「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
彼女を聴かずしてガールズロックは語れない・・・・・・・Suzi Quatro頌


ピッチピチのキャットスーツがトレードマークでしたなぁ〜。

https://www.last.fm/より

 何となく女性ロックミュージシャンの嚆矢っちゅうたら、オーバードースによる悲劇的な死に至るまでの短くも破天荒な生き様から、一般的にはジャニス・ジョプリンってなイメージが強くて、今回取り上げようとしてるスージー・クワトロはちょっと色物扱いされちゃってる感がある。
 そらまぁたしかにジャニスの方がカリスマ性はあったと思う。それは認める。そのひじょうにパワフルかつソウルフルなボーカル、「27クラブ」のメンバーでもあり、レジェンドと呼んで良い。

 ただ、おれが思うに彼女は不世出の「ボーカリスト」であり、生き様自体はいかにもロックの典型的自滅型だったとは申せ、決して「ロックミュージシャン」ではなかったような気がしてる。事実、その短い生涯の終わり近くにやろうとしてたスタイルは、どっちかっちゅうたらソウルやファンクに近かったし、あと、オリジナルソングは意外に少なくてカバーナンバーがひじょうに多かったっちゅうのも、自分たちでバンドやって楽器弾いて自分たちの歌を歌う、っちゅうロックミュージシャンの基本形からすると少しばかり違う印象があるのだ・・・・・・ちなみにスージー・クワトロも作詞・作曲についてはほぼ外注だったりするんだが。

 それでも、俗に「生き馬の目を抜く」なんて言われる、欲に駆られた有象無象の怪しい連中が跳梁跋扈するエンターテインメントビジネスの世界をしぶとく、したたかに渡り歩く「職業的ロッカー」とでも言えば良いのか、そうした点で彼女は女性ロックミュージシャンの嚆矢ではなかったかと思うのだ。

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 実はキャリアがスゴい。おれも最初はそうだったんだけど、みなさんも彼女のイメージっちゃぁ上に挙げたようなコスチュームでベース弾きながら歌うイメージしか無いと思う。70年代前半くらいに出て来て、日本で人気に火が点いたのはもちょっと後の70年代半ばくらいからだったかな?
 ところがどっこいギッチョンチョン(←死語の世界やね)、驚くべきことにスージー・クワトロって、ビートルズやストーンズよりよほど古いキャリアを誇るのだ。この時点で既に15年選手。イタリア系移民のミュージシャン一家に生まれ、何とデビューは60年以上も昔の1958年である。日本でゆうたら昭和33年、東京タワーのできた年でっせ。まぁそん時は歌舞伎の子役みたいなモンで、トーチャンのやってるバンドにチョロッとゲストで出てたくらいらしいが、それでもキャリアはキャリアだ。そいでもって本格的にジャクソン5を全員女の子にして楽器持たせたような、姉妹を中心に結成されたガールズバンドを始めたのが1964年・・・・・・日本が東京オリンピックやら東海道新幹線開業で沸き返ってた年と重なる。このバンド、あんまし大ブレイクはしなかったみたいだけど、アメリカ国内のツアーだけでなく海外公演なんかもしてるみたいだし(・・・・・・って、実態は駐留米軍の慰問だったみたいだが)、シングルの音源も結構見付かるトコからすると、そこそこの中堅グループとしてやってたみたいである。内容的にはサーフロックやらサイケやら、その時々の世間の流行に合わせてたようで、イマイチ路線や方向性が良く分からない曲ばっかしではあるが・・・・・・聴いてみたらザ・ピーナッツが歌った「モスラ」のテーマみたいなヘンテコリンな曲まであって笑ってしまった。その後、長姉が抜けたのをキッカケにしたのかバンド名変えて、まるで初期ブラックサバスみたいなエラくダークでヘヴィでおサイケな雰囲気の路線に鞍替えしたりもしてる。

 さらにどのような経緯があったのかは知らないけど、このガールズバンドから引き抜かれるようにして、心機一転、ソロっちゅうてもスタイルとしては紅一点型バンドの体裁で始めたのが1973年。アメリカ本国でのウケを狙ったかハードロックと呼ぶにはちょっとばかしノー天気でポップなブギーっぽい路線だったにもかかわらず・・・・・・全くアメリカではウケなかった。
 ところが、捨てる神あれば拾う神ありで、ナゼかイギリス含むヨーロッパ圏ではこれが大ヒットしたのだった。イギリスで10週間1位とか、快挙と呼んで差支えなかろう・・・・・・まぁシングルチャート、って但し書き付きだけどね。残念ながらアルバムチャートではそこまでは行ってない。

 何がしかしそんなにウケたんだろう?

