高くて買えないので、平面塗りは幅の広い平筆で薄めのものをきれいに手塗りする、なーんて手間のかかるやり方で、相当の面積をムラなく塗れるようになっていたし、迷彩も歯ブラシやら毛先を短く切った筆等の小道具を駆使してピースコンに迫る仕上げができるようにもなっていた。

 病膏肓に入ってたのである。

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 ピークは小学校4〜5年の頃だったと思うが、その終わりは唐突、かつ理不尽にやってきた。あまりにプラモデルにばかり熱中して勉強しないことに業を煮やした父親が怒って、プラモデルを禁止しただけでなく、精魂込めた作品の数々を破壊してしまったのだ。

 ちっとも勉強なんてしてなかったのに、バカな父親だけが一人、おれが私立中学に進学するなどとたわけた夢を見ていた、その矛盾の産物であったとはいえ、ま、不肖の息子を叱るのは親として当然の行為でもあったワケで・・・・・・理不尽でもないか(笑)。

 大人、とりわけ親が理不尽なことを今さらとやかく言う気はない。そぉゆう存在なのだ。しかし、禁止や抑圧は欲望を深く潜行させ増幅し、異化させ、とんでもないところで発露させるのは自明の理、っちゅうヤツである。親の理不尽さを責める気はないが、その火を見るより明らかな事実がサッパリ理解できないで、芝居がかった暴挙に出た愚かさを、おれはこれからも嗤い続けることだろう。

 放っておきゃよかったのだ。所詮はガキのやることだ。そのうち飽きたであろうことは容易に想像が付く。99%のガキは間違いなくそうなる。ちょっとばかり智恵だけは長けていたとはいえ、感覚においても粘り強さにおいても凡庸そのもののおれが、自然とその大多数の中に入ってたことは間違いない。
 そうして、放っておいても飽きなかった1%のガキが、それで道を拓き、斯界の第一人者になったりするのだ。

 いずれにせよこぉして迷走させられた欲望の結果、趣味や道楽に「のみ」ウツツを抜かすわりに、一つことを探求できないナンギな中年オヤヂいっちょあがり、って次第ですわ。.

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 プラモデルに話を戻そう。

 その後、学生になってヒマな時の手慰みにバイクを何台かこしらえたことがあるし、社会人になってから箱庭シリーズの「山の温泉宿」「田舎の驛」を作ったこともある。でもそれはまぁ、プラモデル作りたい、っちゅうより、カワサキの単車や喪われた風景のミニチュアを本棚に飾りたかっただけのことではあった。

 今はたまに子供といっしょにオモチャ屋を覗いたついでに、プラモデルのコーナーをプラプラと見物する程度だ。そもそも説明書どおりに作れば出来上がるのがプラモデルなワケで、木と紙とプラ板等の素材を駆使して一から作る面白さとディープさを知ってしまうとちょっと物足りない。コピーバンドとオリジナルバンドの違いといっしょだ。

 ・・・・・・と、プラモデルへの欲求が失せた今こそ、案外作るのにいい時期なのかもしれない。肩の力が抜けて、上手に作れそうな気がする。

 でも最近ちょっと老眼気味で、コンタクト入れてると近くが見えづらいんだよな〜・・・・・・(笑)。


学生の頃作ったバイク。タミヤの1/12、24時間耐久レーサーのKR1000。


同じくGP500のKR500。いずれも根強いファンがいて再生産が行われている。


同じくBPz400R。ライムグリーンで4耐チームグリーン仕様にして作ったなぁ。

2006.07.10

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