「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
憧れは憧れのまま・・・・・・Greco”MR”


ソファでくつろぐMRの図(ギャラリーの再掲)。

 人間、幾つになっても「憧れ」ってのは持ち続けてたいモンだ・・・・・・って常々思ってる。憧れを喪った人間は早く老いる、とも思う。決して「欲」ではない、「憧れ」だ。憧れと欲望はとても近い所にいるものの、何となくちょっと違ってる気がしてる。前者の方がピュアなカンジするやん。そこが大事なのだ。

 ・・・・・・おれにとってのグレコ”MR”って、そんな存在だったのだ。これまで何度も何度も書いたけど、それでも書き足りない。それくらいに自分の中では絶対的な憧れだったのである。

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 初めておれがエレキギターに興味を持った頃、1ドルはまだ固定相場制で360円だった。140円や50円で円安だ〜!とか、この世の終わりみたいにピーピー騒ぐな、って言いたくなる。だからモノホンのギブソンやフェンダーなんて、そらもぉガチで夢のまた夢であり、悪夢のような値段で売られてたワケで、ガキが現実的に手の届く中でのエレキギターのハイエンドブランドっちゅうたらグレコだったのだ。家電でゆうたら「ナショナル」みたいなモンかな?まだESPだとかそんなんも無かったしね。オマケにまだまだ「エレキギターは不良」っちゅう得体の知れない偏見も根強かった。
 そんなんでエレキギター持ってるっちゅうだけでもかなり少数派(・・・・・・9割方はフォークギター買ってた時代だ)なトコに加えて、グレコ持ってるヤツなんてホンマ殆どいなかった。エレキ買うたんや!っちゅうてイキッててもフレッシャーとかトムソン/トーマスがせいぜいで、たまに開明的で理解のある祖父母等のスポンサーがいたりしたヤツだけが、マトモなメーカー品であるグレコやヤマハ、或いはそれらに続くブランドの製品を入手できたのだ。

 父方の祖父母は早くに亡くなってたけど、母方は二人とも存命で、遊びに行けば小遣いくれるし、正月には結構な額のお年玉を貰ってたりはしたが、流石に何万円もする「えれきぎたぁ」にポンと弾んでくれるほどではなかった。第一、時代錯誤でムダな規制と威厳を履き違えたような父親のいる我が家では、そもそも認められるはずもなかった。
 臥薪嘗胆、だからおれはコツコツと自分で金貯めるしかなかったのだが、それでもグレコは他よりちょとお高い。例えば普及クラスのレスポール(・・・・・・正に「スタンダード」だな、笑)のコピーがアリアプロUならLS−600っちゅうて定価6万円でオマケにピックアップがディマジオなのに、グレコだとEG−700っちゅうて7万円なのである。
 1万円の差額・・・・・・実際は値引きとかもあるから7〜8千円なんだろうが、それで歪み系ならエフェクターの1個も買えちゃうワケで、ガキにこの差はひじょうに大きかった。

 そんなグレコのカタログっちゅうのは最早、「経典」に近い存在であり、文字通り「眼光紙背に徹する」勢いで全てのページを丹念に読み込んでたが、その当時の表紙に大きく載ってたのが件のMRだった。いっちゃん先頭に載るくらいなんだからやっぱし何か自慢の逸品なんだろうって、子供心にもメーカーがエラく力を入れようとしてるのは薄々分かった。おれは実見してないが、何と発売当初はTVCMさえ打たれたらしい。
 レスポールのようでレスポールではなく、もっとシンプルかつプレーンなデザイン、当時の先進性の象徴のような24フレット仕様にバダスブリッジ・・・・・・指板の象嵌がディッシュではなくスッキリしたドットインレイなのも虚飾を廃したカンジで、まだギターのチューニングさえロクに知らないアホなおれは「あ〜、これってレスポールを下敷きにしてても絶対もっとスゴいんやろなぁ〜」って刷り込まれちゃったのである。アホはさらに続き、「でも、こぉゆうのはプロ仕様で、素人にはカンタンに弾けないモンなんだろうなぁ〜」って思い込んぢゃったのだ・・・・・・ある意味それが正しかったことが後年証明されようとは、その時は知る由もなかったが。