 最大の要因としては、小っちゃくて美人で若いオネーチャンがゴツくてムサ苦しい男のメンバーを従えて、「男勝りに」あるいは「女だてらに」エレキベースをブシブシ弾きながら金切り声でシャウトする、っちゅうスタイルが当時としてはひじょうに新鮮だったんだろう。もちろんその裏に女王様と奴隷っちゅうBDSMのイメージがあったのは言うまでもない。ホンマはもっと網タイツにガーターベルトとかボンデージなスタイルで売り出したかったんぢゃないかとおれは思ってる。しかし、今からは想像が付かないくらい欧米の市民層も保守的だった時代、一般的なポピュラリティを得るのにあんまし過激にヤリ過ぎてもマズかろう、ってなオトナの事情と計算があったんだろうな・・・・・・何事もそぉ一足飛びに進んで行くワケではないのだ。実際にそぉしたスタイルのガールズバンドが世に出て来るまで、あと数年を要した。言うまでもなくザ・ランナウェイズのことである。ちなみにもっと過激なプラズマティックスはさらにもちょっと後だったかな?
 実際、スージー・クワトロってラテン系だけあって、アングロサクソンやゲルマンのオネーチャンたちと比べるとムチャクチャに背が小さい。いや、日本人でもかなり小柄な部類に入る、150cmそこそこである。だからフェンダーの34インチサイズのベースが異様に大きく・長く見える。調べてみたら最近人気急上昇の上白石萌音と背丈が一緒だったりする。彼女がベース提げたらきっと同じような感じになるだろう。
 ムリせずショートスケール弾いた方がラクだろうに、何か強い拘りでもあるのか、ロングスケール以外のを弾いてる姿は殆どない。ギブソンとエンドース契約してた頃も、30インチではなく34インチのリッパーとかサンダーバードばっかし弾いてた気がする。どちらもスケールだけでなくボディサイズや重量がハンパないのに。

 そうだそうだ。この「ベースが大きく・長く見える」ことについて、彼女のベスト盤レコードを貸してくれた中学時代の京都からの転校生・U田クンは、絶対にベースが特製でネックが長いサイズに違いないと言い張るのだった。

 ------いや、そぉやのうてクワトロの背ぇが小っちゃいんとちゃうん?・・・・・・と、おれ。
 ------外人がそんな小さいワケないやんけ。
 ------ほやかて、そんな特注、聞いたことないで。
 ------でもこれ見てみいや(・・・・・・と、件のベスト盤のジャケット開いて見せて)。な!?ネック長いやろ?
 ------いやこれ、そんな風に撮ってるからちゃうん?ほら、足かてめっちゃ長ぅ写ってるやん。
 ------これはなぁ〜、下にロンドンブーツ履いてるんや、絶対!
 ------(貸してもらう手前、あまりこれ以上強く否定もできず)・・・・・・そ、そぉなんかなぁ〜?

 何のこっちゃない、遠近感がムチャクチャに強調される超広角レンズで撮られたジャケットから、彼はそう信じ込んでたのだ。貸してもらっといて申し訳ないけど、ものごっつアホやった、U田クンって。

 ともあれ、パブリックイメージとして、売り出したチーム(当時の超売れっ子、M・モストにM・チャップマン+N・チン)はとても巧くやったと思うし、彼女もそこそここのスタイルは気に入ってたのではないかと思う・・・・・・ただやはり、肝心の曲自体がアメリカのマーケットを露骨に狙い過ぎたせいなのか、いささかどれもチープだったのは一方でどぉしようもなく事実だろう。メロディラインはとてもキャッチーな一方で、基本「タイトル≒サビで連呼」ってな安直な歌詞、ハードロックぢゃプログレぢゃディスコぢゃと70年代の急速に進歩・多様化するロックシーンの中では最早オールドスクールで手堅すぎる3コードロックンロールやブギー、三連ノリの多用、全体的にチャチでスカスカしたバックの音色や全体のアレンジ(特にエレピの音とか安っぽいんだわ、これがもぉ!笑)・・・・・・歴史に「もし」はないけど、3作目くらいでもちょっと新進気鋭のプロデューサー等を起用して、より先鋭的な路線にでも舵を切ったりしてたら、あるいはもっとビッグでレジェンダリーな存在になれてたかもしれない。
 ただ、ここにも注釈が要る。丁度うまい具合にソロデビューした頃って、グラムロック全盛期だったのだ。グラムはあくまで外見のファッションで楽曲に共通性はなかったものの、代表選手のT・REXのスカスカぶりやらその何でもアリな雰囲気が後押ししたのはあると思います・・・・・・ってわしゃ天津か(笑)。

