「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ZABOでのClean Partyの記憶


ハナタラシの85年初め頃、東京進出(笑)後のライブの模様。

https://www.discogs.com/より

 タイトル読んですぐに分かる人、一体全体きょう日の日本に何人おるんやろ?(笑)

 もぉZABOっちゅうても知らん人ばっかしだろうと思う・・・・・・いやいや、そんなエラそうに言えた義理やおまへんねん、わたいも。実は初めて行った時には既にツブれた後で、狭い店内はガランドウになっており、壁紙なんかも剥がされて天井の配管やらコンクリートが剥き出しの穴倉みたいになってたように思う。あくまで想像なんだけど、恐らくはそんな「ただの箱」みたいな状況のまま、ツブれてしばらくの間フリースペースとして貸し出されてたんだろう。

 元々は京都市内で70年代初頭あたりにボコボコ発生したジャズ喫茶の一つだったとのコトだ。三条河原町を一筋上がったところを東に入った左側だったからエーッと・・・・・・朝日会館の裏手あたりだな。今でもそうなんだけど、京都は表通りから少し入ると途端にゴチャゴチャしてて、そんなトコにある古い雑居ビルの地下だった。高瀬川までは行かなかったと思う。
 正直に告白すると、おれは昔も今もジャズにさっぱり興味が湧かない方なんで、ジャズ喫茶に入り浸ったなんて経験が皆目なかったりする。

 ”Clean Party”っちゅうのもこれまた誰も知らんだろうから、やっぱしちょっと解説が要るだろう。悪友のS年がまだ一人でテープをバックにやってる時に知り合ったとかゆう、ちょっと年嵩のニーチャンが主催してるシリーズもののライブの名前だった。御本人は今出川か丸太町沿いの牛乳屋のボンボンで、自主映画のマニア・・・・・・もとい監督(笑)。なんでも噂では親と一緒に暮らす店舗兼自宅がビルに改築されてテナント入れたりなんかしたモンだから、優雅に親のスネ齧ってられるとかいうことだった。高等遊民っちゅうか、今で言うニートのハシリみたいなもんだろう。

 それはともかく、ライブっちゅうたかて出て来るのにバンドはむしろ少なくて、自主製作映画の上映とか芝居とか舞踏とかパフォーマンスとか、色んな物がゴッチャになってたような記憶がある。どっちかっちゅうとアート志向が強いというか、割りと静かな感じの演し物ばっかしだった。
 ともあれこうした企画、5回も続けば上出来なんばっかしの中で、これは細く長くしぶとく続けてたんで、その粘り強さは大したモンだなぁ〜、って思いながら見てた。いずれにせよマイナーなアーティストもどきなんちゅうのは百鬼夜行で、狭い京都市内に山のように溢れてた時代だった。
 たしかおれたちの活動がバンドの形になる直前、ドラムレスの3人編成で出さしてもらったのもこのシリーズの十何回目かだった。場所が京大の吉田キャンパスの裏手に今でも続くスタジオ・ヴァリエで、カーテンでちょっとだけ囲われた三角形の狭いスペースが楽屋だったのはナゼかハッキリ覚えてる。

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 さてさてZABOだ。てんでもぉジャズに疎いおれだったのに、この寄せ集めライブの行われる数ヶ月前くらいだったか、店の名前だけはひょんなことから知ることとなっていた・・・・・・っちゅうのも当時、関西どころか全国的にその過激で凶悪なライブで悪名を轟かせつつあった「ハナタラシ」のライブのフライヤーを見掛けたからである。その会場がこのZABOになってたのだ。

 しょうむないコトだけは矢鱈と記憶力の良いおれであるからして、このフライヤーについてはミョーに覚えてる。黄色い紙に大きく「ハナタラシ・死体宣言」と書かれ、真ん中に死体写真から拾ったと思われるグロな顔の大写し、そいでもってその下に日時と場所、そぉいや前座だか対バンだかの名前が「特高警察」だったっけ・・・・・・その後のボアダムズでの活動からも分かるように、何だかんだでアイちゃんこと山塚は音楽だけでなくデザインの才能もあって、バッドテイストでありながら妙にポップでキャッチーで印象に残るセンスではあった。