 でも所詮はミーハーでチキン、コンサバなおれは結局、そらまぁP−90の56モデルってので少しばかりナナメ上行ってたとは申せ、何だかんだでフツーにレスポールのコピーを買っちゃったのだった。あの時、最初の直感に従ってMR買ってたら、おれのギター人生は結構変わってたんぢゃないか?って気がする。

 手許に実機が置かれるようになると、カタログ眺めるよりは練習だろう。学校の勉強そっちのけで、先日惜しくも亡くなったジェフ・ベックが何かミョーにダサいジャケット姿の大写しで表紙になった「小林克己ロックギター教室」に沿って、ひたすら地味な運指練習に明け暮れる毎日となり、そうしてあんましMRのコトは意識しなくなって行ったのだった。
 しかしながら刷り込みとは恐ろしい。グレコ・MRが自分の中では一種のエレキギターのイコンとしてずっと残り続けてたのは間違いない。大袈裟に言やぁ一貫して「燦然と輝く存在」だったのだ。ちなみにグレコとしても実際このモデルに対しては深い思い入れがあったようで、東京に越して来てしばらくした頃だったか、ビックリするような値段で再発されてた記憶があるし、さらに10年くらい前にはかなりあちこち細部の仕様をアップデートされたのが、何グレードかに分かれて再びリリースされたりもしてる。そんなモデル、他はBoogieくらいではなかろうか・・・・・・何本売れたんかは知らんけど。

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 ・・・・・・あれから幾星霜、そんなMRが現在、手許にある。

 ナスビ系についての駄文を書いたしばらく後、いつものアポーツ能力が発揮されたか、フラッと立ち寄ったリサイクルショップで極めて状態の良い中古を見付けてしまったのだ。おらぁもぉこれで長年のギター遍歴を終わらせても良い、ってなくらいに舞い上がっちゃったね。

 最もイコニックなプレーントップにチェリーサンバースト、ドットポジションのだ。2度目の再発時ので、型番はちょっと変わってMRnってなってる。購入の経緯や仕様の詳細はギャラリーの方を見ていただきたい。一番安かった定価14万のだけど、とにかく素晴らしく丁寧に、惜しみなく良い材を使って作られてるのは素人目にも一目瞭然だ。メイプルだマホガニーだエボニーだ、っちゅうたかてダメなのはダメだからね。最近のギブソンの廉価モデルなんかと見較べれば、同じ名前の材でもクオリティの差が歴然とあるもん。
 当然ながら音もひじょうに良い。ヌケとかバランス・分離、低域の締まりや中域の厚み、高域の適度なクリスピー感、ドーンと歪ませてもどこか上品で、それでいて決してか細くはない。
 ちなみに製造元が富士弦楽器ではなく、ヤマハやグレッチへのOEMで有名な寺田楽器に代わってるのが、実は一番大きな変化かも知れない。今では神田商会とフジゲンって関係無くなっちゃったみたいだね。

 嗚呼それなのに、ったらそれなのに!

 弾き込んで行けば行くほど、これがもぉ天下一品のバランスの悪さなのだ。絶妙と言っても良い・・・・・・いや、それはかなり有名な話で元々予備知識としては持ってた。もちろん買う時だってほぼ勢い任せだったとは言え、店頭での試奏だって一応15分くらいはやった。だから納得済みっちゃ納得済みではあったんだけど、それでもヒドいもんはヒドい。バランス最悪の誉れ高い焼鳥がムチャクチャに弾きやすく感じられるくらいにMRのボディバランスは悪い。