 彼女自身がしかし、そんな方向性なんて少しも考えてなかったに違いない。平たく言えば「売れれば何でも良かった」ってのがホンネだろう。「エラいセンセの言わはる通りにしてたらエエねんで」な〜んて親兄弟から言い含められてたのかも?っちゅうくらい、キッチリとこのパブリックイメージを演じ切っていたように思うのだ。
 それが文字通り偶像としての「アイドル」で本人に主体性がなかったとか、ショービジネスに搾取されてたとかではなく、あまりにもクワトロ自身が職人肌のプロ・ミュージシャン、古典的芸人魂の持ち主だったからだろうとおれは思ってる。与えられた仕事はキッチリこなしまっせ〜!任しとくれやっしゃ〜!みたいな。

 ライブの映像見てもそれは思う。実はクワトロ、決してお飾りではなくベーシストとして、バカテクとまでは言わないまでも素晴らしくチャンと弾いてる・・・・・・っちゅうか相当上手い。オーソドックスなトゥーフィンガーを基本に時折スリーフィンガーを織り交ぜた指弾きで、ちっこい身体にジミー・ペイジ並みに低く構えたベース、っちゅうかなり苦しそうなポジション、独特の四股踏むようなガニ股・猫背とちょとカッコ悪い姿勢で速いリックも弾き倒す。長尺のソロだって難なくこなせる実力の持ち主なのだ。
 ただ、一切そこにアドリブはない。たとえソロパートではあっても、フレージングの組み立ては全て緻密に練習して仕込んだ通りやってるみたいだし、個々の曲にしたって今日は興が乗ったからあと16小節延ばしましょうとか、そんなんも一切なし。キッチリ・ピッタリ、シングルの通りにやってる。おっそろしくステディに。

 だってそれが幼い頃から叩き込まれ身に付けたショー・ビジネス界でのプロとしての正しい所作だったんだから。

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 彼女がやってたのは、言っちゃえばミもフタもないけど、とかく三文安く見られがちな所謂「企画バンド」ってヤツだった。日本でゆうと、レベッカとかジュディマリ、リンドバーグなんかが相当する。自分で楽器弾いてたっちゅうコトまで勘案するとジューシー・フルーツなんかはかなり近い・・・・・・っちゅうか、スージー・クワトロの成功を見て、これらの企画バンドは生まれたっちゅうても過言ではなかろう。いやいや、ブロンディだってプリテンダーズだって、彼女が登場してなけりゃ分かんない。
 青臭くその是非を論じる気は無いし、上述の通りでそもそも彼女自身がそんなコトちょっとも気にしてないと思う。そしていずれにせよ、自分も楽器弾く紅一点型バンドの先駆けとして、その後に大きな影響を与え、多くのフォロワーを生んだのは紛れもなく事実だろう。あくまでビジネスである以上、とにかく売れたモン勝ちなのだ。

 そんな彼女も今や齢70を過ぎて立派なババァになり、孫までいるみたいだ。残念なコトに日本では半ば忘れられかけた存在で、「サケ・ロック・オーゼキ!」なんてCMも昔語りになってしまったものの、未だにバリバリの現役である。ヨーロッパ方面では今でもケッコーな動員力を誇るみたいで、来年にはロイヤルアルバートホールでの単独公演が控えてるらしい。72歳やで。大したモンだと思う。

 スージー・クワトロ・・・・・・本人にそんな気負いはさらさら無かったろうが、結果的にはフィメール・ロックのグレート・マザーと呼んで良いかも知れない。


U田クンが、特注の長いネックのベースと主張した(笑)ベスト盤のジャケット。弦がブラックナイロンのフラットワウンドなのが時代を感じさせる。

ハイヒール履いてこれだから、U田クンが勘違いするのもまぁムリないわな。ちなみにこの72年型テレキャスベースはめっちゃレア。

2021.02.14

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