 しかし、ライブハウスの店内をムチャクチャに破壊しまくるんが知れ渡っており、既に近畿一円で出させてくれるようなトコは無くなってたハズなので、正直、よぉ場所見付けよったなぁ〜・・・・・・っちゅうのがぶっちゃけ第一印象。ホンマにやれるんかい!?ネタちゃうんか?とも思ったで(笑)。
 以前触れた銀閣寺CBGBでの宮西計三とのカップリングのライブにしたって店側の都合で取り止めになって見損ねてたし、いささかミーハーな怖いもの見たさもあって行きたいと思ったが、生憎当日はその頃に友人とやってた塾の授業があって断念せざるを得なかったのだった。思えばヘンな志で塾始めたコトで時間的に拘束されるようになり、行くことが叶わなかったライブは数多い。勿体ないことをしたもんだ。人間ガラにもないコトしたらアカンっちゅうこっちゃね(笑)。

 それにしてもネットの発達はマジでスゴいっす。この時のライブが84年の12月16日だったってコトが今やたちまち判明する。音源もチャンとアップされとるやおまへんか。音だけ聴いてるとハードコアノイズの常で、キーキーガーガー・ドンガラガッチャンがチープな音質で続くだけでワケが分からない。オマケに途中でスクーターのエンジン回したせいで排気ガスが充満したか火災報知器鳴ったりもしてるし、あまつさえそのベルの音がいっちゃん音質良かったりもするし・・・・・・(笑)。

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 年明けてまだ寒い頃、そんなZABOにて”Clean Party”の何回目かのライブが行われることになった。S年が一人で演るのに、その後無理矢理ベースに拉致られるMとおれとで観に行ったような気がする。ん!?おれだけだったかな?
 入ってみると冒頭に書いた通りで、狭い階段を下った地下の店内はドンガラで廃墟みたくなってる。閉店でそうなったのか、ハナタラシが破壊したのかは良く分からないが、まぁとにかくボロボロだ。大して広くはない。どぉだろ?横幅3間、奥行きが6間くらいしかなかったのではないか。一番奥はささやかなステージになっており、ドラムセットやアンプが数台が置かれてあったが、もうそれだけで一杯いっぱいな感じだった・・・・・・あ、想い出した!その右手にさらに少し奥があってそこがミキサー卓兼楽屋になってた。つまり店内はL字型になってたのだ・・・・・・ホンマこんなどぉでも良いコトほど想い出すもんだわ。我ながら呆れてしまう(笑)。

 客はどれくらい入ってたかな?ざっくり3〜40名だったと思う。少ないって!?・・・・・・じぇんじぇん!こんなマイナーなライブで40人入ればもぉ御の字ですよ。
 店内は暖房も入っておらず、底冷えする床に申し訳程度に茣蓙と座布団が敷いてあるくらいなんで、とにかく座ってると寒い。胴震いがする。オマケに出て来る連中も前衛とかアヴァンギャルドっちゃぁ聞こえは良いけど、要はタルいのが多くてこれはこれでサムい(笑)。だからそれなりに大きな音が流れてるのに眠気が襲ってくる。猛吹雪の雪山で遭難して雪洞掘ってビバークしてる人はこんな感じなんだろうなぁ〜、って何だか思えて来た。

 当時、こぉいったライブに来るヤツのいでたちは大体決まってて、男も女もほぼ全身黒ずくめ、冬ならロングコート、髪はまだ染めるのは少なくて、むしろ服と同様の真っ黒のストレートでパッツン・・・・・・みたいなんばっかしだった。「DCブランド」とかが隆盛を極めてた時代とほぼカブる。
 そんな中、異彩を放ってるのが一人いる。小柄で痩せぎす、坊主頭にハデな黄色のTシャツ、赤いジャンパー、ブリーチ全盛の時代に真っ青のジーンズの三原色(笑)。ちょっとキメてるのかなんなのか、時々奇声を上げて出て来る連中を野次ってる。
 言うまでもなくちょっとアブない系なんだけど、そもそも論でちょっとヘンな集まりなんだし、大体どんなライブにもちょっとヘンな人やバイオレントでデストロイな人がいるのがむしろフツーだったので、あまり気にもならなかった。おれだってとあるライブ観に行って、救いがたい程のしょうむなさにイラついて、客席に大袈裟によろばいながら入って来たボーカルをブン殴ったことがある。逆にハードコア系のライブで後方から椅子が飛んできて当たったこともある。そんなモンだ。みんなドツいたりドツかれたりはちょっとはあった。