 まずヘッド落ちがスゴい・・・・・・かといって決して際限なく落ちて行くのではなく、ネックが水平になった辺りで釣り合おうとするような奇妙なバランス感である。ヤジロベエぢゃあるまいし、そこで釣り合ってどないすんねん?と問い詰めたくなる。
 加えて左右のバランスが何ともおかしい。みなさまご高承の通り、フォルムが典型的なナスビ系ゆえにヘッド側のストラップピンの位置はかなり右寄りになってる。だからフツーに提げるとピンの打たれた方向もあってストラップが鎖骨に食い込む。何だかやりづらくてボディを身体の左方向に押し出すようにすると、今度はミディアムスケールとは申せネックの仕込み位置が22フレット付近なモンだから、エラくローフレットが遠くなるし、下ぶくれなボディが身体の正面に来るわ右肘の置場が決まらないわでどうにも落ち着かない。61年型のSGや58年型のフライングV、或いはエクスプローラーなんかも似てるけど、あっちの方が余程抱え込みやすい。
 さらにはフツーに提げててもボディの面が何となくこっちの方を向いてくるのも問題だ。そらまぁ一つにはおれの腹が出ててそうなってしまうってのはあるだろうけど、他のギターではあまりそんな風にはならない。往年のヘビメタギタリストみたくネックを思い切り立ててハイポジションを弾くっちゅうんならそれなりだろうが、フツーに弾いててこれではコードが押さえにくい。やはりツノとくびれが小さくて異様なまでに下ぶくれなデザインによるところが大きいんだろう。

 これぢゃアカンと座ってみてもどうにも弾きづらい。くびれの位置がどっちの太腿に乗せてもシックリ合わないのである。仕方なくクラシックのギタリストみたいに左足を踏み台の上に乗せてみたら少しマシにはなったが、今度はレスポール同様ボディサイドにあるジャックのせいでシールドが当たって鬱陶しい。つまり「立ってダメ、座ってダメ」っちゅうこっちゃね。

 どうだろ?SGとフライングVの弾きやすさを10とするなら、焼鳥は8でMRは5くらいな印象だ。どれも同じスケールだし、ネックの仕込み位置だって近いにもかかわらず、MRはひどく劣る。全てはボディバランスとデザインに起因するんだろう。おらぁフェンダーのオフセットボディってのが如何に優れてるかを今更ながら知った気がした。

 そんなんだから同じフレーズ弾いても成功率が他より格段に下がる。「・・・・・・ような気がする」ではなく、マジで下がる。これはヘタなおれにとっては実に由々しき問題で、ホンマに困ってしまう。上述の通り材だって仕上げだって音色だって素晴らしいのに、あまりにデザインオリエンテッド過ぎたか、最も基本的なところで作りを間違えちゃってるのだ。
 それでも二代目再発版ってコトで欠点を少しでも払拭すべくメーカーもかなり工夫はしたみたいで、角の裏あたりにスラントカットを入れたり、コンターを加えたりといった改良はされてんだけど、端的に言って焼け石に水なのは実際にこうしてオーナーになって思い知らされた。

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 ある程度の解消策は、実は大体見当が付いてる。ストラップピンの位置を角の方は初期P−Modelのベースだった秋山がやってたみたいに工事用のペグでも打ち込んでヘッド側に延長し、さらにボディエンド側の位置を3〜4cmズラせば、重心が変わって少なくともヘッド落ちは解消するだろう。しかしそれ以外の問題点は何も改善されないのは明らかだ。そんなんで憧れ続けて来た存在にキズ付けるのもアホらしい。ここはもうホレた弱みでツベコベ文句言わず、ギターに身体の方をフィックスさせりゃぁエエんだ。馴染むまで、執念深く、ネチネチと。こういう無意味なしつこさがおれにはある。もう少しゼニ儲けとかに発揮できてりゃ良かったのに。

 そうして決まらないポジションのまま数ヶ月、ひたすらあぁでもないこぉでもないと身体ひねりながら無理な体勢で弾き込んでたら、その内さらに困った事態が起きたのだった。

 ・・・・・・何とまぁ、一種の頸椎捻挫、いわばムチウチとかギックリ首みたいになっちゃったのである。歳は取りたくないモンだねぇ〜。プロ仕様かどうかはともかく、「カンタンに弾けないモン」ってコトでは、ガキだったおれの直感は見事に当たってたワケだ・・・・・・憧れは憧れのままにしとくのが吉だったんかも知れないですわ。イ゛デデデデ。

2023.02.24

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