 いくつくらい出演者が入れ替わった頃だろう、ベースやらトランペット持った連中が3〜4人出て来た。もぉこぉゆう集まりには絶対あるあるパターンの、「どぉでも好いような箸にも棒にも掛からないフリージャズ」だろう。観る前からゲンナリしてしまう。

 ♪ボッ・ボボッ・ボェッボ〜ン、とベース、
 ♪シキチチチチ・ドラタタタ・バシャバシャ〜ン、とドラム、
 ♪ププププッ・プィィィ〜・ヘププ〜プッ、とトランペット

 こんなのが延々と続く。酔っ払って何人かで口真似でやるとこれって楽しいんだけど、マトモに聴かされると拷問に近い(笑)。

 ・・・・・・即興演奏も何も、テキトーにやってるだけやんか。いやまぁテキトーが悪いとは言わんよ。でもテキトーにやる以上は、せめてテンション感や疾走感、もっと端的に言えば「殺気」くらいは漂わせてくれよ。小難しそうなそれらしい顔だけしてユルユルのグダグダで、プププ〜とかやられたって、手垢の付いた詰まらない古典手品の仕掛けをスロー再生で見せられるような気持にしかなれへん、って。

 その時だ。さっきからおれの数人後くらいで奇声を上げてた件のニーチャンがステージに乱入した。そいでもってマイク掴んで絶叫する。

 ------何がフリージャズぢゃぁ〜っ!ペット吹くなぁ〜っ!ボケェ〜ッ!

 上手い!座布団一枚!(笑)。

 そこで止しとけば一発芸で楽しめたのに、さらに彼は手当たり次第にその辺のモノを投げ始める。座布団も飛んだけど、スタンド、アンプ、パイプ椅子、ビールケース、火は点いてなかったけど石油ストーヴ(笑)・・・・・・みんな逃げる逃げる、狭い店内を逃げまどう(笑)。あんまし暴れるモンだからそのうちシンバルが倒れ、乱入もどこ吹く風と隅っこに座って黙々と俯いてボェッボボボ♪と弾き続けてたベーシストの頭にモロに当たってプロレス並みの大流血、ニーチャン自身もドラムセットに倒れ込んで痙攣してるところをスタッフ数名に羽交い絞めにされ、シバキ倒され、身をよじって悶えながら店の外に担がれて行った。当然ライブは中断、救急車が呼ばれ、スタッフは止血やら散らかった機材の片付けに追われていた。

 このニーチャンこそが他ならぬ山塚だったのである・・・・・・後から判明したのだが。ともあれ実物見たのはこの時が初めてだった。

 暴れたことまで才能云々とヨイショする気はない。しかし、尋常でないとは申せ突き抜けた存在感が初めからあって、ツッコミの切れ味も鋭く(笑)、この日出演した十いくつの演しモノについては中身がどぉだったかサッパリ覚えてない一方で、このアクシデント(!?)だけは今でもハッキリ想い出せるのは事実だ。

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 さらに何ヶ月後かのフールズメイトに、この時のドラムの人がハナタラシについて書いてる文章が載った。何のこっちゃない、知り合い同士だったワケやね。ひょっとしたら初めから示し合せて仕込みまくってたのかも知れないけれど、それは30年以上経った今となっては分からない。
 その後、アイちゃんの姿はあちこちのライブ会場でしばしば見かけた。大抵は後ろの方の壁にもたれてボーッとしてる。サイキックTVの前座でダイナマイト持ち込んでライブ中止になって、ジェネシス・P・オリッジに「もっとマジメに生きろ!」って説教されたとか(オイオイ!笑)、ガソリンぶちまけて火点けようとしたとか、過激路線がエスカレートしまくった挙句、ハナタラシでの活動がどうにも行き詰まって、ボアダムズに活路を見い出そうとしてたあたりでヒマだったのかも知れない。
 クリーンパーティーは、おれたちがフツーのバンド編成になっていささか彼等との方向性ちゅうか色が違って来たこともあって、そのうち何となく縁遠くなってしまった。主催者の方が今はどうされてるのかについても残念ながら知らない。
 ZABOはこのすぐ後くらいには完全に閉店になった。これ書くに当たってGoogleEarthで正確な場所を調べてみようとマウスをグリグリやってみたが、結局分からず仕舞いだった。


オマケ。色々ネット漁ってたら何と!おれたちのカセットが売りに出されてました(笑)。長年持ってた人にお会いしたいモンだ。

2019.03.05

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